ある日死期を知らされた

 Oh…衝撃的なタイトルやな(お前がつけたんやろがい)
タイトルが結論なんだけど(冒頭で壮大なネタバレ)経緯など書いてみる。

 今年の3月終わりに、乳腺クリニックへ行った。
昨年の秋頃から左胸に違和感があって、診てもらわないとなぁと思いながらも、仕事が休めず後回しにしていたのを、多少痛むようになったので、思い切って仕事を休んだ。

 大丈夫、ただの脂肪の塊だよ(個人的におかしな脂肪が出来やすいようで)と、怪しむ気持ちは半々ぐらい。
エコーとマンモの結果、乳がんの疑いがあるから細胞診もしましょうと。

「えーやっぱりー?!やっちゃったなぁ〜」

というのが紛れもなく正しい最初の感想。

 細胞診とは胸のしこりから直接組織を検出するわけだけど、これが麻酔をしててもめちゃめちゃ痛かった。何してくれてんの!ってなもんで。
先生曰く、「神経の側だったのかも」と大慌てで麻酔を追加された。それでも痛かった…。
結果、乳がんだろうということで、大学病院を紹介された。

 大学病院へ行くとまたマンモをすると言われたので、「こないだやったし痛かったから結構です」とお断り。同じことやったって仕方ないだろう。
だがエコーはする羽目になった。あと細胞診をまた検査し直してた。当然採血もまたやるし、何で同じ検査何回もやるのかね?数日でそんな変わる?
友人が「がん商売」って言ってたけどほんまやな、と思いながら、エコーと採血をする。あとMRIとCT…もやったかな。忘れた。

で、MRIの結果、リンパ腺と骨盤近くの骨に転移が見られるとのこと。
つまりステージ4である(転移してたらそうらしい)

「あら〜これは余命宣告系のあかんやつやな…」

ここまで来ても、色んな所で見かける「頭が真っ白に」とか「死にたく無い」とかそういう感情が全く湧かないから不思議だ。

 その日からホルモン剤の服薬を始めた(私のがんは抗がん剤よりホルモン剤の方が効き易く、比較的ゆっくり進行するタイプらしい)
それと同時にPET検査、骨の組織検査をして、骨のがん細胞が乳がんからの転移と確定。
それ以外の転移は無いとのこと。転移がある時点で身体中にがん細胞が走り回ってることは明白なので、臓器に転移がないというのはちょっとホッとした。臓器にも…ってことになったら面倒そうで。

 ここで当時の担当医に、3ヶ月後ぐらいから抗がん剤の投与をして患部が小さくなった秋頃に手術するのがいいでしょうと言われ、まぁそうなるのかと一応納得した。
本当は抗がん剤なんて、免疫力落ちるのにコロナ禍で怖過ぎる。すぐに岡江さんが脳裏を過ぎった。でも、仕方がないのかなぁ、と。

 ところで骨の検査は検査入院でした。
入院なんて胆石やった10年以上ぶりで、ワタクシ少々遠足気分(子ども)
担当になった病棟の若い看護師さんとキャッキャと談笑する1泊2日。楽しいが過ぎる。新人看護師のカワイコさんに点滴練習されるのも悪くない。
点滴セットをコロコロしながら院内のコンビニ行くのも楽しい。不思議。
自分が「少年の心を持ったおぢさん」だったことを再認識しました。フッ。

 検査は、臀部に医療器具(何て名前かは知らない)をぶっ刺されて組織を採取。麻酔が効いてたから基本的に痛くはないけど、骨に器具がゴンゴン当たるのが怖かった。患部に当たった時だけ、虫歯の治療の時みたいな痛みが走った。歯医者きらい…。
 病院側からの「若手育成にご協力ください」みたいな書類(言い方)に同意していたので、主な検査担当は若者だったんだけど、若者医師とベテラン医師のやりとりを聴きながら、未来の名医師の誕生をお尻丸出しで願っていたよ。

 さて、問題は実家にいる母にこれを何と説明しよう、ということである。
私が小学生の頃に母と離婚した父が2年前に膵臓がんで亡くなり、96歳の実母(私の祖母)を今年6月に亡くしたばかりで、本人も昨年の夏に切除した大腸ポリープが、取った後にがんだったと判ったとか言っていた(聞いたのは今年に入ってからだけど)
そんな母に、今度は娘が「ステージ4でしたわ〜」なんてね。困った…。
自分の感情云々より、それを伝えることに頭を抱えていた。

 とは言え、言わないと始まらないので電話しましたよね。
私は当時東京暮らし。母は実家の広島。
「あら〜…」と言った母の次の言葉は想像がついた。たぶんどこの母親も同じことを言うだろう。

「何でもっと早く病院に行かなかったの」

 大体何でもそうだけど、何か失敗すると決まって「何故早くやらなかったのか」「どうしてこうしなかったのか」と咎める。昔からそうだった。
そんなことは私が一番よく解っていて、一応報告義務があるものは伝えるけど、言われるのが嫌なので基本的には伝えたくないことばかりだ。
いつだって、自分が悪いのは解ってるんだよ。
「宿題済んだの?!」「今やろうと思ってたのに〜」のやりとりをしなかった昔の子どもたちはほぼいないと思ってる笑。今もそうなのかな?

 ずっと東京にいたかったけど、母の「帰って来れば?」に抗うことはもう出来なかった。
一人で東京で治療していくことも考えたけど、世の中はコロナで大騒ぎだし、何かあった時に来てくれとは言い難いし来れないかもしれない。そもそも遠い。

 担当医に広島に帰ることを伝え、紹介状を書いてもらった。
そして、東京の感染者数がまた上がり始めた7月初旬、私は実家に戻った。

* * *

 何か残したいような、誰かに聴いてもらいたいような、メモ的な、自虐ネタみたいな、少々曖昧な気持ちで書き始めたけど、毎日書くのは気が滅入りそうなんで(まぁ飽きっぽいからな)、この話は続くけど、続きは気が向いたらってことで(ぇ)

(画像はnote。この写真カッコイイ!THE都会、って感じでイイ!)

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