『特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議』
全体像
『特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議』2021年7月14日に第1回が開催され、現在12回まで続いています。会議のほかの実施は次の通りです。現在、8月15日締め切りの意見を募っているので、意見募集の課題である「審議のまとめ(素案)」に目を通すことにしました。
この有識者会議が目に止まったきっかけは、「ギフテッド教育」と「ホームスクーリング」そして「多様な学び」「個別最適な学び」のキーワードからの流れです。議事録を読んでみると、最初の方こそ大きな期待を持っていましたが、次第に違和感を覚えました。わたしが期待していたものとは違っていたからでしょう。違和感の正体は、有識者会議の位置づけの理解することから始まり、背景にある政策を確認することで全体像が見えてきたことから、納得へと変わりつつあります。
整理すると、どのような意見にまとめることができるでしょうか。
令和3年8月26日
特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議としてのアンケートの実施について
令和3年12月17日
特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議 論点整理
令和4年7月27日
「特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議 審議のまとめ(素案)」に対する意見募集の実施について
有識者会議とは
そもそも「有識者会議って?」から押さえておきたいと思います。目的と目標の着地点の枠組みを持った議論の場になりそうです。ゴール地点を設けないと、課題は出てくるものですから、終わりがないことになってしまいます。ある程度のまとめや答申を形づくらなければならないでしょう。議論の方向性や方針の軌道修正が鍵となります。
令和の日本型学校教育
文科省が打ち出した「学校教育のあるべき姿」です。
「学校教育の」。これが議論の土俵となります。
個別最適な学び
「個に応じた指導」を重視し、充実を図る
協働的な学び
「個別最適な学び」が「孤立した学び」に陥らないために
探究的な学習や体験活動を通じ、子供同士で,あるいは多様な他者と協働する
必要な資質・能力を育成する
GIGAスクール構想
文科省の目下の学校教育の構築は、特にGIGAスクール構想の実現を具体的な目標としています。GIGAスクール構想は、文科省・総務省・経済産業省が連携し、教育分野が担うデジタル社会の実現に向けた取り組みです。
総務省:教育現場の課題解決に向けたローカル5Gの活用モデル構築
「課題解決型ローカル5G等の実現に向けた開発実証」:ローカル5Gのより柔軟な運用及び低廉かつ安心安全なローカル5Gの利活用の実現
経済産業省:EdTech導入実証事業、学びと社会の連携促進事業
Society5.0時代において社会を変革できるイノベーション人材の育成
文科省:一人一台端末
教育の情報化の推進
ICT活用
内閣府:デジタル社会の実現に向けた重点計画
GIGAスクール構想パッケージにみるデジタル推進の背景には、内閣府の閣議決定があります。各省庁はデジタルファースト社会の実現に向け、連携を取り、施策を進めます。
GIGAスクール構想は、教育分野におけるデジタル社会の実現に向けた計画です。審議会のまとめは、この計画の意義を示し、実施の根拠となり、”民意”に意味づけされます。
『特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議』は、このような背景を踏まえて、議論”特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方”の課題解決を探ります。
審議のまとめ(素案)を読む
特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議 審議のまとめ(素案)(※PDF)
特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方
