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障がい者

皆様、こんにちは。タロット占術家のタウザイン藤澤です。

今日はちょっと愚痴のようになってしまったり、あるいはまた、読んでくださる方々の中には不快に思う方がいらっしゃるかもしれませんが、私の私論(考え方)として捉えて頂ければと思います。

私は両下肢に障害がある身障者です。
この『障害』というものによって、いじめも受けました。
また、この『障害』によって今の仕事や出会いを頂きました。
つまり損得両方があります。

でも、今に至る過程で『障がい者』にも複数の形があることを知りました。
一つは私のように先天的なもの。
もう一つは不慮の事故や巻き込まれなどからのもの。
最後の一つは自己責任による自業自得的なものです。

自立して社会にでると、これら三つは『障がい者』というまとめ方をされて、極端になりますが、車椅子利用者だろうと寝たきりだろうと、私のように自活できていようと『同じ』なんです。

かつて、私の知人に車椅子利用の両足の無い方がいました。親しくなり、話の流れの中で『バイクでちょっと危険運転的に走って、転んで切断した』と自身の障害について話してくれたことがありました。
この話を聞いて思ったのは、『自業自得なのに、障害年金や手当てをもらっているこの人と、先天的に障害を持っているのに、年金や手当てが一切もらえていない私はどう違うのだろう』
ということです。
自業自得的な障がい者の方でも、手帳の等級(身障者手帳の級で、数字が低いほど障害程度が重篤という扱いになり、様々なことが無料になったりします)によっては今で例えれば、スマホを毎度、最新機種に変えたり、医療助成があったりと普通に働くよりも現実収入が高いということがあります(一年、生涯という点では勤労の方がはるかに収入があります)

同情してほしいとかということではなく、なんだか納得できない感情を抱きました。今もこの気持ちは心にあります。

また、障がい者だから『助けて当たり前』『かわいそうに思うのが当たり前』という考えの方が現実にかなりの数いらっしゃいます。
こういう考えの方との出会いが、人生初の『障がい者』との出会いになってしまうと、きちんと暮らしている方に対して偏見が生まれ、場面によっては非難されたり、嫌われたり、蔑まれたりということがあります。

私は、先天的なので、健康な状態が体感できていません。今の私の身体が『私』であり、それ以上でもそれ以下でもありません。
しかし、蔑みや偏見による不快感は幾度となく受けてきて、『そんなことはしないのに』と何度も思いました。で、私がそういったものに対する手段にしたのが『きちんと暮らすこと』でした。感謝を忘れず、それをきちんと伝え、人様に迷惑をかけないように暮らしていくことを心の真ん中に作りました。

文句や中傷はいくらでも言えます。でも、そういうことはまず『自分がきちんと暮らしてから』いわないと、ただの愚痴になります。
愚痴は嫌だなと思ったのです。

『障がい者』というのは様々な在り方、捉え方がある存在です。
また、昨今は様々な苦悩や障害が医学的に立証され、多様化しています。
だからこそ、私は『障害者本人は障害を障害とするのではなく、個性として捉えてみては』と思うようになりました。
現代社会で真に健康な方はおそらく一人もいません。程度の差が『障がい者』と健康な方を分けるなら『個性』として向き合う視点も一つの考え方。
そう思うのです。

※本記事により不快に思う方や思ってしまった方に心よりお詫びいたします。
ごめんなさい。

長々失礼いたしました。

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