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40代は日記をどうするか

かくして20代、30代はすぎ、40代は日記をどうしたものかと考え続けている。

新たに書き始めるのであれば、去年、人生の新章が始まったときがいいタイミングだったと思う。だけど30代の日記の反省もあり、当時まだ少なからずまとっていた毒で真新しい日記帳をけがしたくなかった。だからなんとなく、禊の期間をおいていた。

それに私の場合、「元旦から日記を書こう」とか「毎日続けよう」という、ただ「書く」ということは目的にはならない。

日々をすごしているときに高めの圧で内から湧いてくる想いや言葉があって、それが毎日現れて消えてくれないから、書いて昇華させる。あとは悩みの浄化に繋がりそうな心の動きを、流れてしまう前に書き留めること。それが私の日記を書く目的。

人生の新章がスタートしたのに今の今まで日記を書かずにきたということは、逆に言えば書かなくても済んでいた、ということ。

例えば父が他界したときのこと。目まぐるしく儀式と準備と家のことをこなしていく中、心も疲弊しつつ、激しい動きに襲われ続けた。そして父の最期に関わる一切を忘れたくない。だから当然、「これは日記に書くべきではないのか。落ち着くためにも。忘れないためにも」という衝動に駆られた。

だけど、書かなかった。
それはなぜか。

正直、忙しすぎて心の状態を丁寧に見つめて言語化するという余裕がなかったのもある。本当はそういうときほど必要なのだろうけど。

いつも手帳へつけている日々の記録。せめてこれだけは真っ白にならないようにと、欠かさずになんとか続けた。いずれこれは、母のときに必要な記録となるのだから。

この当時の心の動きは、のちにnoteへ余すことなく書いた。だからそれで気が済んだというのもある。――私だけじゃなく、姉もそのnoteを読んだことで、私と母が味わった状況や心境がわかり、落ち着くことができたと言っていた。

「あなたが書くものは、バズったり大ヒットしたりっていうタイプではないけれど。同じような状況にいる人は、もしかしたらあなたの言葉にふれたくなるかもしれない。そういう人が、あなたのnoteを見つけてくれるといいね」

誰かのために書く、というおこがましい気持ちは、今はない。自分を浄化させることで精一杯だから。私は自分のために書いている。悩みや闇を、浄化するために。

だけど姉に言われたように、自分のため悩みながら必死に書いたものが、図らずも誰かの一助となるのなら、そうあってほしいと思う。

  *

noteで日記を書く一方で、手書きの日記がないことについて、ちょっとだけ心に引っかかっていることがある。

東日本大震災のことを振り返るとき、私のことだからしっかり書いているに違いない、と日記を探したのだが、その期間はものの見事に何も記載がなかった。

何日も停電して寒かったから、手がかじかんで日記を書かなかったのだろうか? いや、ちゃんと言語化した記憶があるから、ないはずはないのだけど――と、よくとく探してみたら、当時やっていたmixiへ書いていた。

mixi退会前に震災部分は出力してあったので、振り返ることはできる。だけど――なぜかそこに、どっぷり入り込むことはできなかった。

「記憶」として思い出すことはできる。だけど自分が体験したはずのことなのに、思い出してもどこか臨場感が足りない。地球へ帰還する宇宙船が、大気圏への突入角度が浅くて弾かれたみたいな感じ。

これは詰まるところ、やはり手書きかどうか、ということになるのだろうか。筆跡の乱れや、文字の大きさ、消し線の下にある言葉など、手書きの日記から読み取れることは綴られた言葉だけじゃない。

そのことに少なからずショックを覚え、父のときのことも、やはりまずは日記帳へ書くのが良かったのでは、と考えてしまう。

それにやっぱり、紙をめくりたい。
もしかしたらこれが、手書き日記を愛する一番の理由かもしれない。

  *

noteで日記を書くようになってから、――いいのか悪いのか、思いの結晶化と放出がおおむね事足りている。よって日記帳に書きたいという欲求や内圧のようなものが、なんとなく抜けてしまう。

さらに愛用の1日1ページタイプの手帳にも、日々の記録の他にちょっとした日記もどきのメモを書いているので、ますます日記帳の出番がない。

ただ、noteの方は人に読まれる日記であるから、少なからず手加減というか、手心のようなものも入る。そうなるとやはり、本心で言い切れないことへの欲求不満もある。かと言ってnoteで書いたことを、改めて日記帳に本心から書く、という気には到底ならない。

だとしたらテーマを分けるか。……あるいは視点を変えるか。例えば同じテーマについて取り上げたとしても、noteと日記帳で、主観・俯瞰の視点を変えるとか。……いや、私にそんな器用なことはできまい。

どうやら40代の日記は、noteとのすみ分けが課題になるようだ。



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