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【無料公開】真説佐山サトルノート round 18 伝説のプロレスラーお手製の「鍋」を喰らう

【この原稿は二〇一六年八月から二〇一八年四月まで水道橋博士主宰「メルマ旬報」での連載を修正、加筆したものです。秘蔵写真も入っている全話購入がお得です】


「食」を描くことで、文章にぐっと立体感を増すことがある。
「真説・長州力」で、長力さんが橋本真也さんの団体「ゼロワン」のリングに上がる相談をする場面を書いた。

〈場所は用賀の東名高速出口に近い、和食チェーン店の個室だった。
 テーブルの上にはしゃぶしゃぶ用の鍋が置かれ、肉が盛りつけられた皿が並べられた。長州は焼酎、森伊蔵のロックを飲み、橋本はお茶をすすった。全く会話は弾まなかった。二人が箸をつけないため、中村は目の前の鍋の底からぶくぶくと泡が立ち上るのを見ているだけだった。
「お湯を足してください」
 たまらず店員を呼んで、鍋の中に湯を注いでもらった。皿の上に乗せられた赤い肉が乾燥して行くのを中村はもったいないと思いながら眺めていた。どれほど経ったろうか、ようやく長州が口を開いた。
「やるんだったら、これ以上話をする必要はないだろ」
 橋本が黙って頷くと、長州は続けた。
「俺がこの席に着いたということは、やるということだ」
 そして長州は「もう、帰る」と腰を上げた〉

 これはゼロワンにいた中村祥之さんから聞いた話を長州さんに確認をとった。
 また「食」は人となりを雄弁に物語ることがある。
 長州さんの後輩レスラー、保永昇男さんは自分のちゃんこ鍋の師匠は北沢幹之さんだと教えてくれた。
「築地の市場かどっかに行って沢山の鰯を買ってくるんです。それも寒いときに。北沢さんは若手に〝おい、やれ〟と言わない人なんです。黙々と、鰯の腸を出して皮を剥いていたので、ぼくもそれを手伝いました。下ごしらえを終えた後、でっかいすり鉢に、卵と刻んだネギ、味噌を入れてすっていく。味噌を入れるとすりこぎが滅茶苦茶重くなるんです」
 北沢さんは佐山サトルさんのデビュー戦の相手を務めたレスラーでもある。そしてUWFを繫いだのも彼だった。
 北沢さんとは東急池上線の駅前の喫茶店で待ち合わせすることになった。
 入門当時の佐山さんについて訊ねると、こう言った。
「最初は大したことはなかったですよ。高校のアマチュアレスリングをやっていたと言っていましたけど、それほど強くは感じなかったですけど、だけどみるみるうちに強くなった。研究熱心だから。下手にこっちの技なんか見せられないぐらい呑み込みが早かったです」
 背筋がすっと伸びた北沢さんの言葉の一つ一つは、ずっしりとした重みがあった。穏やかではあるが、いざというときのために、懐に刃物を包み持っているような男だった。
「佐山は真面目で頭がいいという印象があります。前田(日明)は……ぼくにいい思い出がないと思いますよ。口の利き方から何から生意気でした。殴ったりはしませんでしたけど、可愛がりませんでしたね。高田(延彦)は調子がいいから、(目上の人を)巧く踊らせていたみたいなところがありましたね」
 ただし、新日本プロレスで北沢さんと佐山さんが交差した時間はそう長くない。
「元々、三五歳ぐらいで引退と思っていました。佐山が入って来た頃はもう辞めることを考え始めていましたね」
 自らにレスラーとしての才能がないと見切っていたのだ。
「(自分は)躯も大きくなかったし、スターの要素というのが全くなかったです。お客を呼べる選手って、顔と躯が良くて、ただ強いだけでは駄目なんです。いくら頑張ってこの世界にいてもいい思いはできないなと」
 現在、北沢さんは内装業を営んでいる。仕事をしていると時々、「あの北沢さんですか」と声を掛けられることがあるという。弟子たちがばらしてしまうんだよと困った顔をした。
「今の仕事でコテを使う左官仕事みたいなのがあるんです。最初にいい加減な人に習ってしまったのでその癖が今も抜けないんです。最初が肝心なので、若い人には自分で教えないようにしているんです。プロレスで受け身を下手な人に習うと駄目。それと同じなんです。ミツ・ヒライさん、ミスター珍さんの受け身はすごく上手でしたね」
 取材が一段落し、保永さんは北沢さんからちゃんこを教わったそうですね、と話を向けてみた。得意のちゃんこ鍋はどんなものですか、と軽い気持ちで訊ねると「今日、たまたま鍋作ってきたんです。うちに来ますか?」と腰を上げた。出産準備のために娘が戻っており、従姉妹たちが集まっていた。彼女たちのために鍋を作ってきたのだという。
 北沢さんの自宅は駅からすぐそばの閑静な住宅地の中にあった。玄関前の駐車場には仕事用の車が停められていた。三人の息子は北沢さんの元で働いている。
「今、次男が三男を(仕事で)厳しく仕込んでいるんです。自分が教えると甘くしてしまうので、助かります」
「男として幸せな人生ですね」
 ぼくの呟きに、北沢さんは顔をくしゃくしゃとさせて照れ笑いした。
「うちの妻がプロレスラーが好きじゃなかったので、プロレスに関わらせなかったんです。ただ、相撲はやらせても良かったかなと後悔しているんです」
 ダイニングのテーブルの上にはアルマイトの大きな鍋が卓上コンロに置かれていた。丁度、食事が終わったばかりのようだった。
「座っておいて。具を足すから」
 北沢さんは手際よく、野菜を切り、鍋の中に放り込んだ。
「これは本当に手抜き。かつおと昆布で出汁をとって、キムチの素で味付けしただけ」
 しばらくすると蓋がかたかたと音を立て吹きこぼれた。
「さあ、食べて」
 蓋を取ると、蒸気がふわっと立ち、出汁のいい匂いがいた。具は豚肉の他、エノキダケ、マイタケ、白菜、豆もやし、大根などが入っていた。特に細かく切った大根には味がしみて、箸が止まらない。「KAMINOGE」の井上編集長が「ご飯を貰ってもいいですか」と言い出すほどの美味しさだった。
 プロレスラーとは因果な職業である。
 ウエイトトレーニング等で躯を作る。あるいは関節技を覚えるという、日々の地道な積み重ねと努力が必要だ。しかし、それだけでは客の心を掴むことは出来ない。
 実直、正直、真面目、嘘をつかない、約束を守るという、一般社会人ならば美徳とされる性格が足かせになることがある。だからこそ北沢さんは早い段階でレスラーの道を諦めた。
 ダイニングとリビングが繋がっており、太陽の差し込む中で、娘さんたちが寛いでいた。北沢さんは、レスラーとしてはスターになれなかったかもしれない、ただ立派な家庭を築き、幸せな生活を送っている。彼もまた成功者であるのだと思った。

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