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其の以す所を視、其の由る所を観、其の安んずる所を察すれば、人焉んぞ廋さんや、人焉んぞ廋さんや。

いつのことだったか。
牡牛座さんは好きか嫌いかで判断する――という話を何かで見たとき、それまで私が書いてきた小説について、ちょっと考えてしまったことがある。

ド牡牛座の私が書いているせいか、なんかこう、登場人物がみんな、牡牛座っぽく見えてしまったのだ。

この登場人物はどうしてこういう言動をするのか。動機はなんだ。そう考えたときいつも「だって好きだから」となる。

牡牛座宇宙の中にいて、牡牛座フィルターを通して書いているってことなのだろう。

だけど世の中には当然ながら、牡牛座宇宙だけじゃなく他の宇宙もあるはずで。
例えば私の姉は獅子座であるから、きっと私とは違う獅子座宇宙に属し、獅子座フィルターを通して外の世界を見ているかもしれない。――あくまで姉が「ド獅子座」と仮定した場合だが。

私の書いたものを、姉が「おもしろかった」「良かった」と言ってくれたときも、姉は独特の感性を持っていた。

「和珪ちゃんの新作、おもしろかったよ。なるほどなと思ったし、考えさせられた。だけど私は納得した上で、そうはしない」

共感はするが、だからと言って染まりはしない。それが姉の感じ方。

たまたま私と意見が一致した出来事があっても、よくよく語り合うと、細部でものすごく違いが生じる。やはり物差しが違うのだ。

自分が牡牛座フィルターを通したものしか書いてないと気づいたとき、なんて偏ったものばかり書いていたのだろうと愕然とした。どうりで自分の書く小説がマンネリになるわけだ。

ならばこの出来事を、他の人の動機やものの見方を考えるきっかけにしなければ。

好き嫌い以外の、他の判断基準を持つ人たちがこの世には大勢いる。国の違い、宗教の違い、思想、民族、教育……。ビーガン同士でも、理由がまったく違うことだってある。信仰のため、健康のため、動物愛護のため、環境のため、徹底的な脱搾取という生き方のため。――いろいろだ。

逆に、国や言葉が違えど宗教が同じなら、一緒に生活しやすいということもあるだろう。

相手がどういうフィルターで物事を見ているか、想像し、なりきって小説を書くことは、とてもしんどい。

しんどいけど、そのしんどさは、私の思考の限界、境界線が広がろうとするが故のしんどさであろう。筋トレみたいに。

このしんどさを感じていくことが、現実世界でもきっと大切なことのはずだ。相手はきっと、自分とは違うものの見方をしているのだから。

今回の長いタイトルは論語から。

す所を、其のる所を、其の安んずる所を察すれば、人いずくんぞかくさんや、人焉んぞ廋さんや。
――その人がどう行動するか、何を由りどころにしているか、何に満足するか。この三点がわかったなら、その人物の本質は、はっきりする。決して隠せるものではない。

齋藤孝『図解 論語――正直者がバカをみない生き方』より



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