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佳境を迎えた福島第一原発事故 東電元幹部強制起訴裁判 16日から被告人質問

テレビユー福島(元TBSテレビ解説委員)
桶田敦

*本原稿は放送レポート275号に寄稿したものに加筆修正を加えたものです。

 東京電力福島第一原発(以下、第一原発)事故を巡って、東京電力(以下、東電)の勝俣恒久元会長ら旧経営陣3人が強制起訴された裁判。検察は一旦国や東電の責任を認めず不起訴としたが、2度にわたる検察審査会の議決で、東電の旧経営陣3人が強制起訴となって去年6月に初公判が開かれた。
起訴状によると、勝俣恒久元会長、武黒一郎元副社長、武藤栄元副社長の旧経営陣3人は、第一原発を巨大津波が襲うことを予見出来たのに適切な対策を取らず、福島県大熊町の双葉病院の入院患者ら44人を避難の過程で死亡させたなどとして、業務上過失致死傷の罪に問われている。東京地方裁判所で開かれた初公判で3人は、事故を起こしたことを謝罪した上で、「原発事故は予測できなかった」としてそれぞれ無罪を主張した。

 この裁判は、当然のことながら福島県内では関心が高く、テレビ、新聞各ローカルメディアは毎回傍聴し記事にしてきている。筆者も2年前にTBSからテレビユー福島に移籍して原発事故関連の取材を中心に記者活動を行っているが、初公判直前には報道特集で放送(2017年7月1日)するなどこの裁判も注目してきたもののひとつだ。本稿では、この間、29回(10月3日時点)にわたって行われた裁判の傍聴記録や周辺の取材を元に、原発事故の真相がどこまで明らかになったのかをレビューする。

報道特集 2017年7月1日放送「東電元幹部初公判 事故は予見できたのか」


最大の争点は「津波予見性」と「結果回避可能性」

 今回の裁判の最大の争点は、第一原発に、東北地方太平洋沖地震で発生した15メートルの津波が押し寄せる可能性を東電は予見できていたのか、という「津波予見性」にある。さらに、津波を予測できたとして、事故までの間に対策を取ることができたのかという「結果回避可能性」の2点だ。この2つが認められて初めて「業務上過失致死傷罪」が立証されるからである。

 第一原発事故を巡って、福島県の住民などが、事故の翌年、国や東電の旧経営陣ら40人余りの刑事責任を求める告訴を行った。だが、検察は2013年9月に告訴を退け、全員不起訴処分にした。その際の不起訴理由は以下の通りである。

-「巨大な地震や津波を予測したものは裏付けるデータが十分でないという指摘もあり、制度の高いものとは認識されたとはいえない。専門家の間で今回の規模の地震や津波が具体的に予測できたとまでは認められない」
-「実際の津波は東電の試算とは異なる方向から押し寄せており仮に試算に基づいて防潮堤を設置しても防ぐことができたとは認められない」としたうえで、
-「仮に必要な機材を高台などに移す措置を取ったとしても工事や手続きには時間がかかり今回の地震や津波の発生までに対策を終えることができたとは認めがたい」として、不起訴としたのである。
 そして、その後の強制起訴により、本裁判では、公判前整理手続きにより「巨大な津波を予測できたのか」を主な争点として裁判が進められることになった。

地震調査研究推進本部「長期評価」の信頼性を巡って

 裁判は、去年6月30日の初公判で起訴状の朗読、被告らの罪状認否が行われた後、一時休廷。およそ半年かけて証人の選定などが行われた。そして、今年1月26日に2回目の公判が開催され、以降集中的に審理が行われている。この間、東電社員や東電の子会社で津波の試算を行った東電設計の社員、津波や地震の研究者らが証言台にたった。

 最大の争点である「津波予見性」については、地震調査研究推進本部(以下、推本)の「長期評価」に対する信頼性が論点となり、検察官役の指定弁護士、被告弁護側双方が激しく争った。
 では、なぜ国の機関であるが公表した「長期評価」の信頼性が争点になったのだろうか?ここでは「長期評価」について押さえておく。

 「長期評価」とは、2002年に推本の地震調査委員会によって公表された「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価」だ。推本は、1995年の阪神・淡路大震災後、地震に関する研究の成果が国民に伝わっていなかったという反省から新設されたもので、地震活動の評価を行う地震調査委員会とその下に長期的な観点から地震の発生可能性の評価を行う長期評価部会がある。当時の長期評価部会長が島崎邦彦東大地震研教授(当時)で、この「長期評価」をとりまとめた。