この有識者会議が影響することとして、次の点が思い起こされました。「学校」の枠を超えて、多様なまなびを実現するなにかしらの提案が生み出される機会になるのでは、と期待したのでした。
ギフテッド教育
ホームスクーリング
民間教育産業
しかし上記については、既存の「不登校支援の在り方」の域を出ませんでした。その理由は前述の通りです。「学校外の多様な学び」と「課外活動(学校外の学び)」で線引きされた認識がうかがえます。
そもそも「学校における指導・支援の在り方」の審議会でした。
・学校のなかでできること
・学校で関わることができること
学校中心の課題解決の道筋を探っていくものになるのは当然のことです。
そうであれば、まとめを読んで矛盾があるように思えた点は、”なるほどその枠組みの中では道理になる”観点が多数見られました。
才能の定義はしない(p.16-p.17)
これはある意味で特殊な環境である学校社会と広く市民を包括する一般社会との視点の違いを表しています。学校社会では「そうでなければならない」規律は、学校社会の秩序を守ります。一方で、社会においては矛盾に感じる部分でもあります。
「しない」
学校社会の公平性と平等性を保つ
⇔
「する」
社会でギフテッド教育を提供する機会を創生する
前者は、学校のなかで「特定分野に特異な才能のある児童生徒が感じる居心地の悪さ。居場所の無さ」に配慮する視点です。支援(ケア)にあたる、いわゆるスペシャルニーズに対応し、学校生活を円滑に送ることに主眼が置かれます。その後の進路進学の障壁を緩和し、文科省の定めるすなわち国の定める基礎教育を修めた者として認められ、文科省の言うところの「社会的自立を果たす」道筋に乗ることが可能になるのでしょう。
後者は、「特定分野に特異な才能のある児童生徒(のみならずすべての人)の才能伸長の機会」を生み出す視点です。既存の概念にとらわれることなく、自由な発想で、社会の変革をも可能にする視点が必要になります。児童生徒のみならず、卒業後の進路進学とともに社会での活躍の道を拓く可能性をもたらします。
以下に挙げる点も根底は同じです。
取出し型よりインクルーシブ型(p.5)
文科省の指針として、インクルーシブ教育のスタイルを推進しています。このことから”インクルーシブ教育を実現する”課題解決が目的に置かれることになります。インクルーシブ教育は「包括」ですが、学校の枠組みのなかで展開することを基準とし、学校中心に地域や家庭、各専門機関との連携を目指します。あくまで学校社会における適応が鍵になっているように見えますが、学校社会の在り方は同時に一般社会の縮図ともいえます。
教室における「特定分野に特異な才能のある児童生徒」のまなざしは、同時に社会で与えるべき支援と取るべき態度の正解に浸透していくかもしれません。それは「支援されるべき存在」に向けられるまなざしでもあります。
「支援する側・される側」から、「対等な市民関係」「共生関係」で社会を創ろうとする現在の問いには反するような気がしてなりません。
早修よりも拡充(p.4)
方向性として、早々に決定されていました。
「早修」の意味するところは目下「飛び級」であり、その課題は「地域格差・経済格差」にみる教育格差の困難が挙げられています。この課題は、別の議論の場が必要となるでしょう。つながる可能性としては、審議会まとめの最後の方にある「必要に応じて制度改正を検討すべきである」の提案です。しかし、「実証研究のアウトプット」としてあるものなので、想定しているものはなにかを知るには、詳細は話題のあがった議事録を確認する必要があります。
学校環境の枠組みにおいての「拡充」は、学校生活をより居心地よくするためには有効な観点です。しかし「早修と拡充」は両輪のバランスが揃って初めて有意義なものになるものではないでしょうか。
文科省はよく「切れ目のない支援」を取り上げますが、もっとも重要な接点は、学校社会と一般社会の接続です。
学齢期に応じた対応 ⇔ ライフステージに応じた環境整備
この観点の違いを念頭に置いておきたいと思います。
「なに」を国民的な合意形成を求めているのか(p.14)
わかりにくいのは、「何について合意形成を求めるのか」の点です。
特異な才能のある児童生徒への支援に「公費を投入すること」なのか、支援の具体的な内容そのものなのか。それが読み取りにくい部分です。
”「特異な才能のある児童生徒」の理解を深めよ”が目標や目的でもありません。審議会の姿勢に見られるのは「特異な才能のある児童生徒」を定義し、選出し、その教育を施すことではありません。下記にある通り、「すべての児童生徒」への支援が大きなビジョンです。
