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『太田光が問う!選挙SP』太田光・小川彩佳×中村喜四郎議員

爆笑問題・太田光と『NEWS23』小川彩佳が初タッグ!
21年3月に一部地域で放送された『太田光が問う!選挙SP』から、選挙14戦”無敗の男”中村喜四郎議員へのインタビュー部分を公開します。

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小川:
 さぁ、太田さん。これから、滅多にテレビに出演しない大物政治家との対談です。民放地上波の番組でのこうした単独インタビューというのは、これが初めて。

太田:
はじめて?これは、ありがたいね。

小川:
大変貴重な機会で。間もなく到着されると言うことで・・・

太田:
凄い部屋だもんね、ここ・・・

小川:
国会議事堂が見える

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太田:
あーどうもどうも。初めまして太田です。

中村:
中村です。

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太田:
よろしくお願いします。

「選挙の強さ、その秘密とは?」

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“選挙の鬼”、“無敗の男”。そして、“田中角栄、最後の愛弟子”数々の異名を持つ大物政治家。中村喜四郎衆議院議員、71歳。選挙14戦無敗、圧倒的な強さを誇るその人生は波乱万丈。天国から地獄へ…、そして、執念の復活!中村喜四郎は、いかにして“選挙の鬼”となったのか?

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その始まりは、1976年。27歳の時に地元・茨城から衆院選に出馬し
トップ当選するとその後も選挙に勝ち続け…40歳の時には、科学技術庁長官として、戦後生まれ初の入閣を果たす。さらにその3年後には、宮澤内閣で建設大臣に抜擢。しかし…

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1994年、44歳の時に、ゼネコン汚職事件をめぐり、あっせん収賄容疑で逮捕…。人生の大きな転機を迎える…。喜四郎は、自身の無実を信じ、検察の取り調べに対し、20日間の完全黙秘を貫くなど、徹底抗戦の構えを見せた。その後、実刑判決が確定し服役するも…2005年、56歳で臨んだ衆院選に、無所属で当選し、国政に復帰。そして、現在に至るまで、選挙負け知らず!いつしか“選挙の鬼”と呼ばれるようになった。その喜四郎に去年、大きな動きが!71歳にして突如、立憲民主党に合流!26年ぶりの政党所属となり、永田町をざわつかせたのだ。

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動き出した“選挙の鬼”は、今、何を考えているのか?そして、14戦無敗…その強さの秘密とは?

太田:
 もうみんなびっくりしてるんじゃないすか、政治家の人たち。あの中村喜四郎がテレビに出てるぞっていう。何か心境の変化があったんですか?

中村:
 自民党がここまでやり過ぎているんで、やり過ぎている時に野党に行って、そして言葉を発して、特に弱い野党を少しでも強くできるようにやるのは、やっぱり日本のためになると。この時期だと。

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小川:
 ちなみに、爆笑問題の太田さんに、どんな印象を喜四郎さんはお持ちですか?

中村:
 憲法に対する本を出されていたり色々、私も、このお話があったんで国会図書館から2冊、太田さんの本を借りまして、そして読んで、大変社会問題に対して、鋭く捉える力があって、そことお笑いとが兼ねると、若い人に人気あるのは・・・

太田:
いやいや、ないんですよ、それが。全然人気がなくて困ってるんですよ。ありがたいですね、でも。

「勝つために中村喜四郎に改名」

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“選挙の鬼”中村喜四郎の強さの秘密!
そこには、勝利にこだわる徹底した活動と揺るがない信念があった…。

小川:
まずは、勝つために”中村喜四郎”に改名。喜四郎さんは、23歳の時、次の選挙に初出馬されるために、戸籍ごとお父様のお名前、“喜四郎”を襲名された変えられたんですね
     
中村:
それは父親の最後の死に際っていうのに、非常に私なりに重く受け止めて、
臨終っていうことで、病室に入れられたときに、兄が、最後の元気を出させようと思って、私(=喜四郎氏)が政治家になるまでは頑張れっていうようなことを言ったときに、「努力あるのみ」「悔いはない」と言って死なれたもんですから、私なりに、これは重いなと。忘れないためにはどうするかと。この名前をもう1回世に出してみようという気持ちになったんですよね。自分が魂を継いで頑張るという気持ちになったんですよね。

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太田:
侍ですね。

中村:
いやいやいや、そういう意味じゃなくて

太田:
女性にとってとか関係ないのかもしれないけど、男にとって親父って、やっぱり強烈なんですよね。俺も親父とはほとんど疎遠だったけど、親父が死んだときに、もうちょっと親孝行できれば良かったなというのが、そんなこと思う人間じゃないのに。

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太田:
なんですかね、父親の死っていうのは自分の中に親父が入ってくるような感覚というのは、確かに感じましたね

参議院議員だった父親の死をきっかけに、名前と遺志を継ぎ、政治家・中村喜四郎として生きていく決意をする。

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小川:
この改名の効果というのは実感されましたか?

