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2022年1月の(音楽とかの)こと

年が明けてすぐに渋谷WWWで開催されたトウヤマタケオ『四辺は森として(あたりはしんとして)』のリリース記念ライブに行った。

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トウヤマタケオが見たかったのはもちろんのこと、最大のお目当てはYumboのリーダー澁谷浩次。去年Yumboや澁谷浩次のソロ作品に出会ってから最初の東京公演。このチャンスに駆けつけない手はあるまい。さらにスペシャルゲストという位置づけであのSAKANAのボーカリストpocopenも出演するということで、何かプレミアムな夜になるんじゃないかしらと期待しながら、久しぶりにスペイン坂を上ったのでした(イヤに混んでいた)。

初めに澁谷浩次のステージ。昨年末逝去した仙台の前衛芸術家である糸井貫二に捧ぐというMCから、1曲目にYumboの「薬のように」がきて、歓喜。Yumboの中で一二を争う好きな曲。同時にまさか1曲目に来るようなタイプのそれではないと思っていたので、とても驚いた。その後も「失敗を抱きしめよう」→「家」とYumboの曲が続く。澁谷さんのピアノ弾き語りによってプレイされることで、3曲共にバンド演奏よりダイレクトに骨格を感じ取れるような気がした素晴らしい演奏だった。「失敗を抱きしめよう」が澁谷さんの母に向けて書かれた曲だというのは知っていましたが、「家」は父に向けて書かれた曲だというのは初めて聞いたな。

後半は去年リリースされたソロ作『Lots of Birds』からの楽曲が続く。ソロ作からもバンドとしての作品からも、セットリストのバランスが完璧で大満足。

澁谷さんのあとはpocopenさんが数曲演奏し、澁谷さんとお互いの楽曲を1曲ずつコラボレーション。澁谷さん曲の方はそんな予感がプンプンしていたがやはり「鬼火」!!pocopenさんの歌う「鬼火」を聴きながら、こんな風に何十年後もありとあらゆるシンガーによって歌い続けられるような曲であり続けてほしいものだなーと感慨に浸っていると、最後の最後に "サケ" と歌うところを "サカナ" と歌い間違えるミラクル!こんなに完璧なミステイクがありうるか!

Yumboのアルバム『鬼火』は全く飽きることなく現在進行形で何度も聴いているんですが、最近は特に歌詞にハッとしながら聴いています。ミクロな意味性を排除した先に凛と立ち上がる詩性がかっこいいのです。この日も演奏された「失敗を抱きしめよう」であれば

両手にいっぱいの 間違いの実が 少しずつ熟して 憂鬱を撃ち抜いた みじかい手紙のように 遠回りして赤い これからどうしよう? これからどうしよう?

それから例えば「嘘の町」

あれが今日のわたしだ 弱い手足の夜だ

極め付きは「鬼火」と言いたいところでもあるが、ここまでの方向性に倣うのであればやはり「人々の傘」だろう。解体と再接続によって、あらゆる語彙に新境地というべき奥行きが生まれてゆく、澁谷浩次のその手捌きをぜひ一人でも多くの人が目の当たりにしてほしい。

話は戻ってこの日のライブ。澁谷浩次、pocopenでだいぶ満たされてしまった後だったが、トウヤマタケオのステージも素晴らしかった。

ピアニストとしての動作や所作に不思議と目を引く美しさがあるのだ。全体的にゆっくりしていて、小さい動き。猫背で縮こまり、ダイナミックな鍵の移動もなく肘を折って粛々と演奏する姿に宿る静謐性。

「おひれはひれ」の演奏前に右腿をやさしくポンと叩いてはじめたのもよかったし、そんな風に動作をメインで追いながら楽しんだ。

そしてハイライトはおもむろに立ち上がってアコーディオンを背負い、スタンドマイクをアコーディオンにグッと近づけてから始まった「給水塔」の演奏。最初はゆっくりと、ただアコーディオンの蛇腹を伸び縮みさせる。まるで打ち寄せる波のように響くその音のなんと美しいことか!アコーディオンの蛇腹のストロークは、視覚的にもトウヤマタケオのモーション特性にマッチしていて実に優雅でそれだけで感動してしまったのでした。