学校における指導・支援の在り方の限界
繰り返しますが、上述の17ページの記述の部分はもっとも重要な点です。
ですが、「学校における指導と支援」と限定することで、どうしても限界が見えるように思えます。
「才能を定義しない」としながらも、その困難を理解し、解決するために「特性を適切に把握すること」。
「状況に応じて」「教室や学校にとどまらず、学校外の学びの場を含め」て、学びの支援策を幅広く周知し、活用できるようにする。
と(p.19)あります。
才能を定義しない理由は、「特別視をしない・起こさない」ことが大きな理由ですが、児童生徒が抱える困難の要因に「特定分野に特異な才能のある」と発見できることが期待されているのです。そののためには教員や保護者、地域社会において「特性を適切に把握すること」が必要不可欠になってしまっています。そして「状況に応じて」「教室や学校にとどまらず、学校外の学びの場を含め」て活用している理由が、「特定分野に特異な才能のある」と把握するように知見を広めるよう期待もされています。
明らかな要因(言い換えると原因)と正当な理由を示そうとする姿勢は、学校体質であるように見えてしかたがありません。これがあるために「国民的な合意形成を求める(p.14)」必要性も求められているのでしょうか。
このことは、【学校生活に困難を覚える原因論:家庭環境原因・本人原因】によって学校の威厳を保ち、その秩序を守り、現状を維持するために生じたいわば自己防衛の精神が無意識にあるかのようです。
なぜ、学校はそこまで必要なものとして存在しなければならないのでしょうか。
社会の制度設計の限界
高齢化社会と少子化。これは、それ以前の社会設計を大きく揺るがすものです。ですから【問題視】されていますし、【問題解決】に取り組むことを是としています。
それまでの社会設計が社会に適応し、健全な制度として機能するために必要なのです。高齢化社会と少子化社会を支える社会設計は成立することはできないのでしょうか。それはわかりませんが、ともかく国は、高齢化と少子化社会に適応する制度設計よりも、これまでの社会設計を維持し、機能させるための課題解決に取り組んでいます。
学校が公教育の中心(独占)であるのも、そのためにあるのかもしれないと考えてみることは、「特定の環境」と「一般社会」の齟齬を埋めるなにかを発見する手掛かりにつながるかもしれません。
特定の環境においては理に適っていることも一般社会では偏った考えと差別につながることが「矛盾」を抱えている根拠です。多様性を受け容れる寛容な社会を目指すならば、その矛盾から解放される道筋を見つけたいと考えます。
アンケートからみえる特異な才能のある児童生徒にみられる状況(p.9-p.11)
アンケートには、学校の中での合理的配慮を求める声と、学校外の多様なまなびの保障を求める声があったはずです。学校外の多様なまなびの保障を求める声には、さらに学校外の学びを学校評価に対応させる(互換性を持つ)ことや、自由度の高いカリキュラムの提供と、学校評価の反映ではなく、進路・進学で不利益を被らない直接的な仕組みを求める声もあったのではないでしょうか。それら全体を網羅した課題解決は、本議題のみでは抱えることができません。
その課題解決の本質は「個性の尊重」です。
しかし「個性の尊重」の根本たる「特性の把握」を、偏見と差別を冗長するという理由で忌避することになってはいけません。
特性とは、誰もがもっている個性であると理解すること。そして「定義」を定めることが目的ではなく、定義を定めようとする過程において多様な個性について知る機会を得ることは、とても重要なことです。
特定の領域における優れた能力
特定の事柄への強い関心;(例)政治・安全保障や地球温暖化などの社会問題、映画や本の内容の完全暗記
創造性
集中力
記憶力
この点は、早修と拡充の両輪のバランスがもっとも必要とされる部分ではないかと思うのです。
困難の根本的な解決を求めた先に、その状況と選択がありました。その状況と選択にまとわりつく環境の改善を求める声も、学校内の環境の改善を求める声と同じくらい大きなものではなかったでしょうか。
しかし「学校における指導・支援の在り方」のなかでは言及することは難しいのでしょう。議論が拡がることで、会の目的がぼやけてしまうからです。
