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理系大学生がミニマリストになる② ジョシュア・ベッカー著 『より少ない生き方 ものを手放して豊かになる』

今回は前回予告していた、ジョシュア・ベッカー著 『より少ない生き方 ものを手放して豊かになる』の感想を書いていきたいと思います。
前回もお話しましたが、この本は写真家でミニマリストの田中時丸さんがおすすめして(いたと思ったら孫引用になって)いました。

この本は、クリスチャンで牧師であった筆者が、彼の経験と聖書と自身の部録読者の話をベースに進んでいく。
彼の本では、何が人生の中で大事なのか、何が大事ではなくて人生を邪魔しているかというのを明示してから議論や実践を進めています。

この本はまず、人生の中で何が大事なのかを説いてからミニマリズムの実践がどのように人生に良い影響を与えるのかを説明していきます。

ここでは明確に人生の中で大切なものを「物」ではなくて、周りに居る人と過ごす時間であったり、自分が持て余していたものを持てない人に譲って自分だけではなく世界の人全員の幸せの総量を大きくすることに重きを置いています。

自分が持っていて不幸せになっていたものを他の必要としている人に譲ることで、ものの授受が行われてものの総量は保存されるけども、幸福の総量は保存されずにお互いに増えていく。

このことに気づかされてハッとしました。ものの所有に幸せを求めるのではなくて、一人のひととしての関係性、肉体と思考としての私を大切にする考え方をするようになりました。

しかし、いまは学生で、そもそもお金がありません(金欠は究極のミニマリズムかも!)。ミニマリズムを始めて行くに当たって初期投資として粗大ゴミの処理費用がかかるとか、勉強用のものを減らしてしまって将来の可能性が狭まってしまったりとかお金にかぎらずコストが大きいです。

写真が趣味。他の記事も見ていってください!

これは学生ならではの事情かと思います。しかし、昨今日本で取り上げられることが多く、たくさんのひとが実践しているだろうミニマリストを想像するとジョシュアや私の理想像とは違うと思います。いま日本で主流といえるようなミニマリストは、ものを減らすことによって、無駄な消費を減らす事ができ、持っている物にかかるランニングコストを減らすことができ、今持っているものを売却することによってお金が手に入る、と主張します。

ざっくり言うと「節約」が第一の目標になっている。金の奴隷になっているって訳ですね。もちろん資本主義自由経済の中ではお金無しには暮らすことができないし、私とその周りの人間の幸せ、自分の心身の健康のためにお金は必要です。貧しく生活が厳しければ、不必要な出費自分の職を変えたりとか行政やNGOに支援を求めるべきだと学生ながら思います。また、先ほど挙げたようなミニマリストの主張は、私には、急性的な行動であって、特に持っている物を売ってお金が手に入ることは一時的な効果に過ぎないと思えます。また、常に物を売って常時生活の足しにするには、常に何か買い続けなければならないのではないでしょうか(ミニマリストは過剰な消費活動はしない!)。

身近で具体的な例としては、弟はパチンコにはまってお金が無いようです。大学生でギャンブルは良いこと無いと思うぞ、弟よ。

では、果たして金の奴隷になる事は幸せなのでしょうか?

端的に、違うと思います。

あくまでも、お金は幸せになるための手段でしかないですし、手段と目的を取り違えてしまっては何も良いことはありません。仮にお金を集めることや貯めること、増やしていくことが楽しいのであればこれを人生の楽しみにすることは否定しませんし、ぜひ追い求めていけば良いと思います。ただ私が目的としないだけで。

では、「お金が手段」という耳タコなことに行動が伴ってきたとき、ミニマリズムが洗練されていくのだろうと、いろいろなものを見ていて思います。しかし、ミニマリズムが行きすぎるといろいろな弊害が出てくると思います。その弊害のことはまた別の機会に考えていきたいと思います。

私がミニマリストになる上で大事なことの優先順位がざっくり決まってきた。私と私の周りの人間の幸せと心身の健康が一番大切。では、その達成、継続のために具体的になにをすべきか、ということも次回以降考えて行動して連載していきたいと思います。

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回以降の「理系大学生がミニマリストになる」をよろしくお願いします。


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