#91 「挫折」についてアーユルヴェーダ的に考える
おはようございます。インド嫁です。アーユルヴェーダを勉強したりブログを書いたり、イベントを運営したりしています。
Ayodhya (アヨーディヤー)では、29年ぶりにイスラム教によって崩壊されたヒンドゥー教の寺院を立て直すため、「地鎮祭」の儀式が行われました。
久々にインドの本気をみたというか、ハデな装飾と厳かなセレモニーを久しぶりに見ました。
これは、イメージ図です。1900年代に警察によって立ち入り禁止となり、200年以上にわたる宗教紛争ののち、裁判によって勝ち取ったこの場所にあらためてヒンズー教寺院を「立て直す」。
私は、この底知れないパワーの源がどこから来るのか、まだわかりませんが、インドでは、政治と宗教は深く結びついています。
時に人を救う時もあれば、時に争いに転じてしまう事もあると言う事を知りました。アーユルヴェーダもそうですがヒンズー教の影響は大きいです。
さて、本日の質問です。
です。今日のテーマは「アーユルヴェーダ的に挫折を考える」です。
挫折とは
「挫折」は力を入れて頑張っていた仕事や計画などが途中でダメになってしまうことです。あるいは、ダメになったことで気力を失ってしまうことも「挫折」といいます。
準備していた計画が、自分とは関係のない所で何かが動きダメになる。こんな事は、もうしょっちゅうです。今でもあります。
私の体質で言えばヴァータピッタ体質ですが、ここはピッタの性質がより強くでているなぁと自分で感じます。
一つの目標を決めて、計画をたてて、進めるのが好きでした。過去形です。今は違います。
どちらかというと、大かたの予測はつけますが、変わるのが当たり前と思って仕事は進めます。波乗り戦法です。
それは、私が一緒に仕事をしているインド人から教わりました。
インド人に「挫折」はない?
私が「挫折」と聞いて、自分の過去を思い出すのは、25歳の時です。
当時、私は演劇が大好きで、どうにか演劇で食べていきたい(今思えば非常に浅はかですが)と思っていました。劇団にも所属していました。
ある日、その劇団の看板俳優で、年間100本以上芝居をしていた役者さんが、魚河岸でバイトしている事を知りました。生活のためです。
私にとって、彼ほどの才能はないし、それ以上にそんな風になれる自信もなく、でも魚河岸でバイトするほど収入がないのだと考えると、私には「無理だな」と思って諦めました。
今、思えばこれはいい転機でしたが、いわゆる「挫折」だったと思います。
そこですっぱり演劇は諦めて、営業というビジネスの世界に飛び込みました。
挫折の乗り越え方を教えてくれたインド人は、その後10年後に出会います。きっかけは、東京で行ったあるインドイベントの運営でした。
やめたら「挫折」になるけど、やめなかったら「挑戦」になる。
あるNPO法人団体からのボランティア案件でした。今考えれば、だいぶ無謀だったのです。
日本でインドイベントを行う、それも数万人規模のイベント、という事で最初はワクワクしていました。
しかしだんだんと、口ばかりで動かないインド人メンバー達(今ではいい友達です)に腹がたち、決済もなく、お金も、人脈もない自分が嫌になりました。
そして、イベントの2か月前に、私は運営から脱退する旨を伝えたのです。ボランティアだし、無理だと思いました。
パートナーのインド人は、「わかりました」と答えました。
1週間がたち、ある別のインド人から連絡をもらい、会いましょうと言われました。彼女はこのイベントを手伝ってくれていたボランティアのインド人でした。
そしてこういったのです。
「あなたの気持ちはよくわかる。私も無理だと思って○○さん(パートナー)を説得しました。でも、彼はこのイベントを一人でもやると言っています。」
私「どうしてですか」
彼女「今やめたらゼロになるからです、でももしやったら、どんな結果でも経験になる。だからやめないのです」
その話をきいて、3日後。
私は、再び、パートナーに連絡をし、イベントを行いました。結果、初めてインドからタブラ奏者を招待し、日本で演奏する事もできました。
小さいころからの影響力
この時、いろいろな課題が残ったけれども、やってよかったと終わってから思いました。でも、今までこうやって何かを成し遂げた事がなかったのです。
それから、考え方が変わりました。
なんでもやめたら「0」になる、やめなかったら経験になる。
その後もいろんな挑戦をさえてもらったと思います。そのインド人は「無理」という言葉を絶対に使わない人です。無茶ぶりはあるけれど、その考え方は学ぶ所がたくさんありました。
私も、昔と比べたら、挫折自体もなくなりました。
子供の頃はずっと「身の丈を知りなさい。」を育てられてきました。いい気になるな、分をわきまえろ、といつも言われてました。
でも、インド人てできない事も「できる」って自信満々にいうんですよ。そして、挑戦する。できなくても言い訳する。たまにこの屁理屈に腹が立ちますが、自己肯定感がものすごく高いんですね。
インド人両親は、普段から子供に対して「あなたはなんでもできる」と育てている事を知り、子供の頃の教育とマインドは大きな影響を受けるという事を知りました。
アーユルヴェーダ的「挫折」の乗り越え方
「挫折」は力を入れて頑張っていた仕事や計画などが途中でダメになってしまうことです。
どんな時も、うまくいかない事はあります。でも心の中でやめなければ、それは必ず時がきて、いつか行う時がくるでしょう。そう思って「準備」しておけばいいのです。
これは挫折ではありません。「延期」です。
あきらめるのも、やめるのも、「自分次第」です。
たとえば、コロナで中止になった公演や、映画がたくさんあります。でも、形を変えて行う人もいれば、時を経て上演されるかもしれないのです。これは、挑戦が先に延びただけで、保存しておけばいいのです。
実は、西野亮廣さんも同じような事を言っています。挑戦し続ける事の大事さ、結果がうまくいく、いかないではなく、そのプロセスの楽しみ方、真剣に取り組む人のパワーに人は感動し、応援したくなる。
その通りです。
同じ事柄を目の前にして、2人の人間が全く違う考えをすることがよくあります。
人はそれをポジティブシンキングといいます。でも、そうではない。その人のものを見る目線、角度が違うのです。
一人は正面だけ見てる、でももう一人は正面と、横からと上からみてる。だから、正面がNGでも次を考えられます。
アーユルヴェーダで人を診る観点と非常によく似ています。多方面から見てその人間を判断するのです。問診から、見診から、脈診から判断します。
「挫折」は正面だけしか見ていないと起きます。もしかしたらインド人の辞書にはない言葉かもしれません。だって、挫折ですら、考え方によっては「チャンス」と思う事ができるのですから。
まとめると、挫折はそもそも考え方次第、それを挫折と捉えるか、チャンスととらえるか、といった所でしょうか。これはインド人に学ぶべき所です。
皆さんの質問をアーユルヴェーダ的、インド的にお答えしています。お気軽にご質問をお寄せください。
それでは、素敵な一日がすごせますように。
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