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嫉妬心が苦しいときは嫉妬の対象に向かって傷付きにいくしかない。

読者ブロガー時代、おいそれとほかのブロガーたちの記事をじっくりと読むことができなかった。

自分より面白い記事。ためになる情報。美しい文章。
それらを目の当たりにするのがとても怖かった。
比較して、自分の文章には人を魅了する力がないと思い知ることに、耐えられそうになかった。

記事ランキングも毎週毎週、とても辛かった。
「お前の文章なんか誰も読んでないよ」と言われているようで、読者のために書いているつもりが、いつのまにか自分の見栄のためになった。承認欲求というやつ。

何やってんだろう、続けて意味あるのかな、出版社も辟易してないかな。
みんな本当は自分のことをつまらないやつだって思っているんじゃないのかな。どう見えてる? 
求められているものが書けない。わからなくてしんどい。

周囲の人は他人のブログをちゃんと読んで「すっごくおもしろかった!」と感想を言ったり、「影響をうけてこれを買ったよ」と伝えたり、その素直さが、本当に本当に羨ましかった。

心の内側をどうしたらそんなに美しく保てるのだろう。私はどうしていつも嫉妬の塊なのだろう。そのくせ嫌われるのが怖くて外ではいい顔をしまくっていた。

環境も人も何も悪くない。
すべて自分の思い込み、捉え方だとはわかっていた。

あるとき、もう本当にそんなことばかり考えている自分にうんざりして、仕事帰りの電車の中で、ほかの読者ブロガーたちの記事を全部読んだ。

きっかけは特にない。とにかくもう、そのことで頭がいっぱいで、怖がることにほとほと飽きたのだと思う。

記事をクリックするときは手が震えた。
記事が表示された時は胸がズキンと痛くなった。
そして読み始めると、どんどん、どんどん、読んだ。

いいじゃんこのコスメ……このスカート細く見える……そうかお子さんと行けるところって限られるもんなぁ……。気付けば読み耽って5駅くらい過ぎていた。

読む前からイガイガと余計なことを考えて、私はまったく本質を見ていなかった。読者に寄り添った目線、情報、書き方。彼女らはちゃんと読む人のことを考えていた。

どす黒かった毒のようなものが胸の真ん中からタラ―っと抜け出ていっているような気がした。彼女たちの文章は私に学びだけを残していった。

とはいえ、そんなにすっきりとネガティブな性格が治るわけでもなく、いまだに、誰かが評価されているのを見て心に小さな波が立つこともある。

でももう、知っている。評価されている人が、努力しているということを。読者の目線に立ち、丁寧に情報を精査し、美しくかつわかりやすい写真を撮影し、どうしたら伝わるか真剣に向き合っていることを。

物事が自分の頭の中だけにあるうちが、見ているつもりで何も見えていない。

嫉妬する時間があったら思い切って傷つきに飛び込んで行けば、きっと何かが見えてくる。そう頭に刻まれた出来事だった。


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