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父のこと/命のこと

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2021年、コロナ禍に脳梗塞で逝った父のこと。いくつもの重い決断を迫られた、私たち家族のこと。その後の、日々の暮らしのこと。/父に限らず、命のことをテーマにした内容です
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#田舎暮らし

傾く氏神様

1年ほど前、我が家の氏神様がちょっと傾いてることに気がついた。氏神様のお社が、と言った方が正しいのかもしれないが、我が家では昔から、石造りの小さなお社ごと「氏神様」と呼んでいる。 庭からかろうじて見える氏神様。家の前の山で木々に隠れひっそりと座す氏神様は、全体的に斜めになっていた。 そのことは時々会話に出る。今回もまた、母と氏神様の話になった。お正月が近いから。 「去年は『お父さんが氏神様に元朝参り』って書いてあるね」 私は食事日記の最初のページを開いた。 我が家の食

今年のツバメハイツは入居OKです

5月頃から、毎年恒例、ツバメたちが我が家の内部見学にやってくる。それは街なかでも同様で、もうじき地元の店先では、逆さに開いたカサが多数出現することだろう。 カサの上にはツバメの巣がある。ここのツバメ一家が旅立つまで、カサはひたすらフンを受け止め続けるのが仕事だ。その間地元の人たちはあたたかく見守る。 うちの親も小鳥が大好きで、かつてはツバメも毎年のように受け入れ、ヒナが巣立つまで、大切に見守ってきた。その証として我が家の車庫には、「ツバメハイツ」と呼ばれる歴代入居ツバメの

一周忌の次の月命日

2ヶ月ほど前、母が 「一周忌すぎたら、あとは月命日にお墓行かなくてもいいかなって思うんだけど」 と相談してきた。 「いいと思うよ。一年間務めたし。お母さんがそういうふうに思えるってことは、気持ちの面でも区切りがついたんだろうし」 「んだよね、いいよね」 「いいよいいよ。――Nオバのアレは特別だから、あれは真似しなくていいよ」 Nオバというのは母の姉のことで、彼女は夫が亡くなったあと、よほど天候が悪くない限り月命日には必ずお墓へ行っていた。そのついでに、N家の親類のお墓も、

8ヶ月前の「虫の知らせ」

「虫の知らせ」というものを、私は信じることにしている。それはラジオの周波数のようなもので、身内は周波数が似ているからキャッチしやすいのだ、という話を聞いたことがあるから。 それに、宇宙も含めこの世界というのは、あらゆる空間に素粒子が詰まっているらしい。だとしたらどこかで誰かに何か変化があったとき、素粒子が揺らぎ、波動のようなものを感じてもおかしくはないと思うから。 6年前、私と夫との関係に、大きな亀裂が入った。それから4年間、夫婦生活を続けてみたが――もう無理だ、私の心身

見習い農耕民族、草刈り機を装備する

この4ヶ月の間に変わったこと。 母は、火が怖いから野焼きはしないと宣言していたが、ご近所さんからコツを教わり、やるようになった。 私も、怖いから使わないと決めていた草刈り機(刈り払い機)を使うようになった。しかも新品。私の専用機。 常々母が「危ないから使わせたくない。あんだはケガしたらただじゃ済まない体なんだからダメだ」と免疫異常体質の私に言い聞かせてきたのに、「店さ見に行って、軽いのあったら使ってみっか?」と言い出したのには驚いた。 それだけ母が、この夏一人で草刈り機を

父の柿の木

父がまだ子供だった頃から、うちの畑の土手には三本並んだ柿の木があった。いつからか父は私たちに、真ん中の柿の木だけは切るな、と言うようになった。 のちに母から聞いたのだが、職人気質で完璧主義のあの父が、トラクターの運転中、土手から落ちそうになったことがあったらしい。トラクターの下敷きになって命を落としたという訃報を、田舎では時々聞く。だけど父は、運良く柿の木に引っかかって助かったという。 「俺はあの柿の木に命助けられたのだがら。あれだけは切ってダメだがんな」 父の言いつけ

「一日中書いて暮らしたい」はどうやら卒業

前は「一日中書いていたい」と思っていた。「創作だけに没頭して暮らせたらどれだけ幸せだろうか」と。今は――実家で両親と暮らすようになってからだろうか、ちょっと変わった。 家族が真ん中。 家族とすごすこと、家族の一員として家の仕事をすることの方が大切になった。 じゃあ書くことはどうでも良くなったのか? そうではない。「書くことと暮すことは、同列ではない」と思うようになった。書くことは、暮らすことの上に移動した。――上位だということではなくて。例えるなら、小学生のときに書いた