#20 「それは報告しようよ」とつい思ったけれど
『ホームスクールをあたりまえに生きてる』エッセイ 第20弾
「それは報告しようよ」とつい思ったけれど
ちょっと笑ってしまった話です。ホームスクールがあたりまえな我が子たちの感性に、いまだ私も驚いています。
お出かけしていたある日、休憩中に着信履歴に気づきました。末っ子が在籍する中学校からでした。すると、21歳の長男が思い出したようにこう言うのです。
「そういえば、少し前に(次女が在籍する)中学校から電話があったよ。言ったっけ?」
え、聞いてないよ。(たぶん)
「”卒業アルバムに写真を載せますか?”って。本人に訊いたら、載せないって言うから、そう伝えたよ。」
え!?それでいいんだ?
私は驚きを隠せませんでした。驚きというより、正直言って、半ば、うろたえたかもしれません。だって、それって、え、それでいいのか…?
「そういうことは!
その日で!すぐに!母に報告するべきではっ!?」
と、口でいいつつも、なんだか笑いがこみ上げてきました。だって、親を介入させずに学校とのやりとりをさらっと済ませているんですから。なんら抵抗もなく、自然にやりとりしていたことに呆れるやら、感心するやら。
おそらくですが、これが長女でしたら、学校からの連絡ということで「まず親に報せないと」と考えるのではないかなと思うんです。そして「今、親が不在であること。内容を伝えておくこと。折り返し、お返事の電話をする」旨を伝えて電話を切るかなって思うんです。
この辺りは、私も長女もある程度、学校に対する「常識的な態度」として固定されているんではないかと思います。それは礼儀としてそうするべきだと思っていたものだと思います。
でも。
違ったかもしれない、と目からうろこの出来事でした。
わたしたち家族のホームスクール暮らしは、こういうものです。
【普通教育として自由教育を選びます。
制度上、こちらの学校(一条校)に在籍することになりますが、よろしくお願いします。】
学校に対してはこのような態度で臨みます。長期欠席児童生徒への対応を望むものではありません。在籍生徒であることは、制度上そうなっているというだけの認識です。ですから、生徒本人である我が子たちは、その学校に「お世話になっている」とか「その学校で学ぶ生徒である」という意識を持ちません。在籍に係る事情は、あくまで大人たちの事情なんですよね。
そう私自身が思ってきたことが、おのずと、我が子たちにも浸透してたのかなぁ、なんて思いました。
常識的に考えていた礼儀は、その前提を疑うべきでした。
それは「学校の先生に対して失礼にならないように」という意識と一緒に、本来ならこうあるべきことからはずれているがゆえの障害に対する防御態勢をも持っていたのだと思います。それを「礼儀・態度」という盾で隠していたのでしょうね。そういうことを、ぱっかーんと破られてしまいました。常識破りはおそろしく魅力がありますね。
学校にとらわれていないことが、なにより自由です。
保障・保証・補償という約束は一切ありませんが、その分、失敗と挑戦だけは飽くことなく制限もなく、試行錯誤するだけの時間はたっぷりあります。
《年齢と学年相当》
その縛りを持っていないだけで、個別の個人の成長に沿っていけばよいという安心感があります。世界は自分のもの。そんな言葉で言い表せるかもしれませんね。ちいさくて可愛らしいものです。でも、しあわせなんだと思います。
地に足をつけて生きていけたら最高ですね。
じっくりと踏みしめて。
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ホームスクールをあたりまえに生きてる
「ホームスクールをあたりまえに生きてる」シリーズを集めたマガジン 2022年5月スタート。 更新中。基本的に全文公開としています。 気に入…
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