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ホームスクールから公立中学校へ、そして。

 「卒業文集」というキーワードで思い出されるお話を書かせてください。もう5年ほど前のことです。それは中学校の卒業アルバムに寄せる親から子へのメッセージをぜひ書いてほしいという学校からの申し出でした。

ホームスクールから中学生になる

 当時、娘はホームスクール暮らしからガールズトークを夢見て中学校への通学を希望し、引っ越しと共に転籍した公立中学校へ、制服を揃えてのち通学を開始しました。

 限界集落
 クラスメートは保育園時代から同級生という5人程度
 複式学級(異なる学年が席を並べて同時に授業を受ける)
 幼稚園・小学校・中学校と合同校舎(一貫校ではありません)
 在籍する児童生徒(二桁)は、キョウダイであったり親戚であったりがほとんど
 部活動はバスケットボールのみ
 高校は無い(進学する場合は他市町村へ通う)
 図書館は無く、社会教育施設は他市町村まで足を運び利用する
 学習塾は無い。受験生を対象に無料学習支援が提供される

 ざっとあげるとこのような環境でした。車さえあれば、隣接する市町村はそれなりの都会でした。

 転校生はたびたびあるそうで、聴くと、不思議なほどオルタナティブ教育に親しむ家庭のこどもが多いのでした。おそらく最大の魅力は、自然環境なのでしょう。もともと住んでいる住民にとっては「あたりまえ」な環境で、むしろ不便なものですから環境保護という意識は遠く、環境保護活動に臨むのはおおよそ外部から移り住んだひとびとばかりという印象です。


学校社会のなかにホームスクーラーがきた

 娘にとって初めての部活動であり、運動会などは初めて触れる地方独特の文化でもありました。ホームスクール暮らしの娘は、興味関心のおもむくまま、関心高く夢中になり、誰よりも熱心に取り組み、自分にとっての「はじめて」をどんどん吸収していったのでした。
 小学生時代の彼女のホームスクールは、学校の授業も選択制で参加するスタイルでした。これはいわゆる不登校の児童生徒にとってはごくあたりまえのカタチでもありました。学校側から見ると「参加できる授業や行事に無理なく参加することが望ましい」ことであるからです。保健室登校などもそのひとつですね。ちょっと違うのは、彼女は、例えば理科や数学の授業が受けたくて行く、先生からの指導・教授を求めて行くことが登校する動機であるということです。「学校に行くためにどうにかして行く」ことはありませんでした。
 さて、中学校では、「中学生になってみる」のが動機でしたから、中学校の生活の規則にならって過ごすことが目的でもあったのでした。

 そんな彼女の授業中の様子はこういうものでした。

質問があれば、すぐさま質問することを躊躇しない
疑問があれば、質問する
クラスメートの理解をうながす目的で、必要だと思うやりとりを考え、発言し、先生からの言葉を引き出す
どれも手抜きをせず、全力投球。

 

 どうして、このようになるのかというと、彼女の信念がこういうものだからです。

勉強はたのしい!
できないことができるようになるのがたのしい!
わからないから、おもしろい
みんなすばらしい。だから教え合える。学び合える。

 

ホームスクーラーが不登校児童生徒になった日

 こんな子が、あなたのクラスに転校してきたら・・・?
 我が子のクラスに転校してきたら・・・?
 もし学生時代に、当時の自分のクラスに転校してきていたら・・・?


 そんな質問を投げかけたい想いにかられます。実際、どうなのでしょうか。彼女の周りで起きたことは、一言でいえば【嫉妬】でした。親である私自身も当然それに巻き込まれていきます。

 初めは「授業が活発になってありがたい」彼女の存在は、次第に疎まれていきました。理由はこんなものです。

内申をつける都合上、まんべんなく生徒を指名して発言させなければいけない。
正解がわかる生徒だけを先にあてるわけにはいかない。
周りとの協調性を育むために、独特な考えは改められなければならない。

 彼女は挙げようとする手を教師から目で制止され、結果を出す前からクラスメートからは「どうせあなたが一番でしょ」と心無い言葉を投げられるようになりました。保護者からはいわれのない中傷を受けました。彼女らしさをよいとすることは、徐々に取り除かれ、「常識的であること」「和を乱さない」意味を再教育するという指導(調教)すら始まったのでした。
 それでも彼女がすぐにホームスクールに戻らなかったのは、中学生という多感な時期であったからでしょう。人を信じたい気持ちのほうが疑うことよりまさっていたことと、正義が勝つという信念は通じるはずだという信頼を、周囲の人に寄せていたのです。純粋で、自分に誠実で在り続けていたのでした。この頃って、生きることに命がけです。