島崎邦彦東大地震研名誉教授

 「長期評価」では、三陸沖北部から房総沖の海溝寄りの海域で、30年間に20%の確率でマグニチュード8.2前後の津波地震が発生すると予測している。その根拠としては過去400年間に、1611年慶長地震、1677年延宝地震、1896年明治三陸地震の三つの津波地震が発生したことを挙げ、30年発生確率はこれらの地震の発生頻度により、さらに地震の大きさは明治三陸地震の値にもとづいている。日本海溝で発生する津波地震は、太平洋プレートの沈み込みによって発生し、津波被害の記録などから、1611年と1896年の津波は海溝北部、1677年は海溝南部で発生したと推定し、海溝の北部・中部・南部には、地形など大きな違いはみられないことから、津波地震は日本海溝どこでも発生すると判断された。

 しかし、この「長期評価」を公表する直前に、委員会を所管する文科省内である動きがあったと、島崎氏は述べている。 それによると、「公表直前に委員会の審議を経ることなく、表紙に一段落が加わった。『データとして用いる過去地震に関する資料が十分に無いこと等による限界』を考えて、『防災対策などの評価結果の利用にあたって』は注意するようにとの内容。内容に問題がないものの、発表直前に電話で了解を求められたことに違和感。筆者はこの段落の挿入にあくまで反対した」とある。さらに公表後には、「『大竹政和東北大教授から信頼度が低い』との意見や、地震調査委員会の場で、阿部勝征委員長代理(東大教授)から『長期評価が防災対策側とのフリクションの原因になっている』との発言があった」ということである。その結果、地震調査委員会では「長期評価」について、信頼度を付することになり、「日本海溝付近」の津波地震については、発生領域C、規模A、発生確率C(A~D、Dが最も信頼度が低い)となった。

原子力発電所の津波評価と対策

 こうした、国の防災上の観点からの評価とは別に、土木学会によって原子力発電施設への津波評価が行われている。土木学会は、1999年に電力事業者から委託を受けて原子力土木委員会に学識経験者や電力関係者から構成される津波評価部会を設置した。2002年に「津波評価技術」を公表し、津波水位を推計するための標準的な手法を示したのである。だが、そこに用いられる津波地震は、それぞれの海域で過去に発生した最も大きな(既往最大)津波で、第一原発においては、O.P.(小名浜港における海水面高さ)+5.7m(2002年)だった。

 ところが、2006年9月、原発施設の新しい耐震設計審査指針(以下、新指針)がまとめられたことで、第一原発の津波評価について問題が生じてくる。すでに許可を受けた原発についても、この新指針に基づいて耐震バックチェックを行うことが電力会社に求められたのである。新指針には、「地震随伴事象に対する考慮」として、津波について記載されており、「施設の供用期間中に極めてまれではあるが発生する可能性があると想定することが適切な津波によっても、施設の安全機能が重大な影響を受けるおそれがないことを(中略)十分考慮した上で設計されなければならない」という文言が加わった。つまり、数万年に一度起こるかもしれない「活断層」上に、原発建屋などの重要構造物を建設できないのと同様、数万年に一度の津波に対しても原発の安全性を求めたのである。

 共同通信の鎭目記者の取材によると、当時の原子力安全委員会(現原子力規制委員会)も電力会社に強くバックチェックを求めていたことがうかがえる。「電力会社に対し水間氏(筆者注:原子力安全委員会審査指針課長)は『3年以内(13ヵ月に1回行う定期検査2回以内)でバックチェックを終えてほしい。それがダメなら原子炉を停止して再審査』と、強くもとめたという」(漂流する責任―原子力発電をめぐる力学を追う「科学」2015年12月号)。

東電の対応 ―裁判での証言から

 こうした背景がある中で、東電が当時どのような対策をとろうとしてきたのかが、裁判の中で明らかにされていった。

 2月28日に行われた第4回公判では、事故の3年前の2008年3月に15.7メートルの津波想定をまとめた東電設計の責任者が証言した。それによると、「東電は、2007年に起きた中越沖地震で柏崎刈羽原発が被災し長期の運転停止を余儀なくされていた。その対応の過程で第一原発の耐震バックチェックが問題となり、東電設計に津波の再評価が委託された。バックチェックでは、最新の知見も取り入らざるを得ないことから「長期評価」に基づいて、福島県沖に明治三陸地震を想定地震としておいて津波計算を行った。その結果、津波の高さは第一原発の敷地で最大15.7メートルに達することがわかり東電に報告した」という。さらに東電の担当者からは、「計算条件を変えるなどして津波の高さを低くできないかと検討を依頼されたが、土木学会での津波評価手法なので条件は変えられない」と答えた。

