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【短編】彼に幸せを与えたい
その部屋には100個のおもちゃの山が置いてある。
部屋に1人の子供と包丁を放って閉じ込める。
彼はいつ自殺を選ぶのだろうか?
私は気になったので実験してみた。
1日目
子供は泣いた。突然の状況に戸惑っているようだ。
あんなにおもちゃがあるのに。目の前に楽しいものがあるはずなのに。仕方ない子。少しうるさい。
2日目
泣き声が止んできた。子供はこの部屋を受け入れ始めている。その調子。ここはあなたが生きる場所。
3日目
おもちゃを抱きしめている。母親の代わりとしているのだろうか。何かを抱きしめるという行為から安心感が得ているのが目に見えて分かった。面白い。
4日目
おもちゃに触れる回数が減ってきた。
5日目
初めて包丁に手を伸ばす。
が、すぐに離してしまった。
刺激が強かったかな。
6日目
おもちゃを包丁で切り刻みはじめた。
前は母親代わりだったのに。目の前の刺激に夢中になっている。
7日目
あらゆるものを包丁で切ろうとした。
彼はおもちゃ以上の刺激を見つけてしまった。
8日目
彼は包丁でおもちゃを切ろうとした。硬くて切れない。でも切りたい。何度も何度も切ろうとする。彼はもう殺人者だ。
9日目
彼は全てのおもちゃを切ってしまった。包丁は所詮何かを切るだけの道具。切るものが無いと包丁の意味は無い。
さあ、まだ一つ残っている。
10日目
何もしなくなった。何も。
11日目
何もしなくなった。ずっと。
ーーー
彼は死ななかった。いつまで経っても。やはり自殺は社会に触れることにより生み出されるものであり、社会から乖離させることで止めることができるのだ。
自殺という考えが無い、それは幸福なことではないか?
そうに違いない。彼は今、幸せだ。
だって病気、寿命以外では彼は死なないんだから。
じゃあなぜ彼は何もしないの?
私が「死について考えることがない」という幸せを与えても、本人にはその実感がまるでない。
生きる幸せが欠けているのかもしれない。
しかし生きる幸せが詰まっているのが社会だ。
そうだ、次は生きる幸せを与える実験をしよう。
幸いにも心の死んだ子がここにいる。
まずは死んだ心を探して捨てなければならない。
そして新しく生きる希望を、幸せを、私は彼に与えたい。
私は心を探すために彼を包丁で切り刻んだ。
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