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療養期間の終わりに

[更新履歴]
3/30 20:00 校了・Xに投稿
誤記・表現は適宜修正
3/31 8:30 「(4) 予想される次の艱難」を追記

(1) 3行まとめ

  • 私の療養期間は「今、脳出血を発症して良かったこと」を探す学びの日々でもありました

  • 闘病から学んだ3点(備えの大切さ、人との繋がりの大切さ、未来を見据えながらかけがえのない今を生きることの大切さ)をこれからの人生に活かしたい

  • 「艱難汝れを玉にす」の言葉にある「艱難」は闘病のことかもしれませんが「玉」になれた実感はないので、来たるべき真の「艱難」に備えながら、無理ない範囲で、まだまだ己を磨いていきます

(2) 今、脳出血を発症して良かったこと

 療養期間は通常、回復のための時間ですが、私の場合は、1年間の給料を放棄してでも「今、脳出血を発症して良かったこと」を探す学びの日々だったとも言えます。以下にまとめます。

  1. いずれ発症する可能性があった異常血管破裂が、回復見込める40代に発症し、脳出血再発の危険性が殆どないレベルの病状で良かった

  2. 合併症のうち、麻痺と骨折はそこそこ回復するとともに、復職前に痙攣の恐ろしさを体験できておいて良かった

  3. 健康優先の生活スタイルになり、生活習慣病の予防に気をつけるようになって良かった

  4. 今後難しいかもしれない、子どもと一緒に過ごす時間を作れて良かった

  5. 考えをしっかりまとめて発表する場をnoteに構築できて良かった

  6. 頑張り過ぎない人生の土台となる、不労所得を検討できて良かった

  7. オンラインでのネットワーキングが、昔の友達との交流や新しい仲間の開拓に使えそうなことが分かって良かった

  8. 家族や友達の有り難さが身に染みて、人に活かされている感謝を味わえて良かった

  9. 人生に終わりがあることを実感でき、優先順位と時間の大切さを心得ることができて良かった

  10. 「休むのが苦手な自分」を悟ることができて良かった

  11. これまで異分野を渡り歩きながらも成果を出せない中で、「暗闇(絶望)の中で活路を見出す方法」を培っていた過去が良かった

 療養期間での学びにより、『どんなに苦しくても諦めないで生き続けようとする執念を持たないと、同じ病を闘う仲間に失礼』と思うようになりました。
 脳出血は、過去に積み上げたものを殆ど奪っていきました。残ったものは今を生きる姿勢のみ。強がりは承知の上ですが、闘病は、備えの大切さ、人との繋がりの大切さ、日常のかけがえのなさを教えてくれたように思います。
 これは、新天地を渡り歩きながら挑戦してきた過去に培われていた姿勢だと思います。目立つ成果は出せなかったけど、諦めずにもがき続けて良かった。
 この経験を活かすべく、今後は「未来を見据えながら、かけがえのない今を大切に生きていきたい」です。
 辿り着いた境地は、まさに以下の言葉です。

心はいつでもあたらしく 毎日何かしらを発見する(高村光太郎)

 私が療養生活を送った谷根千が、高村光太郎氏が人生の殆どを過ごした地であることに何かしらのご縁を感じます。

(3) 余談

 どうでもいいのですが、小学校の校歌に「艱難汝れを玉にす」という歌詞があり、何度も歌うので、読めるんですけど(「汝れ」は「なれ」と読みます)、当時は意味は全く分かりませんでした。今となっては「艱難」とはまさに闘病の事。「玉」になれた実感はないので、来るべき真の「艱難」に備えながら、まだまだ己を磨いていかないといけません。レッドだけに「紅玉」ですかね?(リンゴは好きです)

 これまたどうでもいいのですが、「私は今 生きている」の歌詞が有名な曲は「17才」なので、17才になりました。高2です。まさに人生で一番楽しい時ですね!…今ですよ!

(4) 予想される次の艱難

 体調の回復は徐々に進むのに対して、復職で環境が一気に変わるので、ギャップを埋めるのが大変そう。「見た目は元気ゆえに、内面は苦しむ」と思われます。キャッチアップするまでは、周囲の理解を得ながら堂々と休みます(あと2年くらい?)。

(ヘッダー画像は、また行きたいコロッセオ@イタリア, 2011年12月30日撮影)

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