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米国の抗議デモとキング牧師の夢

■「キング牧師記念日」で見た二人

「憎しみでは、憎しみを無くすことはできない。愛によってしか、できない」

そのホールには、小学生の子どもと親たちが集まっていた。白人と黒人の割合は、およそ半々だろうか。米国では、1月の第3月曜日は、「キング牧師記念日」の祝日とされている。今年は1月20日。この日、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア氏について学ぼうという、子ども向けの催しが、ニューヨーク市立博物館で開かれていた。担当者は、スクリーンに映し出された絵や写真を使いながら、キング牧師の生い立ちから公民権運動などについて、わかりやすく説明する。身を乗り出して聞く子どもも多い。そして、キング牧師の言葉が、いくつか読み上げられた。

「遅かれ早かれ、世界の人々は、共に生きる道を見つけなければならないだろう」 
「愛こそが、世界の課題を解決するための鍵なのです」

写真 市立博物館 ホールと家族連れ

市立博物館には、ニューヨークにおける社会運動の歴史に関する展示も充実している。このなかに「公民権」というコーナーがあり、人種差別などに抗議する過去のデモの写真やポスターなどとともに経緯が解説されている。

写真 市立博物館 「公民権」コーナー

ここに、先程の催しに参加していた子ども達が入ってきた。与えられた課題が記された紙と鉛筆を手に、展示の前に5、6人が集まった。すると、5歳か6歳くらいだろうか、白人の女の子と、黒人の男の子が、隣同士で語らいながら、記入を始めたのである。

写真 市立博物館 黒人と白人の子ども

二人の小さな後ろ姿を見ながら、私はキング牧師の演説の一節を思い出していた。

「私には夢がある。(中略)いつの日か、アラバマでさえ、黒人の少年少女が白人の少年少女と兄弟姉妹として手をつなげるようになるという夢である」

1963年8月28日の演説だ。それから60年近くが経過し、米国は、キング牧師が掲げた「夢」を実現しつつあるのだろうかと、その時は、少しばかりの幸福感、安堵感のようなものを味わっていた。数ヶ月後の「嵐」など予想すらせずに・・・。


■コロナ禍が導火線に

トランプ大統領には、白人保守層を重視する、あるいは白人至上主義さえも擁護する、という印象が強いかもしれない。オバマ前大統領との対決姿勢も、その色合いを濃くするだろう。だが、黒人層を軽視してきたかと言えば、そうでもない。今年2月の一般教書演説では、アフリカ系アメリカ人への訴えが目立った。演説のなかで、トランプ氏は、米国の偉大な人物として、奴隷解放や人種差別に取り組んだ黒人活動家の名前を敢えて挙げている。フレデリック・ダグラス氏ハリエット・タブマン氏、そして、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア氏である。またトランプ氏は、司法制度や学校選択制などで、黒人の若者達の環境を改善する政策にも言及。黒人の貧困率が低下し、失業率も過去最低になったことも強調した。確かに、好調な米国経済によって、2011年から今年2月までに黒人の失業率は16%から5.8%に低下し、統計開始した1970年代以降、過去最低水準となっていた。トランプ政権下での経済成長が、黒人の労働環境を大幅に改善させていると指摘されていた。こうしたトランプ氏のアピールには、11月の大統領選挙での黒人票獲得の狙いがあるとされる。
ところが、コロナ禍が、その環境を一変させたのだ。米国全体の失業者は4000万人以上に達した。特に、黒人の失業率は5月になると16.8%に悪化した。さらに新型コロナによる死亡率も突出している。黒人では10万人あたり54人が死亡しているが、他の人種では20人台で、死亡率は2倍近い。(APRリサーチ)
白人警官が、ジョージ・フロイドさんを拘束し死亡させた映像をきっかけに、コロナ禍が、溜まっていた「マグマ」への導火線となり、抗議デモは全米で拡大した。


