ズブの素人的・サクラ革命を取り巻く環境への所感

以前からちょこちょこ書いたり意思表示をしたりはしてたんですけど、どうもうまくまとめ切らないのでここでダラダラ書きたいと思います。できるだけ見出し通りにまとめていきたいのですが、なんせくどくど文章を飾るのが大好きなタイプなので読みにくい部分もあるかと思います。どうかご了承ください。

①私の、サクラ革命という物語の認識

サクラ革命は、サクラ大戦シリーズにおけるスピンオフ、可能性ある一つの未来のお話とされています。そのため過去作と趣が大いに違います。これに拒絶反応を示す方も多く見られ賛否両論なコンテンツとなりました。

私自身、サクラ革命、という物語はそれはそれで好きです。楽しんでいます。ただ、サクラ大戦か?と問われると、登場人物の立ち位置だったり、守るものの大きさだったり、テーマとなる部分にギャップがあるため、別物かな?みたいな印象ではあります。別物だけどこれはこれで面白いじゃない!というのが私のスタンスです。サクラ革命というコンテンツが好きだ、という方は、私と同じような感覚だったり、シリーズの一つだと認められていたり、あるいは完全新規で過去作はあまり触ったことはないけど面白いよね!という方だと思います。

ただ、先にも言ったように賛否両論のコンテンツとなってしまったため、私とは真逆の認識を持つ方もいたことは事実で目の当たりにしていました。

➁作品への否定的な声

賛否両論の『否』には色んな主張がありました。

・サクラ大戦シリーズと言いつつ過去作(新サクラ含めず)との乖離が激しすぎる、リスペクトが感じられない

・ゲーム性がクソ

・キャラクターがイマイチ

・総じて、過去作を経験してきたファンの求めているものではない

・Vtuberを客寄せパンダに使った中身のないゲーム

などなど、過去作のユーザーかどうかに関わらずSNSやアプリストアではネガティブな声が噴出しました。

私が見る限り個人的感情による主張が多く、一般論と言うべきものは一握りだったと思います。特に初期のゲーム性についてはネガティブな声も理解できました。また、否定的な声も必要で、コンテンツを長生きさせるためやより良くアップデートさせていくためには仕上がったと思ったものでも突き詰めて、否定的な視点も大事だと思います。しかしそれは制作に携わる方や、ユーザーでも根気よくゲームと向き合った方がすべき論争であり、「秒で辞めた」という方は辞めた感想を表すくらいで長々と尾を引いて主張すべきではないし、「やりたくもない」という方はコンテンツ自体に関わるべきではないと思います。

全員が全員、「満足してます!」という信者の囲いのようなコンテンツは伸びるのが難しいし、そんな空気が出ているなかで新規は入りにくいので賛否両論はあってしかるべきです。ただ、否定の声を上げるのにも最低限の資格がいるのではないか?これが昨年12月からサクラ革命という作品、それ以前からサクラ大戦シリーズを追い続けて深く感じたことです。

賛否両論の声を見ていく中で、いつしかその光景を情報番組の辛口コメンテーターに重ねていました。やくみつるであったり、おすぎとピーコであったり、勝谷誠彦だったり…。ただ、その方々は物申したものについてはその道のプロであったり、現在進行形で最低限理解を示していたり、根本から否定したとしてもハナから拒絶なんて姿勢は見せなかったと思います。あくまで賛否両論で討論することでテーマについてより良くしようと妥協点を探ろうというものが当時の番組上の性質だったと思う。

サクラ革命については、囲いや否定的な声を弾圧するような流れも多少なりともありました。それよりも悲しいかな、否定的な声がより大きく見え、一部の切り取りやアップデートされない思考によるネガティブな主張によるレッテルが貼られて行きました。運営側もその声に応えようとしましたが、ひとつ応えれば500くらいネガティブの声が蒸し返される状態で『妥協点を見つける』作業は難しかったようにも見えました。ネガティブな声といいつつ脅迫ともとれる大きな声に作品としての輝きは霞んでしまったのではないでしょうか。

➂否定が大きくなった要因

なぜここまで否定が大きくなり続いてしまったのか。私が考えるにひとつは、頑なに作品を認めず「新サクラと革命はシリーズに泥を塗った」としてネガティブな印象を振りまき続ける方々が一定数いたこと、もう一つはネット記事や動画による思考の汚染です。

前者は➁で示したような、作品を拒絶し離れた方々が、批判できる賞味期限が切れているのにも関わらず声を上げてつづけているパターンです。

そこにさらに燃料を投下したのが後者のネット記事や動画です。それらによって「自分たちの声はやっぱり、大きな声で主張すべきものなんだ」と間違った刷り込みがされる一因になったと思います。

ネット記事や動画のネタの根拠はゲーム性や作品そのものだけではなく、売り上げ予測やストアの評価など目に見える数字が見やすくまとめられ、主張をより強固に見せ、キャッチ―な見出しやタイトルで作品を知らなかった方も巻き込んでいきます。開発費30億とかのくだりのやつですね。

ストアの評価は普通に見ることができますが、売り上げだの費用だの一般人が分かる手段はなくて、費用の内訳や適正価格も当然知ることは難しいでしょう。まあ、社員が語った、なんて記載されていれば信じるのも分からないでもないですけど、安直に信じるのも頭が弱いなあ、とか思ってしまうわけで。これに関しては作品を見ていた人が見事に振り回されていたと思います。

また、サクラ革命を取り巻く環境について必ず語らなくてはならないのはナカイド氏でしょう。彼は内部の人間のリークとして動画を作り、公開していました。サクラ革命の制作・運営現場を救うとして勇気あるリークを公にしたのです。説得力のある言葉で繕っているものの、物事を多面的に捉える経験が見えない内容ではありますが、いちエンタメとしては有効で、事態を加速させる力としては十分でした。

