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イノシシを丸焼きにしながら高校時代などを振り返った


高校1年のときの何人かといまだに仲が良い。

自動販売機の下のお金を拾って警察に届けて返ってきたお金で回らない寿司を食べよう、というコンセプトの慈善的任意団体を立ち上げて仲間内でわいわいやっていたことがいまだに仲の良い理由の一つだろう。(拾ったお金は警察に届けなければ犯罪である。落とした人が判明した場合は報労金として何割かがもらえ、3ヶ月経っても判明しない場合は全額もらえる)

自動販売機の下を潜ることを「仕事」と呼んで、暇さえあればみんなで集まり仕事をやっていた。仕事道具である孫の手や手持ちライトに改良を重ね、度胸と技術力と勘が問われるこの仕事をやりながら、プリクラ機械の下はいい額が拾える、台が高い自販機はみんな拾えるから落ちていない、などの無駄な知識を積み重ねていたら、僕らはいつの間にかまあまあ仲良くなっていた。高校卒業後もたまに会っては懐かしむように仕事をしていた。

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(どっかから引っ張り出した高1の時の写真)

そんな高校時代の仕事仲間である1人の友人が、小田原の家にきてくれることになった。F1を学ぶためにイギリスの大学に行って、今は外資のモータースポーツ系の仕事をしている、車好きで嘘と冗談ばっかり言う口が悪い男だ。

余談だが、高校1年のとき仲間内で嘘と冗談ばっかを言い合っていたら何が本当で何が嘘かわからなくなって会話が成立しなくなってノイローゼになりそうになったことから「ザ・ガチ」という制度が生まれた。ザガチを使ったら絶対に本当のことを言わなければならないというスラングである。もしザガチを使ったのに嘘がバレた場合は本気でぶん殴って良いという制度だった。ザガチのおかげで随分救われたと思う。ぶん殴られても言いたいようなちょっとレベルの高い嘘や冗談も聞く機会が増えたのもよかったと思う。ただ、ザガチでも嘘ばっかりつく人が現れたので「ザ・スーパー・ザ・スーパー・リアル・ガチ」とかどんどん言葉が変形していったのも覚えている。ザガチはいろいろ使いようである。これはザガチ。

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(どっかから引っ張り出した高1の時の写真)

コロナのこともあって人を極力呼ばないようにしていたのだが、来たい来たいとうるさいのでしょうがなく呼んでやった。そのわりに「来てやったから自分の家の模様替えも手伝え」と言ってくる図々しい男である。家に着いたとき、手洗いうがいを連呼しながら急かしていたら自分のステテコの中からデカいカナブンが出てきてそいつをビビらせていたので、ちょっと良い気味だった。

友人を家に放置して、地元の社会人ラグビーサークルに顔を出していたら、猟師で釣りの先生で学校の技術の先生でもある近所の人から「有害駆除でイノシシが捕まったから解体しないか」とお誘いが。良い機会だと思い、友人も連れて行って、内臓を抜いて塩漬けにしておいた。夜まで時間があったので、釣りをしようと歩いてすぐの堤防に行ったが一匹も連れなかった。ちょっと海にも入ったのだがスマホをポケットに入れたままで水没したので悲しい気分にもなった。

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だが、夜にみんなでイノシシの丸焼きを囲んで食べたら美味しかったし楽しかったので許す。コロナ禍でみんなで囲んでバーベキューする機会が減っている中でこじんまりと行ったのだがやっぱみんなで食べると楽しいなあ、と実感。そして高校卒業してもう7年くらい経つんだなあ、と友人と驚きあった。

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思えば高校入学から色々あった。中学校まで軟式テニスをやっていた体重40キロ台のガリガリが、知り合いの可愛いマネージャーに誘われたということと、仮入部の仕方がそこしか分からなかったから、という理由で間違えてラグビー部に入ったことから始まった。それからラグビーと学校行事と仕事に打ち込み、勉強するなんてダサいという立派な考え方を持つようになり、高校3年の12月の全国偏差値20台という立派な結果を叩き出し、無事浪人した。浪人時代に勉強がなんだか楽しくなり、第一志望の慶應義塾大学環境情報学部に入った。大学では周りのいわゆるすごい人に圧倒され生きる意味を考えるようになって無事に意識高い系に仲間いり。知らない人の家に転がりこんで鶏を飼うようになったり、炊飯器を授業中炊いて炎上したり、狩猟や食品ロスに興味を持つようになったり、高校の自分からしたら考えられないような生活を過ごした。

今の小田原での古民家生活や働き方についても、大学初期の自分からしたら考えられないような生活をしている。何年か後にも自分は今では考えられないような生活をしているような気がする。そう考えるとこれからの生活が楽しみだ、ザガチ。

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