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誰もが学べる場所を作りたい

苦い思い出

「二月の勝者」を観ていて、なぜかある記憶がよみがえってきた。今でも時々思い出しては、胸が痛くなるあの記憶だ。

* * * * *

私が通う田舎町の小学校の校区には、児童養護施設があった。事情があって親と一緒に住むことができず施設から学校に通っている友達が、クラスにも何人かいた。
ある時、そんな友達の一人に「Tちゃんに勉強を教えてもらうと、よくわかるわ!」と言われてうれしくて、一緒に勉強をするために施設に遊びに行ったことがあった。施設の先生は「お友だちが遊びに来てくれたのは初めてだ」と言って、うれしそうにおやつを出してくれたりした。

おやつの後、窓際のカウンターでいざ友達と勉強を始めようとすると、小さい子たちがめずらしそうに集まってくる。そしてなかなか勉強ができないうちに、友達は小さい子のお世話や先生のお手伝いをする時間になってしまった。
何も知らなかった私は、同じ年の友達が置かれている状況に衝撃を受けたのを覚えている。

小学校の高学年になり中学生になると、放課後は部活動で忙しくなり、その後もう施設に遊びに行くことはなかった。
そして15歳の春、その施設の友達は高校に行くこともなく、中学と施設を卒業していった。
まだ15歳だった友達は、どんなに不安だっただろう。自分の高校受験で精一杯だった私は、何も気づくことができなかったのだ…

あの時、もしも…

あの時、もしも学校と施設以外に友達の居場所があったなら…と思う。ほんの少しの時間でも自分の宿題に集中できる自分だけの時間が持てる場所。勉強でわからないところを、遠慮なく聞くことができる場所。「もうすぐ卒業だけど、本当は不安なんだ…」と打ち明けられる場所。
その場所には「おかえり!」と迎えてくれる人がいて、「ここはこう考えるんだよ」と勉強を優しく教えてくれる学生のボランティアさんがいる。
お休みの日には、「私もここで勉強をして、今は働きながら勉強を続けているよ」と励ます先輩がいる…、そんな場所。

誰もが学べる場所を作りたい

「すべての人に教育を…」と言うと、「途上国に学校を建てる」とか、「児童労働の問題」とかがすぐに頭に浮かぶかもしれない。それも本当に大切なことだけれど、自分のすぐ近くにも「学びたくても学ぶことのできない人がいるかもしれない」ということをぜったいに忘れないでいたい。

私が今住んでいる町に、児童養護施設はない。それでも、クラスの半数以上が中学受験をするために進学塾に通う中で、勉強をみてもらうこともできずに自信をなくしている子どもたちがいるのかもしれない。外国にルーツを持ち、その両親も日本語が話せず、勉強に困っている子どもたちもきっといる。

公民館の一室を借りて、そんな子どもたちを「おかえり」と迎えたい。そこに娘や娘の友達が学生ボランティアとして、子どもたちの勉強をみてくれたらとてもうれしいと思う。そして、いずれそこで勉強した子どもたちが自分の経験を話して聞かせてくれるようになったなら…

* * * * *

小学生の頃、勉強を教えてあげた時に「わかった!」とうれしそうに笑ったあの友達の顔が目に浮かぶ。その時の、照れくさくて嬉しかった気持ちがよみがえってくる。
まっすぐな川沿いの細い通学路を、二人で施設に向かったあの時の景色が今も目に焼きついている…






#もしも叶うなら

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