この課題の解決の具体策は、「結果、不登校になったり、学校に通わない選択をしたりする場合がある」とし、『不登校支援の在り方』につなげざるをえないまとめになりました。そこで「学校外における学びの場」がとりあげられますが、不登校の受け皿の位置づけにとどまります。
ポートフォリオとしてのキャリア・パスポートの活用の推進
学校外の学びの場と学校の連携
既存の制度(p.26)の周知と活用
学校でできる取り組みとして具体的にできることは出されました。
家庭を基盤にして自由で多様な学びの機会を創出する家庭の環境整備には物足りないものを感じるわけですが、「学校でできること・できないこと」を把握することは、「なにを提案するか」「協議するか」「合意形成するか」のテーマを明確にしてくれます。
教育の機会均等の限界
公教育は、一定の水準の教育の機会をすべての国民に保障する機能を持つことが最大の役目です。ゆえにその機会は均等であることが、公共の平等性と公平性を保つためには重要な観点です。
そのため、「特定の」「一部の」利益であってはならず、それが「全体の利益になる」仕組みを構築し、国民に示さなければなりません。それが国民的な合意形成を求める意図ではないかと思います。
しかし、現行の教育制度の枠組みでは補うことが困難な状態があります。それは今回の「特定分野に特異な才能のある児童生徒」に限ったことではありませんでした。学校の歴史、教育の歴史から見える通り、標準的な授業の形式ではその個性と特性に充分に適った教育環境を受けることができなかった児童生徒は、就学免除を言い渡され、教育を受ける機会を奪われていた事実があります。やがて、その児童生徒のまなぶ機会は、”特別支援”に確保されていきました。それでもまだ主軸は「通常」学級にあります。
独立した教育機関が、学校教育と並行して成り立ってはいません。
独立していないゆえに学校教育の受け皿に位置づけされており、そのために「平等性と公平性」を保つ均一性にあてはめなければならないことは矛盾していると指摘されるのではないでしょうか。
公教育が学校教育に独占されていることは違憲であるとの指摘は無視できないことです。公共性を担保するために、憲法の精神に反するという矛盾した現象をおこしている事実を感じます。
まとめ
次の文章のうち、「教職員」を「こどもを取り巻くすべての人」に、「学校の取り組み」を「社会の取り組み」に、そして「学校生活」を「生活」に置き換えるためには、なにが必要でしょうか。
木蔭noteで常に持ち続けてきたことは、学校社会における環境整備ではありません。地域社会でこどもたちが生きていく生活環境の整備が、観点にあります。
本会議では、「学校における指導・支援の在り方」として、環境整備する対象は限定されているゆえに届かない部分が生じます。
学校以外の自主的な取り組みについて、対等な協力連携を求める姿勢よりも、公教育が正しく提供できるように仕組みをつくろうとする態度も見受けられました。学校中心主義を感じざるを得ませんが、ここでは、あくまで「学校における指導・支援の在り方」の意見を募る場であったのでしかたがないのかもしれません。
しかし、ここからさらに考えることができます。
その問いは、公教育を問い直すことにあります。
その可能性と、各所でのさらなる議論の広がりに期待します。
【追記 「特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等 に関する有識者会議 審議のまとめ(素案)」に関する意見募集の結果について】
意見募集の結果が公開されていますので、リンク(PDFファイル)を貼ります。
https://www.mext.go.jp/content/20220906-mxt_kyoiku02_000024955_07.pdf
2.意見募集に対して提出された意見の数 意見募集に対して提出された全ての意見の数:280 件 うち、意見提出フォーム上の意見を提出する「審議のまとめ(素案)」の項目の欄の 記入に基づく項目ごとの意見の数は以下のとおり。
「全体」 :137 件
「はじめに、1.現状、2.課題」 :24 件
「3.基本的な考え方」 :18 件
「4.今後取り組むべき施策」 :101 件
ここまでお読みくださりありがとうございます! 心に響くなにかをお伝えできていたら、うれしいです。 フォロー&サポートも是非。お待ちしています。