見出し画像

東京が“ニューヨーク”になる前に

静寂の空に、救急車のサイレンばかりが鳴り響く。
マンハッタンの朝は、普段、セントラルパークに向かう馬車の蹄や、先を焦る車のクラクションの音で騒々しい。だが、3月22日を境に、街は変貌した。

「中国・武漢市を訪れていたシアトルに住む30代の男性が新型コロナウイルスに感染していることが確認されたということです」

米国初の感染確認のニュースは1月21日だった。この日、職場の定例会議で、「コロナウイルスに注意しよう」とは発言していたが、それほど危機感を持っていなかったのが正直なところだ。
ニューヨーク州で初の陽性患者が確認されたのは、それから1ヶ月以上後の3月1日。イランに渡航していた30代後半の女性が、軽症ながら、マンハッタンの自宅で隔離状態に置かれていると発表された。その後、州内の感染者数は増加したが、ウエストチェスター郡のニューロシェルという地域に、ほぼ限られていた。6日、ニューヨーク州全体の感染者数は44人だったが、ウエストチェスター郡が34人を占め、ニューヨーク市では、まだ4人だった。だが翌日の7日、ニューヨーク州のクオモ知事は、「非常事態宣言」に踏み切った。清掃用品や消毒剤の迅速な調達などを目的とした措置だった。この時点では、まだレストランや学校の閉鎖、外出制限を命じていない。

“感染爆発”はこう進んだ

だが、それからが、あっという間だった。週明けの9日には、ニューヨーク州で142人の感染者が確認された。ニューヨーク市内でも19人となったことから、デブラシオ市長は、市内の企業に対し、在宅勤務の検討を促した。こうした事態を受けて、翌10日から、TBSニューヨーク支局は、出社を必要最小限にするテレワークに移行した。

「CBSで2人の陽性を確認」

その翌日、夕方になって一報が入った。TBSの支局は、アメリカ3大ネットワークの一つ、CBSニュースの放送センターに入っている。支局の1つ上の階で働くスタッフから陽性が出たのだ。その日の夜から一斉消毒のため、ビルは事実上、封鎖された。その後、CBSニュースのスタッフの間で、次々と陽性が確認された。クラスターが発生していたとみられる。このため、未だに支局への立ち入りはできない。万が一、近くで感染者が出たら、と想定はしていた。だが、実際に起きたことで、このウイルスの存在について、より現実味を持って感じることになった。

12日には、マーケットが大きく反応。ダウは史上最大の下げ幅を記録した。さらに、クオモ州知事は、ニューヨーク観光のハイライトであり、文化の象徴でもあるミュージカルを休演とした。

写真 ミュージカル休演1

写真 ミュージカル休演2

翌13日には、トランプ大統領が「国家非常事態宣言」を発出。ニューヨーク州では、感染者が421人にのぼり、市内では154人となった。翌週の月曜日、16日からは、公立学校の閉鎖を決定。さらにレストランやバー、カフェでの店内飲食を禁止した。世界有数の繁華街であるマンハッタンからレストランの灯火を消すという強行的な措置であり、ここまでは素早い対応に見えた。(16日の感染者数は、州950人、うち市463人)

写真② ニューヨーク近代美術館 閉館

(MOMAニューヨーク近代美術館も閉鎖)


「遅すぎた」行政命令…なぜ?

次の焦点は、「外出禁止」がいつ出るのか、そのタイミングに移った。実は、いま振り返れば、ある“政治的な対立”によって、重要な判断が遅れた可能性もある。

レストランの店内飲食が禁止されると、ニューヨークに、いよいよ、「shelter-in-place=屋内退避」が出されるのではないか、とネットなどで話題になり始めた。CDC=米国疾病管理予防センターのサイトには、「原子力発電所の事故や放射性物質をまき散らす爆弾の爆発などがあった場合、自宅や避難所に待機を求められること」との説明もあるが、「shelter-in-place」は、米国では冷戦時代の核戦争を想起させる措置と言える。
この「shelter-in-place」について、ニューヨーク市のデブラシオ市長が17日、「48時間以内に発令の是非を決めたい」と語った。これに対し、最終決定権を持つクオモ州知事が猛反発したのだ。
「私は、shelter-in-placeなど認めない。人々を怖がらせるだけだ。そうだろう?隔離、というのは、家を出られないということだ。恐怖やパニックは、ウイルスよりも大きな問題だ」と語った。
この二人、クオモ州知事とデブラシオ市長は、数年前から政策などで激しく対立を続けている。今回の大統領選で民主党の指名候補争いに、デブラシオ市長が立候補したが、政治的な野心を持つ知事と市長は、「ライバル」と目されている。