 結果を言えば、部活動は半年で休部を余儀なくされました。気持ちとは裏腹に身体が悲鳴をあげたからです。1年後には学校は意に反して欠席せざるをえない身体症状が起こりました。それでももう1年は登校復帰を前提にだましだまし通学を続けていました。
 親である私の意思でこれを止めようとするなら、引っ越しと転校しかなかったでしょう。彼女の気持ちを尊重しながらも、いつまで見守るか、その限界は、見極めはいつなのか。転居の可能性を探ると同時に葛藤の日々でした。なにより彼女自身が「諦める」ことを自分で決定しなければ、同じことはまた繰り返されるとも考えたからです。
 「あきらめる」こと。それは年齢とともに、視野がひろがるとともに分かってくることであり、待つしかないことでもありました。どれが正解だったか、それは今でもわかりません。

 2年後の中学3年生のころにはホームスクールに戻ることを彼女は決めました。とはいえ、すぐには切り替わりません。以降、トラウマに苦しむ日々は、今でも続いています。もっとも深い傷は「私は勉強してはいけないのだ」と感じて、それを拭えないことです。「勉強する私の方が悪いのだ」という想いが離れないから、それまでの自分を肯定することもできず、取り戻すことも出来ず、ただ迷いだけが残っているわけです。そんな本人をおいて、クラスメートは卒業し、進学し、普通の生活を送っているのでしょう。娘のことはすっかり忘れて。いいえ。覚えていてほしいのではありません。むしろ思い出さないで欲しい。それくらい、「あなたがたの人生に関わりないこと。娘の人生にあなたがたがまったく関わりないのと同じくらいに」と思っています。
 私が持った覚悟といえば、そんな彼女のそばに寄り添って、信じて待つこと。それだけでした。信じているから待てる。そう言うほうがあっていますね。


中学校は集団教育の場です

 さて、私の記憶も曖昧な点があるのですが、卒業にまつわるエピソードといえば、先輩を送る側であったときと、本人が卒業する時期のことでしょう。
 学年ごとに不思議とこどもたちの雰囲気は異なるものです。彼女にとって先輩たちは多様に飛んだ集団でした。もし、あと1年早く生まれていたら…と当時、ホームスクール概念に親しく、教育に非常に関心高い先生がヒシヒシと感じていたようです。それほど多様な学年カラーだったのです。
 そんな先輩を感謝とともに送りたい気持ちを彼女はもちろん持っていました。でも、クラスメートはそれを許さなかったし、そんなクラスメートの感情から守るすべを先生方も持っていなかったから、できることは、「学校に来ない方がいい」と助言し、登校しても、保護という名の隔離をすることだったのでした。

 小学校のような参加型のスタイルが中学校で通用しないのは、集団教育が中学校のもっとも重要なカリキュラムであることが挙げられます。全行事を「みんなで取り組む・最初から最後まで気持ちをひとつにする」ことで、協調性と社会性を養うものとする場所だということです。手段と方法がそういうものであるというだけにすぎません。
 なぜ中学校が集団教育の場をされているのかは、日本の教育が、常に準備期間に必要なことを施す機会と場が学校であるという認識があるからでしょう。小学校で困らないために幼稚園のうちにしておくべき生活習慣、中学校で困らないために小学校で身につけておくべき知識、社会に出て困らないために中学校で身につけておくべき態度…と延々と続いていくのです。そのため「今、これができないと将来、困りますよ」という助言があたかも正論であるかのように使われるのです。
 本当は、「今、必要なこと」のみに焦点をあてれば、個々人の発達成長に応じて多様な環境が生まれ、インクルーシブデザインが構築されていくだろうと思うのに。「普通基準」「標準設定値」が「良いこと」とされる根底に流れるのは、個人を切り捨て、村単位でないと生き残れない風土があったからなのでしょうか。


卒業文集に寄せて

 先生は多くを語りませんでしたが、多様性を受け容れるためにできることを模索しておられるのだと私は受け止めました。「どんな生き方があってもよいのだと生徒に伝えたい」そんな想いを、私は勝手に感じ取りました。

 ホームスクールながら、現行制度上、学校との関りを持ち続ける我が家では、多くの先生方と出会い、語り、想いを分け合ってきたものと自負しています。いろんな先生がいらっしゃいました。

 「学校」「教師」の存在理由を割り切って職務に忠実であろうとし、必要以上には踏み出さないこともあれば、【教育】の課題を問い続ける方も。学校の存在意義を問うことは稀ですが、「教師」という立場から見えることを軸に、多様に考え、想いを巡らしています。それは真剣な姿です。どなたも正解は分からないものです。ただ信念に沿って、良心に従って、「こうではないか。ああではないか」と疑問を抱きつつ、限られたなかで言葉を発し、学ぶ姿があります。なにより、生徒になにかを学び掴んでほしいという熱い思いがおありです。


 だから私はこう寄せ書きしたのです。

娘へ 
あなたを誇りに思います

 

 確かに私は想像しました。これを読んだクラスメートたちは、その保護者たちはどんな顔をし、なにを言い合い、思うのだろうか、と。
 正しさを信じ、間違いを排除することが正義だと思い続けてきたことに気づくきっかけになれるだろうか、と。けれども、それは淡く消え去る幻想だということも知っていました。

