「便利」は退化するのか
今では社会にスマートフォンが溢れている。子供向けのおもちゃにまでスマートフォンのようなものが販売されるくらいだ。
電話は「相手と通話するもの」から進化して今ではメール、カメラ、インターネット、ゲームなど様々な事ができるようになっている。
スマートフォンの他にも昔と比べて便利になったものは色々ある。数えだすと無数にあると思われる。
そんな中で進化しないものもある。
例をあげるなら伝統的なものだ。代々受け継がれた職人技で同じ物、変わらぬ物を作り続けている。
また、あえて便利なものを使わない人もいる。
今では電子書籍などのサービスが始まっているが、本を買って読みたいという人も多い。私もその一人だ。
音楽でもサブスクリプションサービスが人気になり、CDを買う人が急激に減っただろう。ただそれでもCDに拘る人もいる。さらに戻ってカセットテープやレコードで、なんて人もいるだろう。
少し話は逸れるが、YouTuberが流行っている原因としてよく挙げられるのが、テレビが面白くなくなったからという理由だ。
確かに、コンプライアンス的に昔に比べて規制が厳しくなってしまっただろう。今では「人を傷つけないお笑い」が形成されつつある。
それ故、テレビの面白さは著しく減った。
もう一つ私が思うのが、カメラ、パソコンの進化だ。
別にテレビ局のスタジオにあるようなカメラを使わなくても、市販の小さいカメラで、あるいは携帯でも「良い映像」が撮れるようになった。
この手軽さは大きい。さらに動画編集だって少し勉強すれば誰にでも作れるくらい編集ソフトも進化している。
テレビの理由よりもこっちの方が大きいのではないだろうか。
以前YouTuberについて書いた記事も下に添付しておくので見てほしい。
さて、今の社会はこれ以上ないくらい便利だが、これからはもっと自由になる。というより労働自体が変わると思う。
「10~20年で約47%の雇用者の仕事が自動化される」とはよく聞く言葉ですが、本当にそうなると思います。
仮に「便利さ」に限界が存在するとしたら、今の社会は20~30年で到達するのではないでしょうか?
人が何もしなくてもいいことが「便利さ」の最終形だからです。
その場合、人は何をするのでしょう。
私は次は「不便さ」を求めるようになると思います。
便利すぎて自分の動作が最小限になるが故に、「不便さ」に革新性を感じてしまうのではないでしょうか。
さらに「不便さ」という言葉も今の社会の表現。
未来では「やり甲斐」という言葉に変化しているのでは?
はたまた「手間のかかる」がキャッチフレーズの商品が増えたりとか・・・。
「便利さ」の最終形がサインカーブの極大値とすると、今はまだその山の7合目あたり。
この山を下る時代が果たしてやってくるのでしょうか。
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