➃そして、終了

そんなこんなでサービスの終了が発表されます。6/30の終了までにストーリーが終章までちゃんとリリースされること、新規キャラ実装・ガチャの実施などがお知らせに盛り込まれましたが、サービス終了と同時に課金ができなくなってしまいました。課金ができないのにガチャの要素は続きます。石の無料配布こそありますが、多くのユーザーは課金のできないもどかしさにもがき苦しむことになります。

一方で、課金もできないのにガチャがあることについて「払い戻しをしたくないから悪あがきをしているようにしか見えない」という声もあります。悪あがきも何も、利益や回収を考えなくてはならない以上、当然の姿勢では?自分の主張をすることで世の中の仕組みを見失ってるようにしか見えない発言で、こんな人たちの声が大きかったことが悔しくてなりません。

➄シリーズを支えるということ

作品を認めない方々が、「過去作が好きな者が求めているのは過去作の新たな展開と現存・稼働中のハードへの移植だ!」なんて言いますけど、それを作ってもらうには資金が必要となります。SEGAへの還元というよりは、サクラ大戦シリーズは望まれてるし、支えてくれる人がいるし、まだこんなに利益を生むことができる、ということをユーザーの働きで示す必要があると思います。すなわち、ユーザーがしっかり経済を回そうという姿勢が見えれば、制作陣も還元しようと動いてくれるはずですし、GOサインを出す立場も企画を通す目安にしてくれると思います。だから、今動いている関連コンテンツを積極的にユーザーが楽しまないとシリーズが死ぬのです。

過去作については楽曲がストリーミングでリリースされています。が、残念なことにそれ以外は大きな動きはありません。新サクラのポップアップストア、グッズ展開による利益、また課金可能だった時点ではサクラ革命による利益がシリーズを動かす力になっているのは明白です。新サクラから拒絶しているような方々は過去作含めたシリーズ全体を殺そうとしているのです。本人がそうじゃないと言ったとしても、公式がシリーズの一つとするものに悪い印象をつけ広めるような行為はそれこそ泥を塗っているのではないでしょうか。

公式がこんな解釈をすべきではない、なんて主張もあるかもしれません。あなたが望む解釈はたとえ多くの賛同を得たとしても、一人が考えた解釈の範疇を出ることはありません。公式が定義したものは揺るぎない正しい歴史であり、あなたなりの解釈を望むのなら自身で作り上げ、頒布するなりして満足すれば良いでしょう。解釈違いということが公式の生み出したものに文句を言い続けていい理由にはならないし、公式について行ってるファンの全てを否定していい理由にもなりません。文句も否定も大事ですが、毅然とした態度で対応されて定義づけされたことをずっと叶わないからと主張するのは熱意でもなんでもありません。自分なりに解釈して、納得できる範囲で妥協して、それでも認められないのなら諦めるしかないのです。自分はこんなに高尚だったけど公式はそこまでのモノだっただけ、と腹の中で笑って終わりにすべきなんです。

シリーズを支えるというのはある意味盲目的にならないといけないのかもしれません。

最後に

私だって、好きなコンテンツ、シリーズに納得いかないことはあります。

アイマスだって原則765初期メンしか認めてないし、約ネバだってアニメのオリジナル展開には納得いかないし。

でも、それはそれで良いし、好きで追いかけてる人もいるし、なにより作品・シリーズの在り方として納得した方がいて公式見解のものとなった。家を建てたとして、住んでみて間取りが気に食わなかったとしてもしょうがないと思ってうまく暮らすし、よほど無理ならリフォームして見方を変えてみたり、あまりないだろうけどお金をかけて建て直すこともあるかもしれない。また、お父さんが良い家だと思っていても娘は嫌かもしれない。我慢して住み続けるか、娘だけ出ていくことも方法の一つ。お金かけてインテリアを充実させれば気分も変わるかもしれない。長く住んでいればメンテナンスにもお金がかかる。

あれ?コンテンツって家じゃね?

公式は家を建ててくれる大工さんだったり、メンテナンスの業者。ユーザーはその家にお金を出してる立場なんだよ。よほど嫌なら出て行ってもいいし、なんなら帰ってきてもいいからね?そういうもんじゃないのかな?

※※※補足※※※

私はサクラ革命という物語は好きではあるけど、神ゲーだの神コンテンツだのと崇めているつもりは一切ありません。

不便も問題も多い、最初からやるべきことをできていない、修正にしても反応が遅い、不満はありました。ですが、キャラもストーリーもゲームもそれなりに楽しんでいました。だから、サクラ革命最高!と叫び続けて終了に追い込まれたと事実とは限らないことで喚こうとは思いません。

良くないところもあったけどまあ、楽しかったよね。そんな感じ

続いていけば改善してより良いものになったかもしれないけど、それはユーザーの知るところじゃないし、運営が終わりとしたものをああだこうだ言おうとは思っていません。

ただ、ひとつ。

コンテンツそのものとユーザーの質を一緒くたに批判するのは別だと思います。おかしいだの、めんどくさいだの、頭悪いだの、そんなことを思うのは勝手ですが、部分的にしか見ていないのにもかかわらず決めつけで見知らぬ人をディスるのはそれこそ頭が悪いと思います。

嫌なものは見なきゃいいだろ、とか言うかもしれませんが、だからといって人として見下したようなことを発信していいわけではありませんし、いろんな人がいる、ということを十分に理解してから発信する配慮や努力も必要じゃないでしょうか?

こればかりは私も自分の言動含め見直さなくてはならないと思うので偉そうなことは言えませんが、どんなものが好きであろうと、どんな立場であろうと、誰からも必要以上に邪魔されることなく楽しめる環境を意識しないといけないと思います。


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