 私はこれを「学校で我が子が受けたイジメ」だととらえるべきでしょうか。とてもそうは思えませんでした。そう感じることはできませんでした。理解しがたいことが起こり、それを理解しあおうとする場も機会もなかったというただただ残念なことが起きたというだけのことだったのです。

 対話しよう
 話を聴いてみよう
 判断することなく、
 偏見や差別や固定観念を棄てて、まずはありのままを知ろう
 もしかしたら、知らないことがあるのかもしれないから

 そんな思いが、そこには存在しなかったし、生まれなかったというだけのことでした。

 それを生む情熱と気力を、私は、他人に注ぐことを選びませんでした。
誰が、娘を回復させてくれるというのでしょう。いったい何が、それを成し遂げてくれるというのでしょう。たとえそれが「できる」「努力する」と申し出られたとしても、私がそれにゆだねることは決してないでしょう。なぜなら、それほどまでに信頼するに足る相手だと認識していないからです。
 もっとも信頼しているのは、娘の生きる力ですから。娘の回復を、よく知らない他人になにを預けられるというのでしょう。なにより私にとって他人でしかない、通りすがりの人の成長に奉仕して、娘の人生を使うことも、私の人生を使うこともよしとは思えませんでした。そんな余裕はありません。そんなに親切でもありません。

 大きな声をあげることで、なにかを初めて知った人も生まれるのかもしれませんが、本質的、根本的な課題はどんな場面にでも生じます。他人事で受け止められるならば、なにかが変わるということは無いのではないでしょうか。ひとりひとりが、自分事として向き合う課題がそこで反映されているわけですから、それに気づき、真摯に考え続けていけるかということなのでしょう。問題や課題に触れた数の多さや大きさなど問題ではないのでしょう。

どう在りたいか

 その問いかけ、自問自答が、生き方が、在り方が、なにかを変えるというよりも、自分の人生が、見える景色が変わっていくということになるのでしょう。

 きっととても地味なことです。平凡なことです。ちっぽけなことです。

 でも、確実に「しあわせとはなにか」の幸福追求の姿勢だと思うし、ひとりひとりが自らにとっての幸福を追い求めることは、自由に生きることができる社会ではないかなとなんとなく思うのです。


丁寧に生きる思い

 例えば、「どう返事をしよう」「どんな態度で返そう」と、言葉ひとつ、仕草ひとつに、想いがまとっているようなことです。

 「これは、私にとってどんな意味を成すだろう」と、日々に彩りを与えることです。

 自分の身体を、人生を乗り切るための器として愛しむことです。

 「嫌い」「気持ち悪い」というアンテナはとても大切なこと。自分の感情を丁寧にすくって、対応し、自分とつきあっていくことです。

 「好きだなぁ」「しあわせを感じるなぁ」を感じ取っていくことです。その感性を失わないように気をつけることです。

 真剣でありながらも、ユーモアを忘れずにいることです。

 「こんな私だけどまるっと自分大好きだから!」
 「大丈夫 大丈夫」
 いつだって、今がベストな環境を与えられているんだなと感謝の気持ちを持とうとすることです。だって、「自分にとっての最高」を自分で選び取る判断って、そんなにできることじゃないと思うから。それは結果でしかないから。選択を重ねてきたようでも、思いもよらない方向であったりもするし、すべてが自分の責任において決めてきたことだとは到底言えず、流れがあり、それにゆだねる時もあり…《今》は創りあげられている。そんな感覚があるのです。その先になにかが待っている。そのワクワク感は忘れずにいたいものです。

 

 眠りにつきたいときに、布団に飛び込める幸せ
 屋根がある幸せ
 家族の声が聞こえる幸せ
 家の中に、自分たちを脅かす存在は居ないと分かっている安心

 電線の無い広い空の下を歩くと、とてもうれしいと感じます
 だれかから返される笑顔に、喜びを感じます

 なにかを知り得ることに歓喜します

 50歳になっても、60歳になっても、きっとそのときの私に「はじめて」は訪れるし、それに気づき、初めてを学び知ることができる可能性を考えると、未来はとてもおもしろそうだよねって思います。

 幸せを感じること。それは時には残酷なことだなぁとも実は思っています。どんなに苦しくても、どんなになにもない状況でも、幸せを感じることができてしまうと、今ある状況に耐えることが容易になるからです。それは現状から脱出しようとしない危機をもはらんでいます。その限界値は人それぞれで、限界値を知らず、動けなくなるまで動かないことだってあります。そこからの脱出は、奇跡としか思えないことになるでしょう。気をつけねばって思っています。判断のしどころを見極めるアンテナは、日々の丁寧さが物をいうんじゃないかなって思うんですよ。

 自分を知る

 そこからですから。

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