ライブといえば、去年末にはROTH BART BARONの『無限のHAKU』ツアーの東京公演にも行っていた。感想をどこにも書いていなかったので、1ヶ月半前のメモを参考に箇条書き程度でサラッと書いておこう。

・変わることってかっこいい
・こんなに激しく縦でノッたロットのライブは初めて
・工藤さんのドラム、そんなにバッシバシ叩く人でしたっけ!?
・「HAKU」からの「KING」ヤバかった
・「GREAT ESCAPE」、「ショッピングモールの怪物」私が見た中で過去一の演奏、どちらも岡田くんのギター!
・岡田くんのギターは他にも「EDEN」、「霓と虹」、「NEVER FORGET」すごかった、さらに「素晴らしい日々」はわけわからんすごさだった、派手にやってくれた、あとギター弾くときはすごい弾くけど、そうじゃない曲は手元のボードをいじっている時がとても多かった
・「iki」や「けものの名前」もほかの曲に引っ張られてかなり前のめりな演奏
・「アルミニウム」演らなくなって久しいが、もはや後半になっても「アルミニウム」やりそうな空気が一切してこない!!


もう一つだけ年末のライブ関係。土井玄臣の久しぶりのライブを配信で観た。ライブ前日くらいのブログで夜勤から日勤に戻って調子がいいというのをみて本当によかったなと安心していたのですが、この日のライブも「けっこう練習してきました」というMCもあり、総じていい方向に向かっていそうなのがみてとれるステージでとてもうれしくなりました。

「どうですか?最近落ち込んでいますか?」というMCからの「Phantom Light」。かっこよすぎるぜ……!!と観ていたら途中失敗してやり直し。

表現力もしくは乱暴に言えば才能のようなものと、卒なく演奏を完遂させるそういう能力のあまりの釣り合っていなさというか、引き裂かれ具合にどうしたって惹かれてしまう。土井玄臣は特別なアーティストだ。これからもたくさん曲を作ってライブしてほしいものです。

そういえば、ちょうど2年前の2月、コロナウイルスによる魔の手が迫る寸前の寸前くらいの時期に阿佐ヶ谷TABASAで土井玄臣のライブを観たんだったな。強烈な絵柄のセーターを着てステージに立っていた。ライブが終わった後、友達と合流してRojiでナポリタン食べて帰った。楽しい日だったな。


年末くらいのライブの話が続いたのでそのまま年末年始辺りの話。12月31日に東北新幹線で実家へ。実に丸2年振りの帰省。1月2日には自分へ今年の決意を示す意味で、早速チキンカレーを作った。実家に住んでいた時は料理をする習慣なんて皆無だったから、慣れ親しんだ家なのにもはやキッチン周りは初見といってもいいくらいで、そのズレのようなものを一人ひそかに楽しんだ。そもそも他の人のキッチンを使うということ自体がおもしろいものなのだな。多かれ少なかれ、"所有者向け" にキッチンは構築されているわけで、侵入者である私は、幻影を追うようにそのキッチンの所有者 (例えば母) の動きをトレースしている、そんな瞬間があるのではないか。

なんてことを考えたのは、帰省の最中に滝口悠生『長い一日』を読んでいたからかもしれない。

主人公は引っ越しによって変わったキッチンや、鍋、スーパーマーケットがなかなかしっくりこない。

そんなような普段私たちが起きている間中に半ば無意識で考えていることや、自分自身と対話をしていることを、何一つこぼれ落とすまいと指をぴったり合わせて掬い上げるような筆致に心を動かされた。これこそが "小説" ではないか!? (というか私はこの小説みたいな文章が書きたいがために毎月noteを書いているのかもしれないな)

