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対人 〜兄から考えたこと〜

   レポートも少し落ち着いたので、またダラダラと生活感想文を嗜めます。
   鹿児島も冬らしい冬が到来しまして、自転車通学には冷たい風が肌に刺さります。今年のクリスマスプレゼントはネックウォーマーと手袋でした。僕は末端が特に冷えるので(部屋も冷たいので靴下が必須になってます)、貰ってから毎日のように着けています。僕はブランドとかネームバリューとかがさっぱり分からないので、高級品より実用品の方が好きです。実用価値第一。
   さて、人肌恋しい季節とも言いますし、今回は人、特に僕の兄についての出来事をお話します。僕の家族は兄が台風の目のようなものだと思います。自分だけ平気な顔して周りを巻き込むような存在だと思っています。プライベートな、重く深く暗い内容であることを予めお断りしておきます。
   まず、つい一昨日兄に衝撃を受けました。それは夕飯を母と兄の3人で食べていた時に起きました。いつもリモコンが近くにあり、チャンネル権を持っているのは兄でしたが、その日は僕のとこにありました。僕は兄の趣味で映るテレビがあまり好きではありませんでした。
   ーというか我が家は兄弟間の親密度は欠片もなく、母の伝言を伝えるほどにしか会話をしませんので、兄そのものの存在が目障りでもありました。兄は一浪の末筑波大学に入学したものの、社会適合に関係する発達障害が顕著に表れ、長期休学を経て退学を果たしました。関東から帰ってきたものの学校も行かず就職もせず、俗に言うニート(高学歴ニートとも言えましょう)となっています。長男でありながら父親と弟を排斥し、自分は何食わぬ顔で堕落している、無愛想で地雷系…好きになれる要素はどこにもありません。実の兄であることが苦痛に感じることもあります ー。
   そんなわけでリモコンを手にしたのですが、僕の決めるテレビが兄の攻撃対象になることは百も承知です。小さい時からテレビの価値観は合いません。僕はドラマめちゃくちゃ好きですが兄は月9なんか死んでも見ないのではないかと思います笑。折角のご飯をわざわざ不味く食べることもないので、母と兄にリモコンを譲りました。兄はリモコンに手を伸ばすことをしなかったので母が受け取り、チャンネルを回しました。

母(5分のコント番組を選択する)
兄「ちょっと待ってよ笑 チャンネル変えた意味ないじゃん笑」
母「いいじゃん5分だし笑」
兄「どういう感性してんだよ笑」
母「はあ?見たいから撮ってんのよ」

   この一悶着の間、僕は一言も発せずに成り行きを聞いてご飯食べてました。色々言いたいことはありましたが、何か言えば兄も煩く否定するし、面倒です。この家で兄と過ごしている間はとにかく何も意見しないこと、全くの無でいる必要があります。我が家なのに。なんで我慢しないと攻撃されて辛くなるのか…兄といると存在ごと否定されかねません、被害妄想かもしれないけど。
   団欒とかけ離れている点は、兄のこだわりの強さです。その発達障害の特徴がどんなものか正確には理解していませんが、母が言うには小さい頃からそのクセのようなものはよく見られていたそうです。極めつけは今回のことで、自分の意見が通らない、あるいは自分の興味でないものや自分の世界の外側を極端に嫌うということです。自分の世界が頑として存在しているのです。チャンネルが思い通りにならないことで怒ったり文句を言ったりするのは小学校低学年程度の発達だと思います。小学生低学年の学校生活の中で自己と他者を認識していくように発達段階を踏んでいきます。最近では鬼滅の刃にもなんかぶつくさ言ってます。自己中心というか、とにかくこだわりが強いのです。自分が作った世界や感覚に意見する邪魔者は母であれ言葉を選ばず噛みつきます。父親とも衝突した結果離婚し、弟も兄に耐えかねて高校卒業後一人暮らしの専門学生へ進路を進めました。僕は鹿大なので一人暮らしは単なる贅沢でしかなく、また妹もまだ1人で暮らすことは出来ないので、この家で4人で過ごしています。
   僕は対人心理について学んでいるので、人の悪口が自分の評価を下げることを承知ですが、それでも兄への憎悪を、ここへ綴らずにいられなかったです。発達障害だから仕方ないと言えばそれだけですし、いちいち目くじら立てる僕も幼稚であることは否めません。それでも感性を疑うと言い放ったあの言葉だけは絶対に許してはいけないと思います。
   人の考えや気持ちを理解できないなら問い質してその意味を知る努力をするべきです。人が人らしく生きるために必要なものが感性です。事象に対して様々な考えがあるのが人間です。自分の理解できない考えや共感しがたい感覚を頭から否定するやつは人間じゃないです。他人を認めずにどうやって社会に生きるというのか。

   僕は他人を理解し、容認する努力はしています。高校まで自分を否定していたので、自己受容の重要性、他人も同様に自己があること、受容してあげることの重要性は僅かには分かっているつもりです。教育現場でも認め称賛することが大切であると長く研究されてきました。人は認め、理解するもの。その先に愛情友情があると思います。
   幸福にも1年お付き合いしている人がいますが、色んな場面で怒らせたり悲しませたりしてきました。相手が悲しむ時は、きまって存在や考えを認められていないと感じさせてしまっている時です。優しさは知識なので、一般心理や個人の特徴把握に尽力しようと思います。
   1人でいる方が楽という人もいます。それはカップルへの僻みや強がりでなく、相手に共感するほど自分の世界を広げたり、こだわりを緩和したりすることが難しかったりするのだと思います。そういう人は自分の世界で話が合う友達付き合いが良い人だと思います。どちらにせよ、人と繋がるためには、その人を認めること、その人の考え方や気持ちを尊重することは絶対にないがしろにしてはいけないと思います。
   溢れる思いを長考しながら綴っていたら、もうスマホを持つ手もかじかんでしまいました。人肌の温もりが恋しい季節ですね。

   駄文ではありますが、この辺りで締め括らせていただきます。楽しく暖かい聖夜を、そして人との出会いが多くなる良いお年をお祈り、お迎えください。


おわり

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