エモに飲まれた人たち
こんにちは。
ヤバいとエモいが便利すぎて使いすぎてしまうことありませんか?
正直すべての感情がヤバいとエモいに凝縮されているのではないでしょうか?
テンション上がってヤバい
美味しい〜もヤバい
驚いた時もヤバい
感動したらエモい
なんか夜にドライブしてエモい
これ全部いけるんじゃない?
でも文字にしてみると全部同じように見えますが、口に出して読む時に違いが出ますよね。
ちょっと口に出した時の再現を文字で頑張ってみます。
テンション上がって、ヤ゛バい゛!
美味しい〜は、ヤバ〜い⤴︎
驚いた時は、ヤバ!
感動したら、エモっ。
夜にドライブして、…エモっ。
こんな感じでしょうか。
書いてて馬鹿らしくなってきましたが、とりあえず各々ニュアンスが違うんですよね。
文字では伝わりづらいですが。
でも実際ヤバいとかエモいとかって表現の妥協なんですよね。
夜のドライブに行ったとして、
「ああ、なんかいいなぁ。なんて言ったらいいんだろう。うーん、エモーい!」みたいな。
でも私もエモい以外の正解が分かりません。
エモいが何か説明できないような概念的な存在を表しているからでしょうか。
でもエモいに逃げたくない自分もいる…。
分からん!エモい!
エモいは正義だ!
と言ったものの、、
エモいで妥協してしまうのは、他の表現方法を知ることを諦めてしまうようで、何とも言えない気持ちになりますね。何かエモい。
ダメだ、また使ってしまう!!
負けてしまっている。私はエモいに負けてしまっている。このままではダメだ。
でもエモに負ける自分、、エモいな。
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