誰かの楽しみは誰かの迷惑
この前、無性に深夜にマクドナルドが食べたくなったので買いに行った。
時間は3時過ぎ。
店の自動ドアはガラスなので外から中の様子が確認できた。
男女のスタッフが仲良く話していたので、来店するのが少し申し訳なくなった。
でも私の意志は固かったので「邪魔します」くらいのテンションで中に入る。
頼むのはもちろんビッグマックセット、最近はパティを倍にするのにハマっている。
セットにはポテトが付いてくるのだが、今から揚げるので4分ほど時間を下さいと言われた。
スタッフからしたら面倒くさいと思っているだろうと私は思った。
私は飲食店のアルバイトをしていたことがあるのでこの気持ちはすごく分かる。ラストオーダー直前に来客があったりすると怒りが湧いてきたものだ。
今になってみると、そのラストオーダー直前の人は何か楽しみがあってきたのかもしれない。私みたいに無性に何かが食べたくなって来店したのかもしれない。
そういう気持ちを持っていなかった過去の自分の幼さを今は反省している。
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さて少し違う話になるのだが、少し前に家の近くのコンビニが閉店してしまった。
そのコンビニから300m先にも別のコンビニがあるので「とても困る」程ではないにしろ不便だ。
不便だと感じる理由は「300m先に変化した」ということ。ここに全てが詰まっている。
そこには物理的距離と感覚的な距離が含まれる。
物理的距離は簡単で、単に距離が長くなる故にコンビニに到着するまでの時間、歩数が増えるということになる。
そして以前よりも300m増加したという情報のせいで、気軽にコンビニに行けなくなってしまったということである。コンビニに行きたいという感情になってから、やっぱ遠いから面倒くさいな、と気持ちが萎えてしまうのだ。これが感覚的な距離である。
以上から近くのコンビニが閉店するのはとても不便だ。
便利だったのになぜ閉店したのか。やはり売り上げが悪かったのだろう。
ということは、私が便利だと思って利用していたものは、皆は不便だと思っていたことになる。
少し悲しい気持ちになった。
家の近くに夜から朝まで営業しているラーメン屋さんがある。聞くところによると味の評価は普通より下で、値段も高めらしい。最悪のコストパフォーマンスだ。
私はそんな情報を聞いてから行く気が起きていないのだが、その店は閉店などしていない。私はいらないと思っていても、誰かがその店を必要としているからだ。夜から朝にかけてやっているので、居酒屋帰りのサラリーマン達に愛されているのではないかと予想している。
自分と他人の思考が真逆のことがあると改めて感じたここ最近だった。
まあでも他人の考えを主観で否定するのはよくないので、近々そのラーメン屋さんにでも行ってみよう!
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