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楽園の記憶〜ひとすじの軽やかな流れ〜

洗濯物を干しているときに、今日もまた、ふと「楽園の記憶」の感覚に襲われる。相変わらずとても「快」で、世界が輝いて見えそうになるのに、すぐ消えてしまう。だから渇望する。

美しい自然に囲まれ、心が清らかになる――というようなわかりやすい現象ではない。爽やかな朝にヨガをやって、体に優しい食事をいただくライフスタイルをしていれば得られる、ということでもない。

「快」とは言ったが、だからと言って「快」「不快」の「快」に針が振り切れているということでもなく。まったくもって悩ましい感覚である。

むしろ「中庸」とか「ニュートラル」とか、そういう部類の感覚が近いだろうか。対立も偏りもないような。

水の中に潜っているとして。当然息が苦しい世界なんだけども。水の中にひとすじだけ、まったく苦しくない、何にも染まっていない、軽やかな流れがあって――その流れに身をおいて、進んでいきたい。
ああ、この例えが今のところ一番近いだろうか。

そのひとすじの流れに、私の心のチャンネルを合わせるのが難しいわけだが――ちょうどいい。近頃母と言葉が噛み合わず、心乱れることが頻発している。これは修行にもってこいだ。次にまた同じことがあったら、心を「中庸」におくことを意識してみよう。

もしそれが「楽園の記憶」の本質ならば、心乱されることなく、心地良く生きていける。世界も輝いて見えるはず。


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