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オンライン化に伴う「緊急性のない小さな問題」とどう向き合うか?

会議や講演、授業など、すべてがオンライン化され、約2ヶ月が経ちました。最初は毎日が緊急事態でイレギュラーなことに対応する日々でしたが、徐々にオンライン化された世界が日常になってきました。

当初心配されたような「緊急性の高い大きな問題」については、なんとか対応することができたという感覚があります。

一方、オンライン化に伴う、いまは緊急じゃないけど、全体に今後影響がでてくるような「小さな問題」が色々と見えてきたという印象があります。今日はその点について書いていきたいと思います。

緊急性のない小さな問題とは?

「緊急性のない小さな問題」とは、いまは無視していても仕事はまわってしまうのですが、「塵も積もれば山となる」といったものです。

例えば、「日常のなんでもない雑談」は、しなくても仕事ができなくなるわけではありません。しかし、そうしたなんでもない雑談の中で、今後につながるさまざまな情報の断片を受け取っているわけです。

そのときの場の空気感、場所、話題、それらはその場でいきなり効果を持つわけではないのですが、それらがストックとして蓄積されていき、結果としてどこかで形になるわけです。

しかし、オンライン化された日常は、こうした「無目的性」とは非常に相性が悪いのですね。

「ごめん、特に話すことないんだけど、zoomつなげてみない?」

というのは、正直ハードルが高すぎます...笑

「無目的な場を作る」という目的を持って、場をつくらないと、その場は出現しないのです。

あいまいさを共有しにくい世界

このように、日常の中にあった「偶然性を生み出すための余白の時間」や「あいまいさ」をオンラインで生み出すのはなかなか大変です。

Zoomのブレイクアウトルームもめちゃくちゃ便利なのですが、「内か外か」の完全に「0、1」の世界観になります。

なので、必ず「あなたはメインルームの住人なのか?グループ1の住人なのか?」をはっきりさせなくてはいけません。なんとなく「両方」ということは許容されません。

また、これまでのように、大学のなかで、ふとすれ違って「元気?」、「そういえばあの件だけど・・・」といった偶然の出会いもなかなかありません。会いたいならアポをとらなくてはなりません。

つまり、これまで「あいまいさ」の中に生まれていたよいコミュニケーションがあるとすれば、その「あいまいさ」を定義して、それができる場をデザインする必要があるということです。こうして目的別に設計された世界がうまれていくことになります。

目的と合理性によって設計された世界を体験する

この完全オンラインの世界は「目的と合理性が最重要視された世界」を体験させられているように感じます。

もちろん、悪いことばかりではありません。「なんとなくやっていたこと」をやめるきっかけにもなっており、ストレスがかえって軽減された部分もたくさんあります。これは目的と合理性によるポジティブな効果です。

一方で、「特に意味を感じていなかった、さまざまな小さな情報の数々」の持つ意味はやはり大きく、そうした積み重ねを失っていることが、今後さまざなところに影響を与えそうです。じわりじわりとその足音を感じます。

目的と合理性を意識することのパワフルさを感じつつ、やはりこれで覆われた世界というのは息苦しく、あまりハッピーとはいえないのではと感じています。

今回のことをきっかけに、無目的性や偶然性の余白の重要性を再確認する方向へ向かって欲しいですが、さて今後どうなるでしょうか。

今日はそんなことをつらつら考えてみました。


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