中村:
まず、昔は地盤・看板・カバンと三つの条件がないと、なかなか衆議院議員に立候補するってのは難しいと言われてた。で、その看板を使ったと。地盤とかお金はなかったんで、もう名前だけは、死んだ人の名前使えば、それは「これどういう関係だ?」って言って、すぐ興味持ってもらえる。

小川:
名刺代わりになって

中村:
そこで興味を持ってもらう、そしてもう一つは自分としては、名前まで継ぐほど覚悟してるんだから、真剣だと、冗談じゃないっていう。甘い気持ちはないっていうような気持ちをやっぱり自分としては示したかった。ですから、そういう点では、いっぺんに名前を覚えてもらえたし、関心を持ってもらった。あとはどれだけのやる気、能力があるかということを試される。

太田:
だから、結構戦略的ですよね、そういう意味では。

「選挙活動はオートバイで1日12時間」

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こうして1976年、亡き父への思いと戦略的な選挙活動で衆院選で初当選を果たした喜四郎。ここから14戦無敗、“選挙の鬼”と呼ばれていくのだがその代名詞ともいえるのが1日12時間、選挙区をオートバイで駆け回る独特のスタイル!これを40年以上続ける喜四郎には 揺るがない信念と、ある大物政治家の影響があった…。

小川:
凄まじいですよね。1日12時間。オートバイ、選挙区を回る・・・

太田:
 暴走族ですよ。

小川:
こちらの出で立ちで まわられているんですね。

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太田:
月光仮面じゃないですか。

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中村:
 オートバイに12時間乗るっていうことは、街頭演説も1日に30か所から40か所やるわけです。

小川:
30か所、40か所!

中村:
何分単位で人が集まってくれてるところをオートバイでいくわけです。やっぱり遅れるわけですよ。街頭演説をそんなにたくさんやると。予定通りにはいかないから。ひどいときになったら2時間ぐらい遅れるわけですよね。そのときにオートバイで来ると、こんなに頑張ったんだから、仕方ないな遅れたのはということになるわけですよ。

中村:
だから、ゆっくり行っちゃいけないんですよ。やっぱり一生懸命やってるわけだから。急に止まって、急に動いて、必死に飛び降りてくみたいな。

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中村:
そういう部分が2時間も待ってる人のところにね、ゆっくり行って、「どうも、ご苦労さんです」じゃ、「ふざけるな!俺たちは忙しいのに待ってたんだ」と。やっぱ待ってた甲斐があると思ってもらうためには、やっぱりオートバイの乗り方も、降り方も、演説も、握手も、迫力がないと、それは駄目ですよね。

太田:
びゅーっと、スピードできて、きゅっと止まるわけですか。

中村:
そうすると、70、80のおばあさんもおじいさんもガンバレー、ガンバレーって。そこに一体感が出てくるわけですよ。

小川:
それも戦略

太田:
すごい自己演出っていうかね。

小川:
自己プロデュースをね。

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中村:
必死なんだということを、やっぱり選挙民の心に届かせるためには、オートバイってのは私にとっては大切な武器なんですね。最初にそれで選挙に当選したわけですから、これはもう乗り続けないわけにいかないと。途中で降りたら、やっぱり変わったと思われると。普通の人と同じような選挙やってたんじゃ、勝てないと

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小川:
今年も選挙ありますけれどもこのいでたち、オートバイで戦われるんですか?

中村:
もちろん!

