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短編小説 長谷川の弟(1) 全4回

俺のうちの玄関のドアに、子供が二人よりかかってすわり、マンションの廊下に足を投げ出してゲームをしている。二人の足元にはランドセルがふたつ、転がっている。
「あちゃ~」
舌打ちをした俺に、風花がのんびりと聞いてくる。
「この子たち、誰?」
「俺の弟」
「長谷川の弟? 両方とも?」
「そう」
「へえ」
風花はその場にしゃがみこんで興味深げに二人の顔をのぞきこむ。
ウェストのところで巻いて短くしてある制服のスカートの中が見えてしまいそうで、俺は思わず5年生になる上の弟の視線を気にしたが、弟は上目遣いに風花の顔をちらっと見てから、またゲーム機に目を落とした。2年生の下の弟のほうはぽかんと口をあけ、マスカラで目力ばっちりの風花の顔を、もの珍しそうに眺めている。
「長谷川に弟がいたなんて知らなかった」
風花は指先で長い髪の毛先をねじりながら言った。
「誰にも言ってねえもん」
俺は言って、それから上の弟の頭を軽くつついた。
「また黙って来たのか?」
答えないのが返事か。
「とにかく開けるからどけよ」
俺はそう言って二人を立たせ、玄関の鍵を開けた。
勝手知ったる他人の家で、風花がまず中に入ったが、弟たちは風花の存在にとまどっているのかグズグズしてなかなか入ろうとしない。
「さっさと入れよ」
俺のカバンで尻を押すようにして中に入れ、ランドセルも拾って玄関に放った。
「ふたりとも、手を洗いなよ」
風花が洗面所から声をかけて、弟たちは素直に従う。
風花のものの言い方には、自然と言われた通りにしてしまうような、不思議な力がある。
「私、お兄さんの友達。小田風花。君はなんて名前?」風花が下の弟にたずねる。
「順平!」
「ふうん、順平君ね。で、お兄ちゃんのほうは?」
「恒平です」少し他人行儀な声で恒平が答える。
「恒平のコウは、恒介のコウとおんなじ?」恒平を見ているがおそらく俺にたずねている風花に「そうだよ、俺と同じ」と答えながら冷蔵庫からコカ・コーラのペットボトルを出してキッチンテーブルに置く。「ついでに言うなら、父親の名前は恒太郎」
弟たちをテーブルにつかせ、風花が二人に冷たいコーラを注いでやるのを見ながら、ポケットのスマホを取り出す。
恒平が眉間にしわを寄せた。「電話しないで」
そして拝むように手を合わせる。
「そうはいかないだろ」
もう夕方の5時過ぎだ。
たまたま俺の部活がない日だったからいいようなものの、そうでなければこいつらは早くても7時近くまで玄関で待ちぼうけをくっていたはずだ。
「お前はともかく、順平は学童に行ってることになってるんだろ。加乃さんが心配してるよ」
加乃さんというのは俺たちの父親の再婚相手、こいつらにとっては新しい母親だ。父親より15も年下で、まだ30歳ぐらいらしい。
「もうちょっと、ここにいちゃダメ?」
消え入りそうな声で、恒平が言う。それはもちろん、ママが帰ってくるまで、という意味だ。
「どういうこと?」
それまでずっと俺と弟たちの顔を見くらべていた風花がおもむろにたずねた。
「俺たちの両親が離婚したのが5年前、俺が12歳のとき。いろんな事情があって、母親は俺だけ連れて家を出た。弟たちは父親とばあちゃんが面倒見てたんだけど、3年前に父親が再婚して新しい母親ができたんだ。それが加乃さん。その加乃さんにも男の子が生まれて、今もう2歳」
「ええ? じゃあ男ばかり4人兄弟?」
「まあ、考えようによっちゃ、そうなるな」
俺は苦笑いした。
「加乃さんは俺も何回かあったことあるけど、いい人だよ。でもやっぱりこいつらは、本当のママが恋しいんだよな」
「会わせてもらえないの?」
「いや、月一で泊まりに来るよ。そういう条件らしい。でもとにかく、父親のところに連絡しないと。今頃大騒ぎになってるかも」


すぐに父親の携帯にかけたが留守電だったので、仕方なく父親が経営している不動産会社に電話を入れる。
「はい、長谷川不動産です」ベテラン女性社員の佐野さんの声だ。
「恒介です。長谷川、恒介です」
「恒介君? 久しぶり。声が大人っぽくなったね」
「お久しぶりです。佐野さん。父、いますか? 携帯つながらないんですけど」
「ちょっと遠くの取引先に契約に行ってて、まだ戻ってないの。今日は少し遅くなるかも」
「ええと、その……、順平だけど、うちに来てます。恒平も一緒に」
電話の向こうで、佐野さんが息を吸う音が聞こえた。
「……わかりました。よかった。恒介君と一緒なら安心だから」
「とりあえず、うちで預かってますから。父に連絡ついたら、伝えてください」
「知らせてくれてありがとう、恒介君。助かった」
「いいえ……じゃあ」
切ろうとしたとき、電話の向こうで佐野さんがささやいた。
「恒介君、大丈夫?」
「え? 俺ですか? 大丈夫って、何が?」意味がわからずに聞き返す。
「ごめんね、なんでもない。じゃ、また連絡するね」
「はい」


電話を切ると、風花がテーブルの上に片方の肘をついてあごをのせ、ストローでコーラを飲んでいる順平にむかって変な顔をして笑わせようとしている。
その隣で神妙な顔をしてうつむいている恒平の、全身が耳になっていることに俺は気がついた。
「パパ、すぐ来ちゃう?」恒平は聞いた。
「いや、まだ会社に戻ってない」
「じゃあ、もしかして、ママに会えるかな?」
「さあな」たぶん無理だろうな、という言葉を俺はのみこんだ。
言わなくても恒平にはわかっているはずだ。
面会日のルールは父親サイドの意向で、かなり厳格に守られていた。
今までにも2回ほど、恒平が無断でうちに来たことがある。
その都度父親が引き取りに来て、問答無用で連れ帰った。
父親の懸念もわからないではない。ここに来さえすればママに会えるとなれば、しょっちゅう内緒で来るようになるだろう。
「兄ちゃん、パパに頼んでみてよ」
少し上目遣いに俺を見ながら、恒平はか細い声で言う。
恒平の目は母親に似て大きくて、女の子のようにまつげが長い。
「ムダだよどうせ、俺なんかが言ったって」
つい言い方がつっけんどんになってしまった。
恒平がハッとしたように目を見開いて、それから唇をかんで下を向いたのを見て、後悔の念におそわれたが、もう遅い。
その横で、ついに我慢できなくなった順平がふき出して、ストローでコーラをブクブク言わせた。
「順平君の負け―」風花が勝ち誇ったように言って、順平のほっぺたをつつきながら聞く。
「今時の小学生って、いつも何して遊んでるの?」
順平は真剣な顔で考え込む。
「休み時間は、ドロケイとかドッジボール。家では、ゲームか、あとは今はベイブレードかな。風花ちゃん、ベイブレードって知ってる?」
小学2年生の分際で風花をちゃんづけか。俺は横目で順平をにらんだが、まったく気づいていない。
「知ってるよ。昔、弟がよく遊んでた」
風花にも弟がいたのか。
俺は改めて、風花の横顔をながめる。
その長い髪にかくれた耳たぶのほんのり赤みがかった白さや、柔らかさを知ってはいても、俺は風花の家族構成を知らない。
そして風花は、俺を恒介ではなく長谷川と呼び続ける。

(つづく)


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