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#25 入学や卒業が「おめでとう」とお祝い事であることに違和感があるんです①

『ホームスクールをあたりまえに生きてる』エッセイ 第25弾
入学や卒業が「おめでとう」とお祝い事であることに違和感があるんです①
~卒業証書を受け取りました~

 久しぶりに書いたら、うっかり長文になってしまいました。その②、その③があります。



 熟成noteです。執筆を再開。少し前に書き始めたお話です。

 今年の3月は我が家の末っ子が中学校を卒業する年に当たりました。
 我が家はご存じのアンスクーリング暮らしで、末っ子は幼稚園の体験入園で1週間の予定を3日で「行かない」と自ら決めて終わらせて以来「学校」と名のつくところには通った経験がありません。4人のこどもらはそれぞれに「学校との距離」を持っています。

 さて、普通教育として自由教育を選んだ我が家は、日本の教育制度上、一条校に就学手続きをすることで在籍していました。が、時期が時期だったためか、末っ子が在籍したこの3年もの間、学校からの連絡は教科書と就学援助申請の書類の受け渡しくらいのもので年2回程度でした。
 在籍しているというだけですので「卒業式に参列する」理由を思い当たらないのは当然のことです。ただ卒業証書は作成されるものなので、私が受け取りに行くのが基本です。あるいは郵送でもかまわないほどです。

 そんな我が家ですが、今年度はなぜか「卒業証書授与式の参加」をしつこく確認されました。これまで卒業式に参列しなかった生徒を対象に式後に校長室にて卒業式が執り行われていましたが、今年度は(校長先生が変わってからでしょうか?)生徒ひとりひとりを順番に時間を区切って授与式を行うようでした。

 そのスケジュール調整の為なんども電話をいただきました。
 そのたびに私は「授与式は希望していません」「授与式には参加しません」「卒業証書は郵送で構いません。必要ならば私が取りにうかがいます」と先生方のお手間を省くためにそのような返事をしていたのですが、「お休みはいつですか。調整しますので」とのお返事や「ご希望の日は叶いませんでした。調整しましたのでご確認ください」との留守中にメモがポストにはいっていたりと、なにがなんでも卒業証書授与式に参加してほしい様子でした。なぜなのでしょう…。
 終いには「中学最後なので直接本人に、校長先生から”おめでとう”をお伝えしたいのです」とまでおっしゃるのですが、わたしにはココ一番の不思議回答です。

 だって《中学最後》のキーワードの重要性がわたしたちにはさっぱり理解できないのですから。


 そういえば、誰かの小学校6年生”最後の”発表会のときも似たようなことを言われたなぁと思い出します。

「最後だから、全員で参加してほしい」ということでした。

 これは以前のnoteで書いたことがあります。これ↓ですね。

 【終わり良ければ総て良し】ということなのか、あたかも「それで丸く収まる」ような感覚だとか、「立つ鳥跡を濁さず」のつもりなのか、それで”事後処理OK”の判を貰った気になっている感じとか…。たぶんそれが受け入れがたいのだと思います。
 それは例えば、「いつも気にしていたけれど、会う時間を取れないまま」の状態なんだけれども、相手の葬儀に出たことでそれまでの不義理がすべてチャラになるみたいな感覚を持たれることです。

 苦手です…。


 さて、当日はやたらと念押しされたことがございました。
 「ご本人さんは不参加ということで、お母さまは本人代理でいらしたということでよろしいですね?」
 「本人代理でお母さまが卒業証書を受け取るということでよろしいですね!?」。
 「お母さまは本人代理ということでよろしいですね?」


 まぁ、はい。はい~???

 いえ、本人はまったく無関係なのでございます。
 なにせ本人は確かに制度上の都合で一条校の在籍生徒ではありましたが、学ぶ場所は本校ではありませんし、学ぶことは学校教育の学習課程でもありませんでした。「でした」と過去形を使うのも違和感があります。なぜなら、この日この時を”卒業する”と決める根拠も動機も本人は持ち得ないからです。
 ですから、卒業証書授与も卒業式も、わたしたちにとってはただ単に”大人の都合につきあっている”だけなのです。

長くなりましたので、次に続きます。

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「ホームスクールをあたりまえに生きてる」シリーズを集めたマガジン 2022年5月スタート。 更新中。基本的に全文公開としています。 気に入…

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