小川:
喜四郎さんのこだわりはオートバイだけではありませんで、こちら集会の様子なんですが、フジロックフェスティバルの一番大きなステージみたいな、そんな雰囲気ですけど。

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中村:
選挙区隅々から集まってくれるということで、これだけの人数になる。多い時は1時間くらい集まってもらう人に訴えることもあります

太田:
サービス精神が旺盛ですよね。

中村:
政治家は、やっぱりそれがなかったら政治家なんか価値ないですよ。やっぱり有権者が絶対だと思って頑張らないと。そのためには、やっぱり地に足のついた運動しなくちゃ駄目だと、人の気持ちを動かすためにはやると。どんなことでもやるというぐらいの気持ちじゃなくちゃ。

太田:
確かに、だから選挙の強さに繋がると思うんですけど、やっぱ人をどう楽しませるかとか、どうやって自分を見せるかとか、人の心をどうやって掴むかとか、自己表現ですね。自己表現をどうやって大衆に受け入れさせるかっていうことに、相当こだわりを持ってらっしゃるし

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中村:
そうですね、それは田中(角栄)さんは、非常に人の痛みがわかる人だったですよ、田中角栄さんは。だから、例えば私の母が病気で入院した時に、(角栄自身の)裁判終わった後に見舞いに来てくれて、1時間いるんですから。1時間いると、そらもう来てもらった人も、家族も、「この人すごい」と。「1時間もいる」と。そうしてお見舞い持って来て、「申し訳ない、本当に気持ち」って言って、たまげるようなものを置いていかれると、なんなんだと。人の心をつかむ、鷲掴みにしちゃうわけですね。

太田:
人たらしですね。

中村:
ああいうの見てると、人の気持ちに、どう届くかっていうのは、政治家としてそれがわからなかったら、それは政治家としての価値がないと。

「逮捕後も残った強固な支持者」

有権者の心を掴み、圧倒的な強さで選挙を制する喜四郎だったが1994年、一転して奈落の底に突き落とされる。あっせん収賄容疑で逮捕。一貫して無実を主張し 検察との戦いに突入していくのだが喜四郎には、それでも離れない強固な支持者たちがいたという。当時の心境をこう語る…

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中村:
“中村喜四郎”って名前を汚したと。もう、このままじゃ絶対に退けないと。死んでも戦うと。徹底して戦うんだっていう。せっかく世に出したのに、今度は地に堕ちてしまったと。これじゃ、草葉の陰で(父に)申し訳ないと。 完全黙秘をするのも、もう絶対戦う姿勢は崩さないと。それで拘置所にしばらく勾留されている間に、弁護士を通じて情報を聞いてきたら、「信じてる。頑張れ」というメッセージが後援会の人から返ってきてると。最後まで議員バッジを、自分で投げ出さないで戦ってみせると。そして、現役(議員)のまま刑務所に行くということを目標にして頑張ろうということで、目標を変えてやっていく。そうしたらば、刑務所に行ったらば、刑務所の副所長が出てきて「一つだけ頼みがある」と。「自殺だけはしないでくれ」と、こう言われたんです。ふざけるなと、ここまでが大変だったんだと。早く刑務所に来てけじめつけたかったのに、今更死ぬかと。もう徹底してこうなったら戦うと言って来てるのに。

小川:
完全黙秘、人が変わってしまうんじゃないかなと思うんですけど。

中村:
黙ってた方が、検事のやり方がわかってくる。黙ってると、1週間黙ってると、同じことを聞いてくんですよ。8日目ぐらいになると。そうするとそれがわかると、もう探り合いだから。「中村さん、こんばんは」とか、「こんにちは」とか、「トイレはいつでも行っていいですよ」みたいなことを言われると、ついそれに乗ると人間関係ができちゃうわけですよ。一切喋らなければ、人間関係はもう遮断してるわけだから。

小川:
そうするともう、並の人間だと「もう政界はこりごりだ」と。「ちょっと戻りたくない」っていう気持ちになってもおかしくないと思うんですけど、 そこでまた出馬という選択をされるという

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中村:
私、刑務所で新聞を読んでいたら、補欠(選挙)で出た方が、「次は中村受刑囚が出ると思いますけど」って言ったら、「願うところだ」というコメントで、選挙の当選の時に言ってたんで、私は外でまだ生きてんだなと。「願うところ」と言われるほどの価値がまだあるんだなと。ともなればこれ、相当気合入れて刑務所の生活しないと駄目だなと。1年間、つらいなんて気持ちは全くなかった。

太田:
本当に1回決めたら、もう一生やり続ける人なんでしょうね。全部そうじゃないですか。バイクにしても、何にしてもね。ちょっとだから変態ですよね。

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「有権者とのコミュニケーションの形」

“自分で決めたことをやり抜く…”それは有権者とのコミュニケーションにおいても譲れないものがあるという…。SNSなど、変化の激しい時代の中で喜四郎が大事にしているものとは?太田光が問う!

