見出し画像

真説佐山サトルノート Last round 文庫の追加取材——エンセン井上2

    【この原稿は二〇一六年八月から二〇一八年四月まで水道橋博士主宰「メルマ旬報」での連載を修正、加筆したものです。秘蔵写真も入っている全話購入がお得です】


    エンセンさんの生き様は実に「アメリカ人」的である。
 子どもの頃からバスケットボール、野球、そしてラケットボールという複数の競技に触れ、その中で自分に向いていると思われたラケットボールを選んだ。一つの競技を突き詰めることを是とし、他競技との並立を嫌う日本とは違う。
 また、大学生のときから「個」の意識を持っていた。大学を休学してアメリカ本土で行われるラケットボールのツアーに参加することに家族は反対したという。しかし、最終的にはエンセンさんの意思を尊重し、金銭的にサポートしてくれた。そのとき、彼は会社員として最低限の生活を確保しながら、賞金を稼ぐという道を自ら探した。自分のアスリートとしての価値をしっかりと金銭に換えたのだ。親、あるいはクラブの指導者、監督に自分の進路を一任して、思考停止する日本の体育会系学生と違って、ずいぶん大人だ(そうして他人に依存して育った選手たちは、キャリア終盤になって、次にどう生きるのか、を見つけられず、うろたえることになる)。
 そしてラケットボールの選手としての将来を諦めた後、復学し弁護士を目指すというのもアメリカ的である。
 少々脱線した。話をハワイ大学の構内に戻そう――。
「学校を歩いているときに、ビデオが流れていた。喧嘩好きだから喧嘩かなと思って観た。最後のビデオがヒクソン対ズールーの試合。大きく強いのを小さい奴がチョークで勝った。びっくりした。うわー、すげぇと。それでどこで練習しているのか聞いてグレイシー柔術を始めた」
 若き日のヒクソン・グレイシーはブラジルで有名な格闘家だったズールーに勝利し、その名を知られることになった。
 ヘウソン・グレイシーは大学のスタジオを借りてグレイシー柔術を教えていた。エンセンさんはその勧誘ビデオを目にしたのだ。
「スタジオ4だったね。ハワイ大学のチアリーダーもそこで練習していた。ビデオ見てやりたくなったのに、護身術みたいなのをやっていた。クラスが終わった後、ビデオで観たようなのをやってみたい、スパーリングをしてみたいと言ったら、ヘウソンはいいよって、小さいブラジル人を呼んだ」
 サーフィンを楽しむためハワイを訪れていたホメロという男だった。
「(ヘウソンの)弟子じゃないけれど、ゲストみたいな扱いだった。彼は140パウンドぐらい、俺が175パウンドぐらいあった。だから力で全然大丈夫と思ったけど、スパーリング始まったら、バックとられてチョークされた。それでもう一回ってやったら、三回もチョークされた」
 ここからエンセンはグレイシー柔術の虜となった。
「一番のマニアだった。柔術の練習がある日は毎日、ない日はヘウソンの家に行った。ヘウソンの家には外に出していないビデオがいっぱいあった」
 ヘウソンはガレージ付の一軒家に妻と住んでいた。ガレージにはマットが敷きつめてあり、いつでも練習することが出来た
「ヘウソンは車を持っていなかったから、高校のとき使っていた車をあげた。トヨタのスターレット。でも車はガレージの外」
 うちもそうだったでしょ、ガレージはトレーニングのための場所、と言って笑った。それで玄関横に車が置かれていたのだと合点がいった。
 そんなとき、ラケットボール関係で兄のイーゲンに日本行きの話が持ち込まれた。
 しかし――。
「イーゲンが忙しかった。日本は(ラケットボールの)レベルも低いし、(エンセンの実力ならば)優勝できるって。日本はルーツだし、一度行ってみたいと思っていた」
 ラケットボールの大会出場のため、日本に二週間行ってくると告げると、「行かないで欲しい」とヘウソンは悲しそうな顔をした。ハワイに戻ってこないような気がするというのだ。
 何言ってるんだよ、すぐに戻るよと、エンセンさんは笑って答えたという。しかし、ヘウソンの予感は当たった。エンセンさんは日本が気に入ってしまい、住みついてしまったのだ。
「最初の二年間は英語の先生をやっていた。その後、イーゲンと〝ピュアブレッド〟というラケットボールの会社を開いた。それで二年ぐらいやって安定するようになって、そろそろ(ハワイに)帰ろうかなと思っていた」
 帰国前に「一度だけ」格闘技の試合に出場してみよう。そう考えたエンセンさんは格闘技団体に連絡をとった。そこで彼は修斗、そして佐山さんと出会うことになった。
 エンセンさんは、修斗にグレイシー柔術を持ち込んだ。
「佐山先生はやっぱり天才だから、柔術が必要だっていうことを分かっていた。毎日、中井(祐樹)、(御影)九平たちとスパーリングした。こうやったら、どうするとか、先生からも質問あったね。逆に佐山先生はタックルとか立ち技を教えてくれた。俺、全く知らなかった」


ここから先は

2,509字

¥ 200

この記事が参加している募集

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?