 さらに、4月10日の第5回公判では、東電側の津波対策の担当者が証言した。社員は、福島県沖に明治三陸地震を想定することに対し、「権威ある組織の評価結果なので、想定の見直しに取り入れるべきだと思った」と証言した。そして、2008年6月に、15.7メートルの津波想定を武藤元副社長に報告したが、7月になって「土木学会に再評価の検討を依頼すると告げられ、津波対策を進めると思っていたので予想外で力が抜けた」と語った。

 このように、東電が福島県沖の津波地震を想定に取り入れることを留保したことについて、翌11日に開かれた第6回公判では、「複数の専門家から、『無視するならそれなりの証拠を示す必要がある』と指摘を受けたことが別の東電社員の証言で明らかとなった。現場の担当者は「長期評価」を取り入れるべきと考え、第一原発で原子炉建屋が建っている高さ10メートルの敷地に津波が流入する可能性を十分に認識していた。その上で、現場レベルでは15.7メートルの津波を前提にした対策を講じる準備を始めていたのである。

 また、「長期評価」による津波予測を取り入れないと原発の安全審査が認められるのは難しいと思っていた(6月20日第18回公判 東電社員)」との証言も飛び出した。

 一方、津波対策では、15.7メートルの津波から第一原発を守るための防潮堤対策も検討されていた。「防潮堤の行程や費用を検討した結果、完成までおよそ4年、費用は数百億円かかるという試算が出た。この検討結果を武藤元副社長に報告したが対策は進まなかった」(7月11日第20回公判 東電社員)。

 このように現場は一貫して「対策は必要」というだという前提で検討を進めていたのである。だが、武藤元副社長ら幹部あるいは経営陣は、当時、対策にかかる費用と柏崎刈羽原発が停止していたことによる電力供給確保のために、津波対策で第一原発まで停止させることを危惧していたと推測される。そうした経営側の考えが、思いもよらない形で明らかになった。それは、9月5日に開かれた第24回公判だった。この日、東電の元経営陣が強制起訴される前に検察が津波対策のトップである幹部社員山下和彦氏を聴取した供述調書4通が証拠として採用 され、およそ2時間にわたって読み上げられた。

 山下氏は、調書によれば、2007年に新潟県中越沖地震対策センターの所長に就任。柏崎刈羽原発や福島第一の耐震バックチェックなどの対策にあたっていた。因みに、山下氏は、2010年に吉田昌郎氏(故人、事故当時第一原発の所長)の後任として原子力設備管理部長に就任。事故後は技術系最高幹部(フェロー)として第一原発の事故処理にあたっていた。

 山下氏への検察調書によれば、
-「長期評価」に基づく津波対策は、2008年2月16日、勝俣元会長も出席するいわゆる「御前会議」に諮られ経営陣も了承していた。また、3月11日の常務会でも対策方針は 認められた。

-2008年7月31日、武藤氏は一転して津波対策の先送りを決めたが、この理由について、「防潮堤建設など数百億円の対策費用がかかることに加え、対策工事が完了するまで数年間、原子炉を止めることを要求されることを危惧した」とし、「当時、柏崎刈羽が全機停止していて火力発電で対応していたため収支が悪化していた。福島第一まで停止したら更に悪化する。そのため福島第一の停止はなんとか避けたかった」

-想定される津波高さが当初は7.7m以上と説明を受けていた。だが、実際には15.7mと報告を受けた。「10mを超えない数値であれば、対策を講じる方針は堅持されていただろう」

-2008年6月、武藤氏から「なんとか津波の想定の高さを下げられないか」と検討を指示された。
そして、土木学会に検討を委託し、事実上の津波対策を「保留」するように武藤氏から指示を受けた際、

-山下氏は「バックチェックの審査で認められない」と思ったが、「武藤氏から審査に関わるような有力な学者から了解をもらえるよう『根回し』を指示された。

 今回の一連の裁判で、武藤元副社長は「御前会議で新たな津波対策の必要性などは議論されていない」と主張してきた。だが、山下氏の調書には、津波対策が常務会という最高意思決定機関で了解されていたことがはっきりと記録されている。

