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大きなものとの対峙ー魚座の人・福田平八郎【ホロスコープからみる芸術家のひとかけら⑨の1】

福田平八郎
1892.2.28 生まれ 大分県大分市

トップ画像「没後50年 福田平八郎」展覧会ポスター(一部抜粋)

福田平八郎の絵を見ていると、水を眺めたくなります。
空を眺めたくなります。
雪に触りたくなります。
好きなものを、じっと見つめたくなります。
そこに漂う「なにか」を、しみじみと感じてみたくなります。

そんなぼんやりした「なにか」に向き合う強さを、生涯持ち続けた平八郎。
今回は、ホロスコープからその秘密に迫っていきたいと思います。


◎どんな人?

自然を隅から隅まで観察した写実的な作品で評価を得たのち、昭和7年(1932)に《漣》を発表し、その大胆な挑戦で人々を驚倒させました。その後も《竹》や《雨》など、色や形、視点や構成に趣向を凝らした作品を制作し「写実に基づく装飾画」という新しい時代の芸術を確立しました。

(「没後50年 福田平八郎」展覧会サイトより)

「大胆な挑戦」とされる代表作、《漣》(1932)はこちら。
↓↓↓

※展覧会に行けないため、ポスターで許してくださいませ

はー……かっこいー。

水の動きやきらめきって、こんなふうに切り取ることができるのかって、ただただ感服しちゃいます。

◎ホロスコープを見てみよう

さて、そんな平八郎のホロスコープはこちら。
↓↓↓

※出生時間はわかりませんが、月はどの時間でも魚座圏内

パッと目につくところがあるので、ちょっとアップいっちゃいましょう。
↓↓↓

【太陽・月・水星・木星】 が、【魚・魚・魚・魚】

はい、見事に魚座ステリウム!
ちなみに趣味は釣り!

↑↑↑
ちなみに、これは【鮎・鮎・鮎・鮎・鮎】。

鮎座……じゃなくて魚座に「太陽、月、水星、木星」があります。
ということは、「果たしたいこと、素の自分、知性の使い方、豊かさ」
これら全てが魚座的ということです。

魚座に恵まれ、魚座に住み、魚座を達成するために魚座の知性を使う。
人生の主軸が魚の人。
(なんじゃそりゃ)

そして趣味は釣り!!(2度目)

……はい、
このままだとウオウオ言って終わりそうなので、話を真面目に戻します。

ーーーーー

平八郎は、自然(花鳥風月)を描き残した画家ですが、水に関係する作品が多いのも特徴です。

水、雨、雪、氷、雲など、「水」のさまざまな表情に挑戦しています。

水は常に変化し続ける物質。
そんな捉えどころのない水の肌合いを、生涯にわたって絵に描き留めようとしました。
真摯に対象と向き合う姿勢は、例えば「雪」を扱った作品をあげてみるだけでもわかります。

《雪》《雪庭》《初雪》《新雪》《春雪》……

たくさんの雪の表情を描いています。
(しかも、さらに同じ題名でいくつも描いていたり)

同じ雪でも、季節やその時々で変わる特徴や美しさを繊細に感じ取っていたんですね。

魚座の「目に見えないものを感知する繊細さ」が多分に発揮されているようです。

※こちらは《新雪》(1948)
↓↓↓

降りたての柔らかな雪の感触が伝わってきます。


◎魚座の人ー平八郎の目指したもの

○上げ上げ時代ー「大自然の美のすべてを見極めてやる!」

魚座は、目に見えないものを感じとる能力に優れているため、美術・音楽などの芸術分野と相性がいいサインです。
芸術という媒体を使って、言葉にできない感覚を人々に届けることができます。
音や絵によって人々の心に潜り込み、いつの間にか奥底に漂っていた傷を癒している、なんてこともあります。

じゃあ、平八郎のように魚座に星がたくさんあればそうなれるのか?

もちろん、そんなわけはありません。

そうあろうとし続けることによって、近づけるのだと思います。

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はじめ、平八郎の美術人生は順風満帆でした。
京都市立美術工芸学校にいた19歳ごろ、成績は常にトップクラス。
自然を捉えるためには細部の描写が必要だと考え、そのやり方で邁進していきます。
その再現性の高さ、色彩感覚。どれを取っても非凡でした。

で、非凡なんで卒業制作《雨後》(1915)も学校によりお買い上げされちゃったりして。

上げ上げ平八郎です。

ですが、上がったり下がったりするのが世の常。
この後、下げ下げ平八郎時代がやってきます。

○下げ下げ時代ー「結局なんも見れてない…」

京都美工を卒業し、京都市立絵画専門学校本科へ進んだ頃、
師や級友からの言葉が、平八郎の悩みを呼び起こしました。

「余り一本調子に過ぎる。」
「余りに細か過ぎる。」
「君の絵は色がまだ色になっていない。」
「もっと対象を苦しんで捉えるべきだ。本当の君の絵を描くべきだ。」

山種美術館 図録「 福田平八郎ーその人と芸術」より
(「美之国」4の4 から)