■デモに見えた米国の根源的課題

写真 抗議デモ 全体①

ニューヨーク市内であった抗議デモに立ち会ったが、参加者が手にしたボードに記された文言に、この国が抱える根源的な課題を見て取れた。

写真 プラカードを掲げる人々

写真 抗議デモ 「黒人の殺害を止めよ

◆「警察は黒人殺害を止めよ」「警察の予算をカットせよ」
フロイドさん死亡事件の前にも、警察官が黒人を殺害する事件は起きていた。今年3月にはケンタッキー州で、薬物捜査中の白人警官が無関係とみられる黒人女性を自宅で射殺する事件があった。米メディアによると、2019年、警官による射殺の被害者は、全体の23%が黒人だった。黒人の人口比14%を大きく上回る。デモに参加していた20代の女性は、「ビデオに撮影されなかった人は何人いるのでしょうか?」と、フロイドさんの事件は氷山の一角に過ぎないと訴えた。
また大統領選の民主党の指名候補争いで思い出されるのが、マイケル・ブルームバーグ氏への批判だ。ニューヨーク市長時代に推進した「ストップ・アンド・フリスク」という手法が批判の的となった。主に黒人やヒスパニックを対象に、警察官が不審者と判断したら、呼び止めて所持品を検査することを可能とした、市警察の犯罪対策である。今年2月、ニューヨーク市内で行われた「反ブルームバーグ・デモ」には、多くの黒人が参加し、「ブルームバーグ氏は人種差別主義者」とのボードも掲げられた。

写真 「ブルームバーグは人種差別主義者」

米CBSテレビの最新の世論調査では、警察の対応について、57%の人が「黒人よりも白人への対応が良い」と答え、「平等だ」と答えた人は37%に過ぎなかった。黒人に対する警察官の対応には根強い批判がある。
さらに警察組織の在り方にも課題が指摘されている。米メディアによると、米国における警察の予算は、1977年から3倍に膨れ上がっている。『警察権力の軍事化』の著書があるジャーナリストのラドリー・バルコー氏は、警察と軍の境界が曖昧となり、警察官が兵士のような装備を持たされたことで、「本来、警察が守るべき市民を、敵の戦闘員のように扱ってしまう」と、米メディアに語っている。

写真 集会を見守る警察官

◆「白人の利益や所有物より、黒人の命の方が重い」
白人、黒人間の圧倒的な“経済格差”は、全く解消されていない。FRB=連邦準備制度理事会の調査では、2016年の平均的な白人世帯の資産は、17万1000ドル(日本円で約1870万円)に対して、黒人世帯は1万7600ドル(約190万円)と、わずか10分の1に過ぎない。
新型コロナウイルスの感染抑制のために「外出制限令」が出された際、例外として、社会に「不可欠な業務」が指定された。食料品店、ゴミ収集、配達など、社会の基盤を支える従事者に黒人の割合は大きい。外出制限令が出された後も、混み合った地下鉄の車両に乗っていたのは、多くが黒人やヒスパニックの人々だった。
コロナ禍は、不安定な仕事に従事していた黒人層を失業させ、日々食べることもままならない状況にまで追い詰めている。ニューヨーク市では、貧困世帯に1日に約100万食を配達し、市内500カ所の公共施設などで1日50万食を配布している。4人に1人近くが食事に困っているという計算になる。
週末、昼食の時間帯に、市内にある食事の配布場所を訪ねると、行列ができていた。そこで見た限りでも、黒人の姿は目立っていた。

写真 食事配給の施設

「資産がゼロ(あるいは負債)」の世帯は、2016年の統計で、白人世帯の15%に対して、黒人世帯では37%である。失業が食事確保の困難に直結する要因の一つになっている。

◆「人種差別主義は、世界的に拡大している」
今回の抗議デモの怒りの根源には、やはり“人種差別”がある。参加していた女性は、「今も人種差別が存在しているかどうかを議論しなければならない、というのは、人種差別は存在しているということなのです」と訴えた。
FBI=連邦捜査局の統計(2018年)によると、ヘイトクライムは、全米で年間7120件も起きているが、3分の1近くの1943件が、黒人をターゲットとした犯罪だった。米CBSの世論調査でも、「黒人に対する差別があるか」との問いに、「とてもある」「それなりにある」と答えた人は、合わせて81%にのぼっている。