太田:
今の時代、たぶん言葉だけじゃわからないことって、いっぱいあって、有権者のとこ行って、これこれこうだよって、「今ここが困ってるよ」って言ってる言葉じゃなくてその表情だったり、目の動きだったり、その家族が、どうその人を見てるかとか、そういうことで感じる、感じ取ることっていうのが、実はその人を理解する、一番のものすごい情報量がある。だけど、今の時代、どんどんいわゆるツイッターですとか、 SNS で、政治家もみんなそっちを利用し始める。そうすると、言葉でみんな判断するようになっている。つまり先生のやっていることと逆行するような動きになっているその辺はどうクリアしていこうっていう

中村:
時代に合わせない 自分のやり方に徹する、と。

太田:
合わせないで徹する

小川:
合わせない、と。

中村:
自分のやってきたことがズレるとしたら自分のどこかに油断がある。

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中村:
慢心の気持ちがあるからズレるので、それさえ直せば。だから本当のことを言わないと聞いてもらえない、付き合ってもらえない。だから本当のことを言うためにはテクニックなんか使っちゃだめだということになる。裏表も使わない。どうやってストレートにやるかっていうことに磨きをかけていく。そうしないと政治家は全部長持ちしない

太田:
もう本当か嘘かわからない言葉だけのものを信じるようになってしまっている。それをもう1回、どうやって引き戻すんですか。

中村:
選挙に一生懸命取り組めば、変えられると思うんですよ。ところが、そのやり方に合わせよう、合わせようとするから、結果がどんどんどんどん歪んだ方向に持っていかれしまう。選挙ってのはもっと一人一人の気持ちに届くやり方を、アナログ的にやんなくちゃ駄目なんだっていうことを皆で共有して、愚直に戦い始めれば、変えることはすぐできる。

中村:
政治家として大切なことは、政策じゃないんですよ、人間性なんです。この人は信用できると思ってもらえるようなところまで有権者との距離を縮めないと

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太田:
今やろうとしてることってのは本当に厳しい道を向かってる。

中村:
私は厳しいと思わないですよ。政治家ってのは、もともとそういうもんだと。思うようにいかない中で、どう・・・

太田:
だから、変態なんですよ。喜んじゃってるよ、厳しいことを。

中村:
だって、そう思わないと、どんどんどんどん行き詰まる。苦しいときってのは、やっぱり行き詰まったことは考えないで、どう切り替えるかっていうことが大切。今確かにどうしようもない閉塞感がありますけど、でもやっぱりそれは切り返していかなくちゃならない。

太田:
決まってるわけですもんね。生き方が。俺なんかブレブレだから、どうしよう、SNSやろうかなって思っちゃう。

小川:
コロナ禍っていうので、熱の交換がなかなかできない時代じゃないですか。熱をどんどん放出して、アピールして、人との繋がりっていうのを構築していくっていう喜四郎さんの選挙のあり方が、これから通用していくのかなって。

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小川:
今年の選挙、ああいった大勢の人が集まるイベントのようなこともできないわけですよね。そうした中で、1対1の関係っていうのをこれからどのように築いていくのかなっていうのを純粋に疑問に思います。

中村:
非常に重要なことだと思いますよ。私は次の選挙勝てるかどうかわからないですよ。選挙ってのは、そういうもんですよ。だから選挙は強いとかね、選挙の神様なんて、マスコミが作っているだけで、私はいつも落ちると思っていますよ。だから、私のやり方が通らなくなるかもしれない。その時には落ちるんだと。これはしょうがないんだと。だから、その結果が出るまでは全力を尽くすということでこうやれば勝てるなんて方法がわかるならば、誰も苦労しない。中村喜四郎が敗れたとしたらば、「無敗の男、敗れる」と新聞に書かれるのも、時代の流れだと。先ほど言われたように、変わり者、変態って言われても、何でも、やっぱりそういう生き方を貫こうと思うのは、“あの事件”がなければ、私も迷ったかもしれません。だけど、“あの事件”があったために、失うものはないと。刑務所まで行ったんだから、怖いものはないと。どこまでもやるぞっていう感じになられてるのは、そこまで行かないと、なかなかそんな覚悟が決まらないかもしれない。だから悩むこと当たり前だけど、悩み抜けば必ず道は開ける。こう思いますよ、私は。

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太田:
修行僧、みたいですね。地獄を見た男ですよ。

「野党に合流…その思惑は?」

そんな“選挙の鬼”喜四郎が去年71歳にして、突如、野党「立憲民主党」に合流!自民党一強が続く今だからこそ…喜四郎にあえて厳しく太田光が問う!