クオモ州知事は、言葉通り、外出禁止にまで踏み込まなかった。18日には、「50%の従業員」に、原則、在宅勤務を義務付ける行政命令を発表。若干、緩やかに始めようとしたものの、翌19日には、「75%の従業員」にまで拡大。さらに20日には、「100%」への変更を発表し、22日午後8時からの発効とした。「shelter-in-place」という言葉こそ使わなかったが、結果的には、必要不可欠とされる業種を除いた全ての就業者に在宅勤務を義務づけ、罰則はないものの、できる限りの自宅待機を求めることになった。デブラシオ市長の提案から、はや「5日間」が経過していた。
ニューヨーク州の感染者は23日に2万909人、死者は157人だったのが、さらに急増し、4月1日には8万人を超え、死者も2000人に迫っている。(感染者8万3712人・死者数 1941人)初の感染者が確認されてから、わずか1ヶ月の間に起きた、まさに“感染爆発”である。当地に身を置いて、毎日発表される数字に怖れを覚えるほどだった。

こうした事態になった要因のひとつとして、「在宅勤務の義務化などの外出制限令」のタイミングが遅すぎたのではないか、という指摘が出ている。
その根拠の一つが、カリフォルニア州との比較だ。まず大都市のサンフランシスコ市が17日未明から、州全体でも19日から、原則として市民の外出を禁じる措置に踏み切っていた。この後、カリフォルニア州では、感染者、死者ともに急増することなく、4月1日現在で、感染者が8155人、死者は171人に留まり、ニューヨーク州と比較して10分の1程度となっている。
「外出禁止」を出すタイミング、つまり、わずか「5日間」の差が、その後のニューヨークとカリフォルニアでの推移に大きな差を生んだのではないか、という見方が専門家らから出ている。
 
「ニューヨークで起きていることは、皆さんが、3週間後、4週間後、5週間後に経験することです。ニューヨークは、皆さんの将来の姿なのです」
クオモ知事は、会見でこう語った。しかし、東京や大阪などの日本の大都市を“第二のニューヨーク”にしてはならない。確かに、レストランやオフィスを閉めず、外出を禁ずることもなく、感染をうまくコントロールしながら、経済活動を続けられるのが望ましいだろう。ただ、もし、これが破綻して、舵を切る可能性があるのなら、ニューヨークの先例を教訓とすべきだ。


医療体制の備えは?

さらに、重要なのは、再三指摘されている通り、医療体制の備えである。ニューヨーク・コロンビア大学メディカルセンター循環器内科助教授・指導医の島田悠一医師に話を聞いた。

写真③島田医師


―病院の現状について教えてください。

島田医師:
いま患者さんは、かなり増えています。特に3月16日の週から急に増えた印象があります。救急には、新型コロナの患者が溢れています。救急車が次々と到着し、同僚の話によれば、2001年の911、アメリカ同時多発テロと同じような救急車の出動頻度だと聞きいていますが、これからも数週間続いていくわけです。また、ICU=集中治療室には重症の患者さんが多数入院しています。限界に近づきつつある、という印象を持っています。

―ICU、人工呼吸器の状況は、いかがですか?

島田医師:
当院では、もともとICUが100床ほどあります。さらに、足りなくなった場合には、手術室や手術室の前室・後室などをICUとするなどの工夫をすることで対応する方針です。今後、この数で対応できるかどうかは、感染者数の増加に依ります。

人工呼吸器については、今のところ、ぎりぎり足りている状態です。当院には、現在、300人以上の陽性患者が入院していますが、そのうち75人がICUに入り、人工呼吸器は、ほぼフル稼働の状態です。今後、足りなくなることも想定しなければならないかもしれません。1台の人工呼吸器を2人で分けて使用することも認められましたので、そうしたこともあり得ます。また、倫理的な課題になりますが、最重症の患者には使わない、という選択も検討することになりかねません。

―日本での様子をニュースなどでご覧になって、日本の皆さんに伝えたいことはありますか?

島田医師:
どうか油断しないでいただきたい。このウイルスは人間が油断した隙に入り込むウイルスとみています。感染予防には、マスク、手指の消毒に加えて、言われていますように、『3密』(密集、密着、密閉)を避けることです。いまの東京は、1日の新規患者数や人々の行動を見ると、3月12日頃のニューヨークに似ていると感じます。気を抜くと、ニューヨークのようになりかねません。ニューヨークでは、若い方が高齢者に感染させ、高齢者が亡くなっているというのが実情です。特に若い方には慎重な行動を求めたいと感じています。生活の維持には必要のない行動はできるだけ避けることが重要です。

ニューヨークの医療現場にいる島田医師からの“日本への警鐘”である。

安倍首相は2日、国会で「人工呼吸器を8000個以上確保している」として、医療体制の強化に取り組んでいることをアピールしたという。ただ、人口2千万人弱のニューヨーク州さえも、ピーク時には3万台以上が必要とされている。州には、現在4000台しかなく、慌てて調達を進めている。ICU=集中治療室も足りない。4万室が必要とされるが、現在3000室しかないという。日米ともに、待った無し、の状況ではないか。

日本は、このウイルスとどう闘っていくのか?日本独自の対策を今後も貫けるのか?取り返しがつかない事態にならないよう、一層のスピード感を持って、先手先手で進めていく必要があるだろう。
                        

萩原 顔写真サイズ小

ニューヨーク支局長 萩原 豊 

社会部、「報道特集」、「筑紫哲也NEWS23」、ロンドン支局長、社会部デスク、「NEWS23」編集長、外信部デスクなどを経て現職。アフリカなど海外40ヵ国以上を取材。