■「略奪・暴力」と「平和的デモ」

6月1日のニューヨークの夜は、一部地区で略奪や破壊行為が横行する異例の事態となった。有名百貨店のメイシーズや五番街のダウンタウンに近い、高級ブランド店も含む多くの店舗が襲撃された。警察車両には火炎瓶が投げつけられ、ゴミ箱にも放火された。こうした場面を捉えた映像は激しく、抗議デモの一部が暴徒化したように見えた。だが、その一方で、日中の行進や集会は、ほぼ全てが平和的に行われている。

「デモと略奪行為は分けて考えなければならない。この2つは状況も動機も、全く異なっている。(行っているのは)違う人々だ」

クオモ知事は会見で、こう述べて、正当な権利に基づく抗議デモと略奪などの犯罪行為を同一視しないよう訴えた。
では、デモに乗じて、誰が略奪や破壊行為を行っているのか?当局の発表や現地ジャーナリストの情報などを整理すると、一つは、「金品目的の集団」。もう一つは、政治的思想を持つ「活動家の集団」の2つの類型に分けられるという。
まず、「金品目的の集団」は、多い場合は数十人のメンバーで構成され、組織的に動くという。夜が近づくと高級店が立ち並ぶマンハッタン島に、ブルックリンやクイーンズ地区などから車両で入り、用意周到に略奪を繰り返す。さらに混乱に乗じて、盗難をする小さなグループもあるという。
一方、「活動家の集団」について、市当局は、組織化された「無政府主義団体」の存在を指摘している。さらに、米メディアによると、団体の所属は不明だが、ニューヨーク市では、警察車両に火炎瓶を投げた疑いで、男女2人の弁護士が逮捕された。男は名門プリンストン大学を卒業した企業法務弁護士だった。またネバダ州のラスベガスで行われたデモでは、「暴力を煽動した」として、極右団体のメンバーとされる男3人が逮捕されている。
こうした集団については、全容は不明だ。ただ、ほとんどの略奪や暴力行為は、黒人の人権尊重を訴えるデモの参加者とは異なる人々によるものと見られている。キング牧師が訴えた「非暴力」は受け継がれているように見える。


■抗議デモの先にあるもの

「予想よりも、はるかに小規模だった」

トランプ大統領が、こうツイートした6月6日、首都ワシントンで、最大規模となったデモの参加者は1万人ほどだった。確かに、2003年のイラク戦争反対デモの「数十万人」に比べると規模は劣る。ニューヨークでもデモが街路を埋め尽くす、といった動きには全くなっていない。だが、一時は全米500以上の都市に広がり、大都市で10日以上にわたって、多くの人が声を挙げる抗議デモの意味は重い。
重要なのは、このデモが何を変えるのか、ということだろう。警察改革では、早くも動きがある。フロイドさんの事件が起きたミネソタ州は、市警察による「首への絞め技」を禁止することになった。ニューヨーク州のクオモ知事は、警察への財源を若者の社会的サービスに回す、警察の懲戒記録の透明性を確保する、市民の声を警察に届くようにする、などといった改革案を提示している。
一方で、人種問題への対応をめぐって、共和党支持者と民主党支持者の間で「分断」が起きている。抗議デモを軍の力で封じ込めようとしたトランプ氏だが、米CBSの世論調査では、「トランプ政権の対応」について、72%の共和党支持者が支持する一方、民主党支持者は4%しか支持していない。分断の溝は、あまりに大きく、何が問題になっているのか、課題の共有も難しいだろう。

キング牧師が命を懸けて闘った「人種差別」「経済的不正義」。双方ともに、暗殺から半世紀が経過してもなお、米国社会に根深い課題として残ったままだ。今回の抗議デモを契機に、“キング牧師の夢”の実現に向けて、米国は大きく前進できるのだろうか。


萩原さん

ニューヨーク支局長 萩原 豊 

社会部、「報道特集」、「筑紫哲也NEWS23」、ロンドン支局長、社会部デスク、「NEWS23」編集長、外信部デスクなどを経て現職。アフリカなど海外40ヵ国以上を取材。