忘れられていたambivalence

生来、お風呂に入るのが得意ではない。高校生の頃は、お風呂の中でずっと和歌のことを考えていた。この歌はここがいい、あそこがいい。楽しかった。
しかしいつのまにか、お風呂場の空しさに耐えかねるようになった。自分と自分ひとりきりの空間が苦痛だった。入浴というメンテナンス作業を拒むことは、大変ささやかながら自己を損なうことである。わたしはこの自己毀損を、社会生活をギリギリ営めるラインで続けた。


自己否定の波から抜け出しつつある今、お風呂場のわたしには思考が戻りつつある。お風呂場のわたしは、なぜわたしは言語芸術を選び、これからも選び続けなくてはならないのか、を考えていた。


なぜ文学をやらないといけないのか。この問いかけ自体は、ここ十五年ほど、ずっと反復し続けていたものだ。ただ特に近年は、もう少し疑問の焦点が絞られていた。自分は韻文をやっていてよいのだろうか。物語に進むべきだったのではないか。そもそも言語芸術を選んでよかったのだろうか。本当は、ほかにもっと大切なものがあったのではないか。美術館に行くたび揺れた。

こうした問いに、最近「線的な時間への抵抗」と自答するようになっていた。本や漫画は時間の流れ方を操ることに長けたジャンルである。特に漫画がわかりやすいが、人の心の動きのスピードに合わせた演出の緩急を自在につけられる。演劇、映画に比べて鑑賞者の肉体が属する時間の流れと作中の流れとの間に摩擦が生じにくいのも特色だろう。こうした特性は、わたしを時間の流れから救ってくれる。

この答えは、言語芸術とその他の芸術、たとえば映画などと比較してみる目を前提としている。この答えを獲得できたそのこと自体はよい。
ただし、もともとは、わたしが映画を知るよりも先に、この問いが存在していた。そしてそのときも、わたしは当時の自分なりに答えていた。いつのまにわたしは、新しい答えを得た代わりに、ローティーンの頃から持っていた答えを忘れていた。


お風呂場のわたしは、子供のころのわたしを思い出した。本というもの、とりわけ純文学というものなど、この世からなくなってしまえばいいと思っていた。それでいて、何より本を読むのが好きだった。

このambivalenceは、当時は、灼けるように痛切に、わたしのことを支配していた。ずっと、自分のことを支配し続ける言語、日本語が憎かった。高校生の頃、シェイクスピアのレポートを書きながら、「こんなもの楽しくなんてない、文章を書いて楽しいなんてことがあるはずはない、これはお芝居だから、文学ではないのだから、楽しいと思うのだ、文学など、文章など、楽しいはずがない」と自分に言い聞かせていた。


大学生になると、ambivalenceという語があまり古臭く陳腐に思えて、自ら捨てた。語彙を捨てると、やがて、その感じ方も共に失っていった。
自分はこの文学への憎しみ、怒りを忘れないまま文学に進もう、と思い続けて、思い続けてそのまま忘れた。頭の中で繰り返した「忘れないように」という言葉が、いつしか「忘れない」ことを行為ではなく記号にしてしまっていた。


お風呂場のわたしは思い出した。思い出しただけではない。わたしが言語芸術に赴かなくてはならない理由の、もう一つを携えて帰ってきた。
いつも頭の中を走り回って、わたしを支配してやまない言葉に抗うために、言葉に漂白されていったものたちを取り戻すためにわたしは言葉を使ってやるのだと、思い出した。
芸術は、何でだってできる。手でも耳でも花でも口でも。しかし、言葉というものの暴力的な力に抗うこと、これはきっと、言語でなくてはできない。かつての切実な心、これを忘れていたこと自体が言語の恐るべき力の現れであり、それでも思い出すことが、真に立ち向かうことだ。言語の真の恐ろしさを知ることだ。

わたしは何度でも忘れよう。忘れて忘れて自分の母語に立ち向かっていこう。

わたしがあなたのお金をまだ見たことのない場所につれていきます。試してみますか?