太田:
もう僕らは、野党が自民党の文句を言うっていう図式は、もう飽き飽きしてるんですよ。野党が、自民党ができないことをあげたてて、 国会で文句を言うっていうのは、今まで通りに見えちゃうんです、僕には。

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太田:
だとしたら、それができるのは、月光仮面のような中村喜四郎さんが、「もう与党だろうが、野党だろうが関係ないんだ」 「俺がやるんだ!」って…

中村:
いや、それは私がやることによって、全国民にそれを及ぼす影響を持てるかって言ったならば、そういうわけにはいかないですよ。

太田:
それを野党の一人一人に説いて回るわけにはいかないですか。「俺と同じ行動を、おまえらもやれ」と。

中村:
説く必要は無いんです。選挙に勝てばいいんです。数がなくては何にもできない。質問時間だって違う訳ですから。

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中村:
小さな政党なんかね、わずかな時間でおしまいになってしまう。

太田:
ちょっと前まで、「投票率なんか低い方がいい」っていう持論だったんですよ。っていうのは、投票率が高い国っていうのは、国民が政治家に何かを求めなければならない事情がある国だから。そういう意味で言うと、国民は政治になんか興味持たなくても、生活していける国が俺はいい国なんだと思ってたんですね。

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太田:
「そうじゃないんだ」と忌野清志郎さんっていう人が、「そんなこと言ってたらね、君の例えば子供ができたときに、その子供が戦争に行くことになっちゃうんだよ」っていうようなこと言われて、それでも「いやいや」って思ってたんだけど、僕はその人のファンだったもんだから、それで選挙は行くことにしたんです。ただし、僕と同じように、政治家に何かを求めないっていう国民が、すごく増えてるんじゃないかって。選挙、要するに投票率が下がってるっていうことは、それほど政治家に期待しない。っていう国民が増えてるんじゃないかなっていう気がするんです。

中村:
そういう見方もありますけど・・・

太田:
平和にきちゃってますもんね、今まで

中村:
逆に、どんどんどんどん格差が広がってって、諦めさせる政治がどんどん進んでると。そのために投票に行けない、行ってもしょうがない。「どうせ変わらないんだから」と言って、「行かないでくれればいい」と。「行かないでくれればいい」っていうのは、権力側は当然そういうことを考えますよ。それに対して行かなかったらば、どんどん格差が広がるし、弱い人は切り捨てられていくし、地域が崩れていくということを考えていかなくちゃならないんで

太田:
それでこのタイミングなわけですね。

中村:
ですね。

太田:
そういうことですよね。つまり、格差が今広がっていると。こんだけ、コロナになってると。確かに、今これじゃまずいって国民は相当増えてますよね。そうすると、今まで以上に投票に興味を持つ、選挙に興味を持つっていうのは、もしかしたらこのタイミングは、今までとは違うタイミングかも知れないなとは思います。

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小川:
このままでいいのっていう思いを、選挙に向けていただくためにどうすればいいのかというところが、今回、立憲民主党に入党をされて、選挙に向かわれるというところに繋がっているのかなと思うんですけれども、喜四郎さんの話を聞かれていかがでしょうか。

太田:
やっぱり、あの覚悟っていうか、ブレないっていうか頑固だなと思いましたね。でもそれも一つのやっぱり今の時代、どんどん変わらなきゃ、変わらなきゃっていう、生き方変えなきゃいけない。僕もやっぱりそれがなかなかうまくできない。そういう意味ではすごく共感をしましたね。

小川:
何か選挙となると、じゃあ何がしたいのとか、どうしたいのとか、何を掲げてるのとか、そういったところに注目が行きがちですけれども、何かこの人に託したら変わるかもしれないとか、そういう気持ちにさせてくれるような方っていうのを探したりとか、見抜いたりとか、その先にある本質を探ってみたりとか、そういったことも選挙に向き合う上で、大切になってくるのかな、という気持ちにもなりました。

中村:
私もテレビのコメンテーター、ニュースいろいろ見てて、そういう言われたから言うわけじゃありませんけど、正論を言ってるなと。

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中村:
正論を言うというのは、非常にちゃんとしている人もいるなと。こう思っているんで、流されないで、正論を言いながらやってくださいよ。素晴らしいですよ。

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太田:
なんで、最後に口説いてるんですか。

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中村喜四郎議員が次回の衆院選で出馬する予定の茨城7区では、ほかに自民党の永岡桂子衆院議員が出馬予定だ。

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