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~娘は「甲」でも「乙」でもない~  相模原殺傷事件の被害女性、美帆さんの母が手記を公表(全文※原文ママ)


神奈川県相模原市の障がい者施設「やまゆり園」で入所者ら45人を殺傷した罪などに問われた植松聖被告の初公判が8日、横浜地裁で行われました。初公判で植松被告は謝罪の言葉を述べたあとに口の中に手を入れるなどして暴れ、法廷は一時騒然となりました。初公判では、プライバシー保護のため、ほとんどの被害者が「甲」「乙」などと記号で読み上げられる異例の措置がとられました。そんな中、「甲のA」とされた女性の遺族は、初公判にあわせ娘の写真と名前を初めて公開しました。

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大好きだった娘に会えなくなって3年が経ちました。
時間が経つほどに会いたい思いは強くなるばかりです。
会いたくて会いたくて仕方ありません。
本当に笑顔が素敵でかわいくてしかたがない自慢の娘でした。
アンパンマン、トーマス、ミッフィー、ピングー等のキャラクターが大
好きでした。
音楽も好きでよく“いきものがかり”を聞いていました。
特に“じょいふる”が好きでポッキーのCMで流れると
リビングの決まった場所でノリノリで踊っていたのが
今でも目に浮かびます。
電車が好きで電車の絵本を持ってきては指さして
「名前を言って」という要求をしていました。よく指さしていた
のは、特急スペーシアと京浜東北線でした。
ジブリのビデオを見るのも好きでした。特にお気に入りは
魔女の宅急便と天空の城ラピュタ。他のビデオも並べて
順番に見ていました。

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自閉症の人は社会性がないといいますが、娘は、きちんと
外と家の区別をしていて、大きな音が苦手でしたが、学校では
お姉さん顔をしてがんばっていたようでした。
外では大人のお姉さん風でしたが、家では甘ったれの末娘でした。
児童寮に入っていた時、一時帰宅すると最初のうちは
「帰らない、寮にいる」と帰るのを拒否していました。
写真を見せて「寮に帰るよ」と声かけすると、一応車に乗り
寮の駐車場に着くものの車からは出てきません。
「帰らない」と強く態度で表していました。パニックをおこして
大変だったけれどうれしい気持ちもありました。2年くらいは続いて
いましたが、それ以降は自分は、寮で生活するということが
わかってきたようで、リュックをしょって泣かずに帰っていくように
なりました。親としては淋しい気持ちもありましたが、お姉さんに
なったなあといつも思っていました。
月1くらいで会いに行き、コンビニでおやつと飲み物を買い
一緒にお庭で食べるのですが、食べおわると部屋にもどる
ことがわかっていて、食べている間中、「歌をうたって」の
お願いをされ、よく、アンパンマンの“ゆうきりんりん”と
ちびまるこちゃんのうた、犬のおまわりさん等うたっていました。
私のうたをB.G.Mにしておやつをおいしそうに食べていました。
自分の部屋にもどる時も「またね」と手を振ると自分の腰
あたりでバイバイと手を振ってくれていました。
泣きもせず、後おいもせず部屋に戻っていく後ろ姿を見ていると
ずいぶん大人になったなと思っていました。
美帆はこうして私がいなくなっても寮でこんな風に生きて
いくんだなと思っていました。

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人と仲よくなるのが上手で、人に頼ることも上手でしたので
職員さん達に見守られながら生きていくんだなと思っていました。
言葉はありませんでしたが、人の心をつかむのが上手で何気に
すーっと人の横に近づいていって前から知り合いのように
接していました。皆が美帆にやさしく接してくれたので
人が大好きでした。人にくっついていると安心しているようでした。
美帆は一生懸命生きていました。その証を残したいと
思います。恐い人が他にもいるといけないので住所や
姓は出せませんが美帆の名を覚えていてほしいです。

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どうして、今、名前を公表したかというと
裁判の時に「甲さん」「乙さん」と呼ばれるのは嫌だった
からです。話しを聞いた時にとても違和感を感じました。
とても「甲さん」「乙さん」と呼ばれることは納得いきません
でした。ちゃんと美帆という名前があるのに。
どこにだしても恥ずかしくない自慢の娘でした。
家の娘は甲でも乙でもなく美帆です。
この裁判では犯人の量刑を決めるだけでなく
社会全体でもこのような悲しい事件が2度とおこらない
世の中にするにはどうしたらいいか議論して考えて頂きたい
と思います。
障害者やその家族が不安なく落ち着いて生活できる
国になってほしいと願っています。
障害者が安心して暮らせる社会こそが
健常者も幸せな社会だと思います。

2020年1月8日
19才 女性 美帆の母