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合わせ方

皆様、こんにちは。
静岡県東部にてタロット占術家・講師をしておりますタウザイン藤澤です。

ちょっと書きたいこと、残したいことがあって筆を取りました。

私は身障者です。かつては小児麻痺という名称の病を生来から有して、今年半世紀を越えました。両下肢に障害があります。

身障者にとって、昨今の社会はとっても過ごしやすくなったなぁという感覚があります。
駅でのエレベーター、歩道の整備、意識の認知など、私が子供だった頃、1970年代や成人したタイミング1990年代に比して非常に暮らしやすい社会になったと思っています。
社会的な差別、いじめ、蔑みの視線など様々なことを経験してきました。登校拒否になったことや世から消えたいという気持ちを持ったこともあります。それでも今、何とか踏ん張り、細々ながらも生を全うしているのは、今、思い返すと『合わせ方』
にあったなと思います。
辛い心情や状況の時に、私は周りを自分に合わせようという気持ちを持ちませんでした。
『自分の体はどうにもできないけれど、やり方はある』
ということをリハビリ施設での暮らしで学びました。
たとえば、私は階段は昇れても、手すりなしでは降りられません。で、趣味として神社仏閣巡りをしていると、当然、手すりがない長大かつ急な階段に出くわすことがあります。そういうとき私は『手すりがあったらいいな』とは考えません。『座って降りよう』と瞬間的に思います。または手をつける石垣などを探して降りようと思います。
周囲からみたら『大変』にみえるし、苦労しているようにみえることは間違いありません。でも、私は
『できないなら自分を合わせる方法を考えよう』
『今、持っている自分の能力でできることをやってみよう』
と考え、意識し、『座って降りる』という自分にとって、または周囲の人々にとって安全な方法を選択しただけです。

『大変だから変えてほしい』

というのは『正当な権利』かもしれません。また、私の障害よりもさらに辛い障害や状況もある事実は間違いありません。
でも、世界は、社会は『全てに等しく考えて暮らすこと』で成り立っています。
辛い状況を何十年も経験したから、社会が理解を示して『過ごしやすい社会』を作ることを望むのではなく、それはあくまでもオマケラッキーみたいな気持ちで考え
『今の自分、今の環境、今の状況に自分の能力やできることはどれくらいあって、自分一人では無理なことに対して、どうすればできることに変えられるかがどれほどあって、何をどうしてもできないことはいかほどあるか』
ということを朧気でも掴んでから社会に目を向けることが大事なのではないかと私の思っています。

『社会を自分に合わせる、合わせてもらう』
のではなく
『自分を社会に合わせよう、合わせられるものを見つけよう、作ろう』

とする意識を自然に持つということです。

今の社会に『本当に健康な方』という存在はいないと私は思っています。
他者よりもリスクやマイナス面があるから社会を変えていくという考えは一面ではとっても良いことです。
けれど、社会が変わった結果、新たに変化した社会にダメージを受けたり、辛苦を感じる方、生き辛さを感じる方が必ず現れるでしょう。
そして、その新しい社会をまた変えようとする流れができる。
こんなことを続けていたら、いつまでも私たちは『幸せ』には届かない。
と私は思います。

皆が暮らしやすい社会がいけないということをいうつもりも考えを否定する気もありません。
私はその暮らしやすさを実際に受けている存在だから。

だからこそ、
社会に対して、変えてほしいということではなく、まずは自分をいかに合わせられるかをみつめることが必要なのではないでしょうか。

※本記事は完全に私、タウザイン藤澤の私観、私考であり、他者ならびに関係するすべての存在、活動を否定するものではありません。
また、記事内容と画像は無関係です。


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