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平八郎の言葉ー魚座なる人【ホロスコープからみる芸術家のひとかけら⑨のおまけ】

「これ、魚座っぽい発言だなー」と思ったけど紹介できなかったところを紹介。

◎「温かい気持ちが盛り上がる絵」

現在、美術・芸術は定義が難しく、とても多様になってきています。
平八郎の時代も、海外から革新的な絵画がどんどん入ってきて、少しずつ絵画というものの役割が広がっていった頃だと思います。

その中で、画壇や伝統的な集まりを拒否し、革新的ながら日本画という括りの中に居続けた平八郎。

この言葉は、日本画そのものへの理解と愛情を感じます。

「日本画は装飾的・図案的だと外国では言うそうだが、日本人の血が流れていて、それに愛情の籠った美しい温かい気持ちが盛り上がっておれば、それでいいんじゃないか。こんなことを考えると、じっとしておれない気分で、絵が描きたくなるね」

(『カンヴァス日本の名画 22 福田平八郎』より)

自然に対して「愛情の籠った美しい温かい気持ち」で接し、作品を発表し続けた視点は、

愛の星・金星がキラキラと輝き、
全てを受け入れる木星に守護され、
火星が安心して真っ直ぐさを持てる。

そんな魚座の象徴がたっぷり詰まった、美や愛への強い信頼を感じさせます。

もくもく。
うん、盛り上がってますね。

◎変化球の仕事っぷり

山茶花を描く平八郎さんの心境。

私はじっと見入った、私の心を。
そうした後、暫くは尚、私の心と手とは、的確に私の所願を達成させてくれようとはしなかった。
私が山茶花を描こうとしても、私の手は私の描きたがっている山茶花をさながらに描き出すことを拒んだ。山茶花に潜む大自然の俤を、私が見たいと思い描きたいと願っても、大自然は山茶花をとおしてその姿を私に見せたがらないのだ。と思って私は、さもそのような気など露抱いてもいないかのように、私は栗を写す。粟を写しながら、私の心は絶えず山茶花に流を注いでる。こうして私は、私の熱と熱とで辛くも山茶花を征服しうる方策を授かる。

山種美術館 図録「 福田平八郎ーその人と芸術」より

いや、なんかすごいですね。
ただ、一歩間違うと、めんどくさい恋のやりとりみたいでもあり。

君のことなんて全然気にしてないよーというそぶりで他の人と話してるけど、実はすんごい気にしてるっていう。

そしていろいろあって結果的には両思い、みたいな。

両思いまでにずいぶんめんどくさいことしちゃったね、みたいな。

まあ、こういう面倒なところを通らなくては開かれない心があったりもしますよね。
ここを通ったからこそ得られる信頼であったり。

自然の表面のみの表現するならば、まっすぐに見つめていればいいのかもしれません。
でも、平八郎は真髄を表現したかった。
自然の見えないところともつながりたかった。
身も心も丸ごと一体化するために、通らなければならないやり方だったんだろうとも思います。

そして「熱と熱」と言っているように、情熱を持って「絶えず心を注ぐ」姿勢は、魚座太陽と木星のなせる技のようで面白いです。
で、こんな変化球なやり方を思いついたのは水星ってところでしょうか。

これだから魚座っておもしろい。
ま、どのサインのこと書いても「おもしろい」って言っちゃうんですが。

他のサインのおもしろさも追求したいところですが、あと一回平八郎に触れてみたいと思います。

では、また!


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※見出し画像ー《桃》部分(1956頃)
桃の産毛と香りを感じるー。