滝口悠生って確か昔に「ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス」だったかを読んであまりピンと来なかったイメージがあってしばらくそれきりになっていて、それで「長い一日」も年末になるまで後回しにしていたんですが、本当読んでよかった。

そのスタイルはどうしたってまず保坂和志を彷彿とさせてしまうわけですが、カメラをスイッチングするようなシームレスな視点の切り替えは、作中でも名前が出てくる柴崎友香「虹色と幸運」的でもあるな。

直近は本棚の本読み直してみようかなという気分なので、これもついこの前読み直したのでした。


他に年が明けてから寺尾紗穂『天使日記』を読んだ。

ある側面で意見が食い違ったり、合わないなと思った人と、私はどう関わって生きていくか、主に「遠くまで愛す」、「パラオ再訪」の2編を読みながら考えた。あんまり一冊を通しての主題的な内容ではないんですが。

H野さんは真面目に働いていて、その姿をしばらく眺めていた。別にそれで私の「思いやりに欠ける人」認定は取り消されないのだけれど、そこまで憎む必要もないか、という気持ちになった。人の一心に働く姿は、悪いものではない。ちょっとした出来事で、人はすぐ人にレッテルを貼りたくなる。けれど、ときにはその相手を遠ざけるだけではなくて、自分自身もその憎むものに取り込まれる瞬間がないか振り返らなければならないし、相手もまた違う側面を持つ人かもしれないことを忘れてはいけない。貼ったレッテルは、いつでもはがせるようにしておきたい。これが「どうやって生きる?」の一つの答え。
 猫嫌いのおじさんも、H野さんも、もっと遠くまで愛せるように。
『遠くまで愛す』
そういうことを随分前から主張していたSさんだったが、当時アルフォンソとは意見がくい違ったらしい。気軽に再会するには、心理的な距離がある状態だったことがうかがえた。
「でも意見が違う相手でも、酒を飲んでこれがうまいとか辛いとかそういうことを言い合っているうちに人間としては仲良くなれるんだ。だから、今回これがきっかけで再会できることはとても嬉しい」
 思いがけない二人の再会となるようで、私も嬉しかった。私自身、石原慎太郎が好きというSさんの言葉を聞いたときから、この人とずっと一緒か・・・・・・と一瞬心が重くなったものの、彼とお茶や食事をするうちに、彼の考えやここに書くことができないほど波乱万丈な人生や、その痛みを感じることができて、いつの間にか彼のことを好きになっていた。
『パラオ再訪』

読みながらずっと思い浮かべていたのは私の上司のこと。入社して最初に配属されてから今まで、課長という立場で私を直接マネジメントしているその人が私の中でなんともコンプレックスな存在なのです。

仕事という側面だけを見るのならば、不満など一つも出てこないほど素晴らしい存在。対外的、内外的なマネジメントが巧み(社内一なんじゃないか?)で、我々課のメンバーが思い切りアクションできるような雰囲気を常に作ってくれる。考え方が合理的で、話を聞いていて理不尽だと思ったことは一度もない。全幅の信頼を置いているし、最初の上司がこの人で幸運だったなと素直に思う。
一方で雑談途中に出てくるどちらかというとプライベート寄りな話題からはどこまでも想像力に欠ける発言が多く(あえて例示しない)、そのギャップのあまりの大きさにしばしば余計心がざわつくのです。

「自分自身もその憎むものに取り込まれる瞬間がないか振り返ること」、「相手もまた違う側面を持つ人かもしれないことを忘れないこと」、『遠くまで愛す』の言葉が身に染みる。その上司に限らず、あらゆる人が当たり前のように持ついくつかの側面を、まずはそのままただ見ること(それは同時に自分自身を見ることにもつながる)をできるような人間でありたいと思うのだ。


1月の中旬からつい最近までかけてパク・ジウン『愛の不時着』を観た。『愛の不時着』あまりにおもしろすぎませんか!?王道というべきモチーフを用いながら、どこまでも壮大な脚本に真っ向から向き合った全製作陣に最大限の敬意を。

