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日払いとタクシードライバー。タクシードライバーになるということ

みなさん、こんにちは。
タクシーチャンネルのげん太です。

本日は、タクシードライバーになってからのことを散文で書いていきます。途中、公休日払い制度についても言及しています。

タクシードライバーになるということ


私がタクシードライバーに「なった」のは約6年前。20代中盤でした。私がタクシーという仕事を職業選択肢に入れたのは「稼げそうだった」「休日が使えそうだった」、「今の仕事(割と大きめの会社の内勤営業でした)よりずっとマシに見えた」からです。メーター料金も国によって決まっているし、給与体系も歩合給なのでやった分は自分がもらえるなら、フェアだなと思います。

タクシードライバーになることを決めた私が最初に悩んだことは、親や周りの人には言えないことでした。反対されるのが目に見えていたからです。地方に住んでいる67歳の私の親は「東京のタクシードライバーになること」を良く思わないだろう。親に余計な心配をかけてしまうと思いました。だから親には安定して稼げるようになったら転職を伝えると決めて見切り発射でスタートをしました。

正直、不安がないわけではありませんでした。面接に行くと2年以内に辞めたら2種免許に費用を全額返せと言われたり、祝い金の20万円が現金でほれみたいなテンションで渡されたりと驚くことは多かったです。

タクシードライバーとしての私の給料が、月収50万円を超えたのはデビューから6ヶ月後でした。この50万円という給料の数字は当時の私からしたら大金であり、ひとつの目標でもありました。達成した時は本当に嬉しかったです。その後、安定して月収で50万円以上をいただいているので、親や友達にもタクシーの仕事のことを話すようになりました。今も田舎の親は、タクシーが稼げるのは東京だけだよとか、東京は物価が全然違うから給料も高いんだと愚痴ってきますが、ある程度認めてくれているなと感じています。

実際、タクシー業界に入って全国のタクシー情報が入ってきますが、タクシーで一番稼げるのは「東京」だと思うし、貴重な人生の時間を投資するに値するのは「東京」でやる場合だと思います。※東京特別区のこと

タクシードライバーになって辛かったこと

未経験タクシードライバーとしてデビュー後、苦しかったこともあります。それは事故と接客です。私は東京の道を運転したことがほとんどなかったので、営業車を運転し始めて1ヶ月で2度も営業車のクラウンをこすって傷つけてしまいました。とても動揺して落ち込んで、その日は仕事どころではありませんでした。接客も苦労をしました。東京の道が分からないのでお客さまの行き先を聞いてもそこまでのルートが分かりません。頭を下げてお客さまにルートを教わりながら、運行していきました。本当にあの時期、私の車に乗ったお客さまは大変だったと思います。道も教えければならないし、運転も東京の道に慣れていないから、たまに危ない運転もしていたはずです。最初の時期は頑張るしかないよと先輩から聞いていたので、新人の私は1組、1組、全力でお送りさせてくださいという気持ちで乗せていきました。たくさんのチップ(応援代?)を貰いましたが、それ以上に道間違いの遠回りで自腹を切りました。乗客からしたら新人でもベテランでも関係ないんですけどね。

タクシードライバーと日払い

この苦しい時期は、3〜6ヶ月続いたと思います。その中でも明けの日など時間を作っては営業日報で営業の見直しをしたり、地理の勉強をしていました。この仕事で頑張れなかったら、他に頑張ることがなかったから必死でやるしかないです。お金も全然なくて、全財産は20万円くらいでその日暮らしみたいな感じでした。1社目の会社では、休日出勤をしたら日払いでお金を貰える制度がありました。お金がなかったので何度か日払いをしてもらっていますが、初めての休日出勤の日払いが44,000円だったことを覚えています。(ということは7万円以上、売り上げがあったんでしょうね)当時はギャンブル以外で44,000円の日当をもらったことがなかったので、すごく嬉しかったです。

本当にお金がない人は、寮や祝い金、日払いに騙されてブラックなタクシー会社に入社してしまうことが多いです。その反面、お金がない人の方が活躍する仕事だと思っています。私はたまたま1社目が良い会社だったので生き残っていますが、東京にタクシー会社は400社くらいあって一般社会の価値基準では、タクシー業界は超ブラック会社ばかりだと思います。それはそうですよね。ある程度、働き手がコロコロ変わる会社では、私なんて使い捨ての駒。売上を上げる人は勝手に上げてくるし、全体の待遇を上げる必要なんてないですから。近年、大手を中心にホワイトな職場、新卒を取ったりホワイトに見える職場はあります。若い人はそういった同期ができる職場で団結して生き残ってほしいと思います。駒には駒なりのやり方があるのでしっかり会社は利用して、私たち現場の乗務員が工夫してより豊かに生き残っていくことが大切です。

東京のタクシードライバーとしてデビューしてから半年以上が経つと、今まで苦しかった事故や接客苦痛のことが嘘だったかのようになくなっていきました。仕事に慣れてきたのか道の知識も大体繋がってきて、お客さまに聞いたり、確認をしたりしますが自力で目的地まで運行できることも増えました。タクシードライバー職の面白さは、一期一会の接客と、1日1日の水揚げ(売上形成)にあるかと思います。この面白さがあるから私は飽きずに東京のタクシードライバーを続けてこれています。

タクシードライバーの休日と上司

この頃になると、プライベート(休日)にもだいぶ余裕が出てきてタクシードライバー同士の飲み会に参加したり、会社のイベント(バーベキュー)にも参加しました。会社のイベントに参加すると色々な人と話すことができるので、特に上司や内勤の人と意思疎通がとりやすくなります。一度でも一緒にご飯や飲み会をした会社の人だと冗談を言っても大丈夫だったりするし、お金や住宅、家族にまつわる休日なども相談しやすくなります。最初のうちはお金もないし、住居も寮だし、実家へ帰省するにしても休日の相談ができなくて帰省ができませんでした。新人だと休みのこと、お金のことは特に言いづらいです。

タクシードライバーになって1年を通して振り返ると、月によってかなり売り上げの作り方(人の動き)が異なること、同じ会社でも人によって働き方や稼ぎ方に大きな違いがあることに気付きました。

タクシードライバーも6年目になって振り返ると、意外と安定して稼げる業界だなと思います。人が移動したいという需要がなくならない限り、東京においてはまだしばらく良い状況が続くのではないかと思っています。海外からの旅行客がタクシーで使うお金の量はすごいです。インバウンド需要をしっかり取れる商売は今後も稼げると思います。

書きたいことをつらつらと書いてきました。何が言いたいかと言うと東京でタクシードライバーをやるという選択肢は意外と悪くなかったよ!ということです。タクシー業界に入る前の不安や実際に驚くことはそれなりにあるけれど、他の業界の働き方と比べて収入は高く、純粋な休日は少ないですが、自分の時間は多く未経験からの活躍の場はあります。

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タクシードライバーになって5年間で「できたこと」「できなかったこと」

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