質問て、質問してる側も見られるよね。

オープンクエスチョンとか、
クローズドクエスチョンとか、
横文字はなるべく使わずに書いてみる。

でも、具体的とか抽象的みたいなことは多分出てくるので、なるべく簡単に。

僕は面談を受ける機会が仕事柄多い。
転職もそれなりにしてるので、それなりに面接も受けてたりする。
そしてよく思うのが、
「この質問に意味はあるのだろうか?」ということ。

例えばこんな質問。
「あなたは真面目に仕事をしますか?」
みたいなやつ。

はいかいいえのクローズドクエスチョン。
はい以外の答えはあるのだろうか?
そんなので人を判断できるのか?
出来るわけが無い。

質問自体の質が低いと、なんの判断材料にもならないだろうし、こちらとしても時間の無駄だなぁと感じる。
というかそんなアホな人に選ばれたくもない…

口が上手い人間はそれこそ流暢に自分がいかに価値ある人間かを話せる。
意味の無い質問をする人間にとっては、さぞかし優秀に見えるだろう。

でも、流暢にしゃべる側から言わせてもらうと、そこに中身は無い。
経験であったり、知識であったり、想像であったりを繋ぎ合わさて喋ることが出来る人はそれが出来てしまう。

だからそこ、相手を知りたいならいかに具体的で、思考を伴う質問ができるかが重要になってくる。

質問の質が高ければ高いほど、最早それは質問の域にとどまらず、その人物の性格や特性才能までも炙り出す。

ある本に載っていたもので、得意なことを見つけるための質問があった。
それが僕の中で凄く心に残ってる。

どんな質問かと言うと、
「あなたが人に対して苛立ちを覚えることは?」というもの。

これは本当によく出来た質問で、人は自分が当たり前にできて、他人ができないことに自然と苛立ちを覚える。

大袈裟に例えるなら、足し算引き算が当たり前にできる人が、足し算引き算すら出来ずにいる人を見て「そんなことも出来ないの!?」とほぼ必ず思うのではないだろうか。

ましてや生活の中で当たり前にそれが自分に関わって来る場合、苛立ちを覚えるだろう。
でも、それは自分ができて当たり前だから。
日常生活や仕事の中でほんの少しでも
「簡単なことなのに」とか、
「これ出来ないんだ」とか、
そう人に思ったものは、自分が当たり前にできてるから思えたこと。

そりゃたまに自分が出来ないくせに人に「そんなことも出来ないのか!」とかいうひねくれた人間もいるだろうけど、概ねまともな人間なら、大概は自分が出来るからこそ思うことだ。

そう考えると、この質問は一見あまり関係無さそうなのに、理屈を知ればとても納得出来る素晴らしい質問だと分かっていただけたのではないだろうか。

じゃあ実際にこんな素晴らしい質問ばかりできるのか?と言えばそれは難しい。
ただ、ここまで高いレベルの質問でなくても、人の本質をさぐれる質問はある。

それが"具体的な質問"だ。

先程出した、
「あなたは真面目に仕事をしますか?」
はアホすぎる質問。

真面目に働くかどうかを知りたいなら、もっと具体的にするべきだ。
そもそも真面目という言葉もなかなか抽象的な気もするしね。

1例として自分だったらどうするかという感じで、もっと具体的に質問すると
「あなたは与られた仕事をどのように進めますか?また、仕事において何を重視していますか?」

みたいなことを言いい、帰ってきた答えに対してさらに深く切り込んでいくと、仕事に対して思考してない人間はボロが出てくる。
具体的に突き詰めていくと、自ずと本人が自分を出さざるおえない状況になる。

そこまで対策して演じてくる人がいたら、もうそれはそれでクソ真面目なので、ある意味真面目な人間を採りたいならどちらにしろ成功というわけだ。(例に上げたのが真面目な人間というのも良くない気はするけど…)

そんなわけで、ある程度頭使って考えてる人間は、質問する側のこともしっかり見てるので質問する側もしっかりとしてないと売り手市場では良い人材逃すよねって話でした。

ちょっと話は変わるけど、最初に緊張ほぐす感じで軽い雑談から入ってくる人は超コミュ力高い人だなぁと思います。。。めちゃ尊敬。
その時点でこの人と働きたい!って思っちゃうよね!w



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