「今後、企業はコミュニケーション力の高い人を求めていく」に疑問を持った
とても久しぶりです。
生きてます。
ほそぼそとTwitterやってますが気になったことがあり駄文を書きます。
長めですが最近思ったことを何も考えずに綴らせていだきます。
いつもフォロワーさんには本当に気付きを与えてもらっていると感じます。
昨日、「企業はコミュニケーション力の高い人を求めていく」という内容で
コミュニケーション力の高い人が
なぜほしい
なんで
どうして
と思い考えてみた。
結果
「意図したコミュニケーションが取れる人がほしいだけ」
が答えとして出てきた。
なぜ?
先ず、就活シーンで出る言葉
「ガクチカ」がいい例だ。
「学生のときに力を入れたことはなんですか?」の内容が略された言葉であり、有力な回答をすることが必要とされ特別視されて一つのパワーワードになっている。
しかし冷静に考えると
「学生のとき力を入れたことはなんですか?」と言う質問に対して聞かれた本人が相手に魅力的になるよう質問を返す所謂
「ただのコミュニケーション」だ。
「この果物はおいしですか?」
「美味しいです」
返答としてはOKだけど買わせるのであれば不十分。
模範解答として
「私が丹精込めて作ったもので通常のものより甘く感じますが後味もスッキリして美味しいのでおすすめします♪」
くらい用途に合わせたコミュニケーションは必要。
そういったコミュニケーションが少なくなり淡白な受け答え、思考が日常化した結果、コミュニケーション力は低くなってきているのではと感じます。
選考材料に困るくらい受け答えができる人材が少なくなり人事は受け答えがわかりやすく求めた質問の内容が魅力的に返答できる人を
「コミュニケーション力の高い人」
と定め、
学生は就活に有力な「知識」として「ガクチカ」と呼ばれるものを求める。
そもそもなんの為に学校に行き、学んでるのかをベースに考え、自分が有用と思わせるだけの話しであり、目的を持って学校に行っていれば材料も素材もある。
更にはなんの為の面接なのかも目的まで明確。
だが昨今の就活は材料や素材を活かす手段「コミュニケーション力」を軽視し小手先で優位に立とうとして「知識」に群がってしまう。
お決まりの内容、お決まりの文句、お決まりのストーリーとなり、イレギュラーの質問などですべてがはがれる。
結果コミュニケーションの低下を招き「ガクチカ」という言葉が本来の意味を形骸化させてる。
人事がコミュニケーション力の高い人を求めたくなる理由は十二分にわかる。
自分に素直で見せ方の上手い人の方がいま、人事ウケはすごくいいと思われる。
総じて見るとコミュニケーション力は別に高いものを求めてるわけではないことがわかる。
答えはシンプル
「頑張ったことや長所、考えてること、やりたいこと」
を質問者に魅力的な内容で伝えられればいいだけなのでは?
と言う答えに至り、冒頭に戻り
「意図したコミュニケーションが取れる人がほしいだけ」という結論に至る。
この意思疎通ができないと仕事もしにくいし企業理念など共感ももたせにくい。
これから多くの企業は業績のリバウンドを目指すからベクトル合わせは必須。
コミュニケーションを重視しざる得なくなってるのが現状なんじゃないかと。
あくまでこれは個人的に思ってるだけですけどね。
最後に
コミュニケーション力って本当に特別なことをしないと得られないものなんですか?
うすっぺらい知識詰め込むよりもっと協力してくれる色んな人と「直接話す」機会を持ったほうがいろんな気づきを得られると思う。
こればっかりは知識ではなく実戦だと思うので色んな人と話したり相談する機会を私はオススメしたい。
長文、駄文で申し訳ないです。
お付き合いありがとうございます。
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