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そういえば韓国語ってかなり親しい間柄でもフルネームで呼ぶんですね。ユン・セリ、そしてソ・ダンという2人のヒロインがそれぞれに愛する人のフルネームを呼ぶときの発声に、 "ユン・セリとして" 、はたまた "ソ・ダンとして" の全てが乗り移っているようで素晴らしいのです。

ユン・セリであれば、リ・ジョンヒョクから届いたエーデルワイスの鉢に「1日10個 きれいな言葉を」ということで口にするそれ、ソ・ダンの場合は、ク・スンジュンが撃たれた瞬間のそれ、で満場一致の決定です。


レコードの話。ayU tokiO『新たなる解』がオリジナルリリースから6年のときを経て待望のLP化。すごくうれしくて届いてからたくさん聴いている。特にここ一二年で聴き返すたびに新たな感動があり、私の中で重要な作家と位置付けられてきているayU tokiO。6年前の2016年、『新たなる解』が発表されたタイミングで、当時今よりさらに若造だった私は彼の音楽に出会ったのだけど、シティポップムーブメント的なの一つとして、他の凡百のそれと一緒に文字通り聴き流していたな。

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LP化に伴って唯一完全に新録された「狐の嫁入り」のリッチなアレンジも素晴らしいし、他には「夜を照らせ」のNew Mix ver.も分かりやすく素晴らしい。「夜を照らせ (β)」と称されたビッグバンド風アレンジかつ櫛引彩香と佐藤寛がボーカルのver.がベースとなっていますが、βよりも二人のボーカルのパート割りが格段によくなっているのです。


同じく2016年リリースの王舟『Picture』も偶然最近入手した。こちらはLP盤も2016年に出ていて現在廃盤なので地味高騰してるんですが、湯島にあるTOHTO recordsというお店のオンラインに2000円で入荷していたのを偶然見つけて即回収した。割とクラシックで下町レコ屋的な10年代インディーとかはあまり馴染みのないお店だったがゆえの幸運というべきか。実際オンラインショップ用のコメントによると、入荷するまで王舟のことは知らなかった模様。

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久しぶりに聴き直したら記憶の数倍よくてびっくりしました。完全宅録の閉じた作品で過渡期っぽい混沌とした音作りのおもしろさや、美しいアートワーク(LPのものとしての質感も最高!)、当時年始すぐの1月にリリースされた感じも含めた全体的な質感が、今ジャストで気分だな。1曲目の「Roji」の酩酊してる?みたいなギターの音作りとかスティールパンっぽい楽器の響きとかたまらんのです。また2016年の若造の私の話をすると当時(今も)一つ前のアルバム「Wang」が本当に大好きで、そのあとシングルで出た「ディスコブラジル」もすごくよくて、『PICTURE』のリリースもとても楽しみに待っていたんですが、いざ聴いてみると予想外にクローズドな作風に肩透かしを食らったことを割と鮮明に覚えているのです。このアルバムの中で「ディスコブラジル」を "Alone" でやりたい気持ち、今なら分かるぞ……

今月は他にも数年前の日本の作品ばかり。年末には坂田学『木の奥』のLPをHMVで見つけて購入。存在は知っていたんですが、久しぶりにものを見かけてテンションが上がった。LP盤のジャケットに本物の木目のように凹凸がついているのです。

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ceroのLP再発も『Obscure Ride』以外はすでにオリジナル盤を持っていたが、せっかくなのでボックスセットを購入。『My Lost City』は新たに2枚組になったことで、曲順がCDやデジタルと統一されましたね。

ときに、10年代前半~中盤くらいってceroとかインディー寄りの作家のLPリリースに際してやけにオリジナルから曲順がいじられているイメージがあるんですが、これって気のせいですか?思い立って自宅でサンプルを採集してみたらcero『My Lost City』、王舟『Wang』、蓮沼執太フィル『時が奏でる』くらいしか見つからなかったので、やっぱり気のせいなのかもしれない。

どうぞお気軽にコメント等くださいね。