推本の「長期評価」についても、2002年公表当時議論はあったが、2009年3月に「長期評価」が改定された時点においても、三陸沖北部から房総沖の海溝寄りプレート間大地震(津波地震)について震源域は、「1986年の明治三陸地震についてのモデルを参考にし、同様の地震は三陸沖北部から房総沖の海溝寄りの領域内のどこでも発生する可能性がある」と、その評価は変わっていない。

重い当事者の証言

 9月18日に行われた第26回公判では、今回の訴因となっている、避難させられた患者が入院していた双葉病院の関係者が証言した。先に避難先のいわき市に着いて、患者の看護に当たっていた看護師が、後発で到着したバスの扉を開けた瞬間、「異臭がして衝撃を受けた。座席に座ったまま亡くなっていた人もいた。」と証言した。また、検察官役の指定弁護士の「地震と津波だけなら患者は助かったと思うか」との質問に対し、「医薬品とかの
ストックはあったので、病院が(地震で)壊れて大変な状況でも助けられた」と供述した。原発事故がなければ避難することもなく、患者らが亡くなることはなかった、との認識を示したのだ。こうした双葉病院の関係者の証言に対し、被告弁護側は反対尋問を行うことはなかった。

 また、病院からの患者の搬送に立ち会った自衛官の検察調書が読み上げられ、「患者の搬送中、線量計が鳴りっぱなしですでに積算で3ミリシーベルトに達した。」「もうダメだ。逃げろ」という声がかかり、患者の搬送を中断しなければならなかった切迫した様子が明らかにされた。

 ここまで裁判を傍聴してきて、今回の裁判の争点である「津波予見性」と「結果回避可能性」は十分立証されているのではないかと感じる。だが、裁判には絶えず反証がつきまとう。証人の証言を裁判官がどのように受け止めるか、だ。それは、メディア側にも言えることである。9月7日第25回公判で東北地方における地震学の第一人者である東北大学の松澤暢教授が証言にたった。松澤氏の「長期評価」について考え方が各メディアの見出しとなったが、そのとらえ方は各メディアで異なった。

NHK「乱暴な議論だがどこかで判断しなくては防災対策は始まらない」

FCT(日本テレビ系)津波試算「乱暴な議論」信頼性否定 長期評価「正しいとは思わない」

TUF(TBS系)「長期評価の妥当性を認める」

FTV(フジテレビ系)「地震は予見できなかった」

KFB(テレビ朝日系)「地震予見できなかった」弁護側を支持

福島民友新聞  長期評価「不確実性高い」

福島民報新聞  国の大津波予測「妥当」

河北新報  大津波を警告の長期評価は妥当

一人の研究者の証言内容がメディアによってこれだけ捉えられ方が違うのである。このことは、今後の裁判においてどのような結論が得られるのか予断を許さず見続ける必要があることの裏返しだともいえる。

国の責任を問う

 最後に、「長期評価」について国の中央防災会議は、「日本海溝付近どこでも明治三陸地震級の津波地震が発生する」とした島崎氏らがとりまとめた結論を退けた。2006年に中央防災会議で日本海溝沿いの地震対策がとりまとめられたが、被害想定は、過去に起きた三陸北部地震(M8.4)、宮城県沖地震(M8.2)、明治三陸地震(M8.6)の三つの地震が対象となり、これまで地震の発生が知られていない福島県沖より南の日本海溝地域での津波地震を想定することはなかった。結果として、東日本大震災後の中央防災会議では「従来の想定に基づいた防災計画が進められてきたが、このことが一部地域において被害を大きくさせた可能性もある」と、これまでの対策について反省の弁を述べている。

 福島第一原発事故を巡る一連の裁判で、民事訴訟では国の責任を問う判決が各地で出されている。だが、国策といわれる原発で事故が起きても誰一人として国の担当者はその責任を問われていない。原子力安全・保安院が、新指針に基づくバックチェックを当初の予定通り2009年までに終えていたら、事故を防ぐことは可能だったに違いない。中央防災会議が「長期評価」を取り入れて、日本海溝沿いでの津波対策を指示していれば、第一原発の事故はもとより、1万5000人もの人が津波の犠牲にならずに済んだかもしれない。
東電元幹部への裁判を通じて私たちが学ぶべき教訓は数多くある。

2011年3月11日 第一原発を襲う津波(TUF情報カメラより)