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彼女が欲しい(血涙)

こんにちはタブレトシです。

彼女が欲しい(血涙)

ということで彼女が欲しいという話です。

とりあえず、今までの恋愛系の話から。

僕は恋愛感情についての持論をいくつか展開しており、それらはnoteにまとめている。

基本的にまとめると、

・恋愛感情を見失った。
・彼女という付加価値を求めているようなやつは部屋の隅に蹲って死ね。
・性的欲求を恋愛感情と勘違いしてしまうこと。

しかし、僕の気が変わることが最近ありました。
それは友人の彼女とのイチャイチャ話?惚気話?を聞いた時に羨ましいと思ってしまった。
いや、正確には憧れてしまった。
そこに僕の理想があったからだ。
そして見つけてしまった彼女が欲しいと思える理由に...。


これまでの僕

これまでは、「彼女が欲しいという言葉=彼女がいるというステータスが欲しい。」だと思っていました。まあ偏見なのですが、世の男のほとんどはこれだと思っています。実際問題、彼女いない=恥ずかしいみたいな風潮ありませんか?
例えば、「彼女いない歴=年齢」とか。
そういう言葉って自虐ネタとして使うと思うのですが、それは根は恥ずかしいと思っているからこそ出ると思うんですよね。
そうは思ってなくても、根は彼女がいないと恥ずかしいと思っているのが現実です。
恥ずかしい存在になりたくないのは人間の本質ではありますよね。
なので、彼女というステータス(付加価値)を求めるということ。
しかし、僕はそんな自己のステータスに使うくらいなら、別に彼女はいらないと考えていました。
それはそれとして、好きな人は何人かいました。

しかし、その好きな人は性的欲求から来るものなのかはたまた別のものなのか区別がつかず迷っていました。
性的欲求とはつまるところ容姿とかその辺です。
僕みたいな陰キャオタクは挨拶されるだけで好きになったりするのだが、それも完全に性的欲求から来ている。
このような、性的欲求を恋愛感情と勘違いしてしまうことを知っているからこそ起こる現象。
それが、恋愛感情の疑惑。
一生、自分の恋愛感情を性的欲求から来る偽物だと疑って押し殺し続ける。もはや呪いです。
まあ、それを言い訳に何もしないただのチキン野郎なんですけどね笑

つまるところ、世間は彼女がいる=ステータスと考えている節があるので、それならば僕はいらない。また、性的欲求を恋愛感情と勘違いしてしまう事例を知っているので、逆に恋愛感情を疑ってしまう。
この2つの理由から彼女が欲しいと思っていなかった。

というのが、先月までの考え方だった。
しかし、人間は変わるもの。
色々あって考え方が変わりました。
その結果、「彼女が欲しい(血涙)」という結論に至ったのです。


彼女が欲しいと思ったきっかけ

きっかけは友人のイチャイチャ話。
と言っても、向こうから一方的に語り出したのではなく、僕が知りたくて聞きました。僕は恋愛感情を失っているので、他人の惚気話を接種したかったというだけ。
ちなみに、内容は旅行が楽しかったというもの。
それを聞いている時は、「素晴らしい🙏😭」とか「恋愛において究極系だろ」とか何とか言っていた気がします。
しかし、後から思い返すと1つ気になることを口にしていた自分に気づいてしまいました。

「________羨ましい(小声)」

しかし、勘違いして欲しくないのが、彼女がいるというステータスに羨ましいと思ったのではありません。
彼女と過ごす時間に羨ましいと激しく思いました。
もはや、憧れ。
彼女と過ごす時間に憧れています。
その友人の話はもはや自慢話や思い出話では無い。(少なくとも俺から聞きたくて聞いているから自慢話では無いのだが。)
まさに、プレゼン。
彼女と過ごす時間がいかに幸せかを教えるプレゼンと化していた。もはや、それを聞いて憧れないわけが無い。
つまり僕は彼女というステータスよりも、

彼女と過ごす時間に憧れるようになったのだ!

ジョジョ5部は神

そういうことなので、彼女が欲しいという結論に至りました。
しかし、これを語る上で大事なのが理想の彼女。
ただ、彼女と過ごす時間が欲しいだけなのは、まだ彼女という付加価値を求めていると言っても差し支えない。
どのような人物が理想の彼女となるのか示しておくことが、大事だと考えています。

今回はここまでにしておきます。
この続きは来週書きますので待ってください。

終わり


次 回 予 告



次回予告(パチンコでは激熱だが僕のnoteではそうでも無い。)
次回、「理想の彼女像(仮)」

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