見出し画像

読了メモ「レヴィ=ストロース入門 」4

人間が神話の中でいかに思考するかではなく、神話が人間の中で、人間に知られることなく、いかに思考するかである

p189

このレヴィの発想は「ミーム」を先取りしてるように感じる。
自分も3年前「人間」を人体+人工情報+人工物で構成される自然現象に設定した。

この設定では「人間」を人体に限定しない。人工情報も「人間という自然現象」の一部である。それに人体をその自然現象の中心に据えるわけでもない。別に情報の方を中心に考えても良い。その場合、人体は情報のメディア、ミームの寄生先みたいな扱いになるだろう。
以下、ミームである「神話」の立場で人体と社会を想像してみる。

神話というミームはまず生きようとするし増えようとするだろう。つまり

・神話は内容を維持しようとする
・神話は人体から人体に移動して増殖しようとする

しかし安易に人体間を移動すると伝言ゲームの如く内容が大きく変わってしまう、つまり「死ぬ」。なのでそれを避けるため、神話は人体を「語るモノ」と「聞くモノ」に分けようとするだろう。これを人体側からみると

・「語り部」という役割が発生する
・「語り部」だけが語り他は語ってはいけない、という禁忌が発生する
・「語り部」が「神話」を固定的に記憶する
・「語りの場」という中央主権的な空間が発生する

となるのではなかろうか。
これらを前提にしないと、人類学者が苦労して収集した神話も、再度聞き取りに行くと全く違うものになっているてことになってしまう。

まさに「神話が人間の中で、人間に知られることなく」人間にそういう振舞をさせそういう社会を作らせるわけだ。ハリガネムシみたいに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?