要は、
「君の絵って、うまいけど表面的で本質がないよね」
って言われたようなもの。

平八郎自身も、どこかでそれを感じていたのかもしれません。
このあたりから絵が描けなくなり、神経衰弱に陥るほど悩んだようです。

そんな平八郎が闇を抜け出すきっかけとなったのは、またもや誰かからの言葉でした。
学校の講師だった中井宗太郎より一筋の光とも言えるアドバイスをもらいます。

「自然を隔絶する幕(先輩の技法)を取りのぞく必要がある。自然に直面して、土田麦僊君のごとく主観的に進むか、榊原紫峰君のように客観的に進むかであるが、君は自然を客観的にみつめてゆく方がよくはないか。」

山種美術館 図録「 福田平八郎ーその人と芸術」より
(「歩み来し道 日本美術」から)

もう一度理想の絵に向かう道筋を見つけた平八郎は、自然との対峙の仕方を大きく変えることになるのです。


○そしてまた自然を見るー「呼吸、脈拍、おもかげ」

以前の平八郎は、「細部を徹底的に写し取れば、いつしか自然の全てが捉えられる」という姿勢でした。

ですが、それは傲慢だったと思い至ります。

「どこかに朦朧としたところがあってもいい。部分的に破綻があっても構わない。それがむしろ、人間の作り出したものとして当然なものであるはずだとも言える。」

山種美術館 図録「 福田平八郎ーその人と芸術」より
(「美之国」4の4 から)

人間の限界を知り、謙虚さをもって自然と向き合うようになるのです。

そうして改めて自然を眺めたとき、平八郎の中で目指すべき絵がまた蘇ってきます。

「ある部分は朦朧としていてもいい。どこかに何かが握られてありたい。」
「その何かというのは何か。」
「それが大自然の呼吸とか、脈搏とかでなくてなんであろう。それこそは自然のおもかげであり姿であるはずだ。」

山種美術館 図録「 福田平八郎ーその人と芸術」より
(「美之国」4の4 から)

この自然観、個人的に好きです。

自然は「そこにある」けれど、その本質は「呼吸」とか「脈拍」とか「おもかげ」にある。
大きなものでもあり、ごく当たり前のものでもあるような印象があります。
畏れでもあり、近しい存在でもあるような。
けれどやはり人には到底及びもつかないつかめないような。

なんにしろ、こうして平八郎の挑戦は再始動し、冒頭の《漣》のような表現に至るのです。

◎やっぱり魚座の人ー弱さと強さ


魚座といえば、

・共感的
・感情豊か
・自己犠牲的、献身的
・夢見がち
・信じやすい、騙されやすい
・境界線がない

などの特徴があります。

この中の「境界線がない」に注目してみると、
人と人、人と自然、善と悪などの間の線引きをなくし、その全てを抱え込むことで存在する感じです。
線引きは、他者や環境と自分を分け、「私」を保つために必要なものです。
他者や環境を際限なく受け入れていたら、自分が薄まってしまったり、取り込まれる危険性もあります。

ですが魚座は、他者や環境の中にも私があることを知っています。
外部と自分は切り離されて成立しているのではなく、どこか大きな地平でつながっていることを理解しています。
それは意識化して言葉にすることが難しい世界です。
どこか大きな地平とは、曖昧で移り変わるものだからです。

ですが、魚座もまた人間。自分という個があります。
個を大切にしながら、曖昧な他者を受け入れることは並大抵の作業ではありません。
必ず傷つきます。悩みますし、感情は乱れます。

それでも、曖昧な世界を否定せず、時に泣き喚きながらその世界を守ろうとする強さがあります。

私はそれを、平八郎の画業の奥に感じるのです。


◎次回も平八郎

今回は魚座についてだけで話が終わってしまいました。
ホロスコープを読んだ感が薄いような気が。
ということで、次回は他天体のアスペクトも含めた平八郎を見ていきます。

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◎紹介:平八郎をもっと知れるサイト

この漫画はすごくわかりやすくて読みやすいのでおすすめ。
↓↓↓

展覧会サイトはもちろんいい。
大体、見どころも略歴も代表作もわかりやすくまとまってる。楽しい。
↓↓↓

2024.05.06まで、大阪でやってるみたいです。
GWにGo!です。

ちなみに、今回リンクさせていただいたXのポストは、こちらの展覧会公式からです。写生帖からの画像もちょこちょこアップされてて、いつも楽しんでます。