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ちかちかする


2024 0330
ちかちかする。
スーパーで買ったどら焼きがおいしい。新しくできた鰻屋はすぐにつぶれそうだ。人が多い。好きな市場が閉鎖される。久しぶりに長いシャツ一枚でいれてうれしい。パンツが生乾きで臭い。湿気でタバコの煙が多い気がする。

「近くで飲まれていたんですか」「おうちはどちらですか」「お友達と飲んでいたんですか」「ご家族と住んでいますか」「ご家族と連絡取れますか」「ここで寝られると通報が入りますので」「帰れなさそうであれば〇〇警察署に連れて行って保護することになるので」

あの人泥酔してベンチで寝ていたところを起こされたところなのかな。それにしてもなんでこんな明るい時間に一人でつぶれているんだろう。それになんで寝てたら起こされるんだろう。寝れる場所が欲しい。横になれる場所が欲しい。体育座りができる場所が欲しい。お腹がしんどいしお金もないし眠たいけどスタバに入っていろいろ終わらせやんと。潰れてる人が着てたの一昔前のUNIQROの柄のシャツジャケットだよな。そういやここらへんで花見できるところあったっけ。

ちかちかする。
就活って自己分析のようなものが大事だってなっているから性格診断のような何かを受けてる。
ああいう診断系を答えているときの結果を見ているときの合ってるとも間違ってるとも思う感じってなんなんだろうね。
評価の対立軸に置かれているものが対立して思えないし。一つの直線にあるよりはミルフィーユのみたいなもんじゃないの。
でもそれだけじゃないような気もする。
参照する自分が複数あるからまちまちになっているみたいな。
ああいうアンケートって具体的なエピソードに近いものをぼんやり思い浮かべながら答えてる。
たとえば「約束を守ってきた」に対して、「そうだと思う」から「そうだと思わない」のグラデーションを答えるとして。
守ってきた約束と守れなかった約束の両方が浮かぶ。
4年くらい前は「そうだと思う」、半年前は「そうだと思わない」、最近「どちらかといえばそうだと思う」みたいな感じ。

特に自分の場合は、4年前以前と3年前からでは大きく答えが変わっている。最近はマーブル状に混じっている。大体のこと、なんなら性別ですらそんな変化がある気がする。だから今の自分の診断結果や進路希望をどう生かせばいいのかがわからない。履歴書をみながら自己PRを考えていて昔となんも変わってへんって思うこともあれば昔のトーク履歴を見ていて食べたものを戻したり。

ちかちかする。
ここで働きたいなって思う会社の人が書いた本やブログを読んでいた。
自信がある人は想像力がないから嫌いだけどこの人が書く文章は魅力的だった。
「生きる理由とは何か」みたいなことを考えているところ以外は好き。
自信がないところが好き。
中毒症状的な感じも好き。

そういえば自分の行動原理もこんな感じだったなって思い出す。
インフルで寝込んでいるのに折り紙をずっと折り続けるみたいな感じ。
誰にも求められていないのに誰よりも早くグラウンド10週走り終える感じ。
壊したくない関係ほど徹底的に壊してしまう感じ。
キモクなりたくないと思えば思うほどキモイことをしてしまう感じ。
行動原理というか人生そのものがそうというか。
インターバル走ばっかりしてきた気がする。

ちかちかする。
文章が組み立てられない。
右足出しても左足が出てない。
インターバル走をしているような人生はいやだと思って穏やかに過ごそうとしてきたつもりだった。
けど、結局インターバルだった。
行動しては行動してみたいなのが4年以上前だったけど。ここ数年も文章を読むこと書くことを必死にしていただけのような。
なんかたくさんいろいろ知ろうとしたけど、世界が豊かに広くなるんじゃなくて、ある貧しい世界からある貧しい世界に変わっただけの。
貧しいに必死に抵抗しようすることから諦めてできることをしようって変わった。
けど諦めたところで貧しい世界のなかで中毒症状のまま生きていくことは変わらない。
世界の狭さに諦めを持ったけど持ちきれてない。
脇目を触れないほど脳がちかちかして必死になっている人をみるとそういう人がこのクソな世界を作ったと思いながらもその貧しさに憧れるし、余裕をもって周りを見ている人を見ると賢人らしさに憧れることもあるけど遠くから見ていて何がわかるんだろうとも思う。

ちかちかする。
中毒症状を仕事にするかどうか。
めっちゃいいな楽しそうここで働きたいと思えるのを今週だけで3か所見つけてなんかいつのまにか応募書類を書いている。それ以外の穏やかで生活が豊かになりそうなほかの選択肢が霞んでいく。
自分の深い中毒症状は文章を読んだり書いたりすることだから安定してぼんやりとできる職場を選ぶべきかなって思ってたけど、ハードワークだけどあっているかもしれないと思えるところを見つけてしまう。

もう理性的になれない。してしまう。
いろんな締め切りが近くなっていることも関係してそう。極端に穏やかな曲だけじゃなくて激しいのもここ数年好きなのも昔好きだったのも聴いてるし、全く動ける時間と元気すぎる時間の両方が一日の中にある。

自分がどうなっていくかわからない。
そのわりには心配していない。
世の中の企業に自分の中毒症状が合いそうなところを見つけられたのは素直にうれしい。
ちかちかがきらきらになるのかもって。
中毒症状に合ったことをしていないとバーナーデッドママみたいに行方不明になると思う。
なんか最近はひさしぶりに締切までに一個一個終わらせるようなことを特別な構えなくできている。
肌に合う何かができている気がする。
できることとできないことが役割が決まっていくだけの界面。
こういう時期はお金の減りが激しい。


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