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おかえりなさい

 今日もがんばったね。おかえりなさい。

 まだ生まれてから両手で足りるような、あるいは両親の両手には片手が余るくらいの年月しか経ていない子を、親の目を離れてどこかに送り出すときの不安と安堵。そして、無事に帰ってこれるかしらと、家に向かっているはずの時間、家に着いているはずの時間は、気もそぞろです。うっかり時間が過ぎても戻ってこないとわかったら、それはもうおろおろしたものです。そんな心配が高じて「どこへ行ってたのよ!遅いじゃないの!」なんて声を荒立ててしまったりするのですが。

 おかえりなさい
 無事に帰ってきてくれてよかった!

 誰にお礼を言ったらいいでしょうか。ある時喧嘩をして家でした息子を実家まで送り届けてくれた人がいました。山の中、雨の中、とても歩いてはいけない道のりを、車で拾っておばあちゃんの家まで送り届けてくれた人がいました。道しかないなにもないところでしたから、散歩していても、通りすがりのトラックのおじちゃんが「どうした?乗せようか?」と言ってくるようなところでしたから、きっと同じように声をかけてくださったのでしょう。着くはずのない時間に「家に来てるよ」と、出てから30分もしないうちに実家から電話が来たのには驚きました。同時に息子の持つ強運を幾度となく実感した出来事のひとつでもありました。

 いってらっしゃい。気をつけてね。

 外出の行き帰り。誰かが「こどもがいるからスピードを落とそう」と気を生つけて運転してくれたのかもしれません。誰かが「安心して歩けるようにここにはミラーをつけよう。信号を点けてもらおう」と考えてくれたのかもしれません。そういえばアスファルトはいまだにアスファルトで、コンクリートはいまだにコンクリートなのですが、あれはもう少し環境に優しい素材が発明されたりはしないのでしょうか。照り付ける太陽の反射は眩しく、うっかり視界を遮ります。もわっとした熱気が疲労を増大させます。緑が透けるような、風がふわりと通り過ぎるような、そんな近未来の素材の開発はどこかで進められているといいなと思います。「あの子、大丈夫かな?」とチラリと様子に目を止めてくれた人がいるのかもしれません。「おっと、こどもがさわったら危ないぞ」と植木鉢をどけてくれた人がいたかもしれません。ほんのちょっとの「こどもへのまなざし」が、その日の「おかえりなさい」につなげてくれたのかもしれません。

 だから、昨日も。

おかえりなさい。
「無事に帰ってきてくれました。ありがとう。」の気持ちが響きます。
 だから、今日も。

いってらっしゃい。


 大丈夫。みんなの気持ちがあなたを守ってくれてるからね。

気をつけてね。

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