#19 「あの青空のように」
五輪の季節になると、ひとりの選手を思い出す。バハマのドナルド・トーマス。バスケの世界からやってきた異能のハイジャンパー。2007年に大阪で行われた世界選手権での記録は2m35。高跳びを始めてわずか1年で、誰よりも高く跳んだ。
1回のジャンプで世界を変えた。
当時制作していたNHKスペシャル「ミラクルボディ」僕は人間のジャンプ力の極限を撮影しようとしていた。NBAプレーヤーのダンクシュートや、バレーダンサーのグランジュテ。子どもが跳び始める瞬間や、マイケル・ジョーダンのコーチも取材した。
主人公に選んだのはアテネ五輪を制した小柄なハイジャンパー、ステファン・ホルム。
自分の身長より59センチ以上高いバーを跳ぶ哲学者のようなスウェーデン人。6歳の頃から飛び始め、地元の体育館で毎日のようにウェイトトレーニングを行い、忍者のように高いハードルを何回も飛び、身長のハンデを乗り越えて当時の現役最高記録2m40を飛んだ。
そんな彼を世界の舞台であっさりと破ったのが、大学のバスケ選手だったドナルド・トーマスだった。身体能力とセンスに頼った我流のジャンプに敗れたホルムは強いショックを受けて、さらにストイックな練習に身を投じた。
Sky is the limit.
アメリカの大学のグラウンドで、トーマスは空を指さしてそう言った。
あの空のように、限界は無い。流行していたヒップホップの言葉を、彼はいつも語っていた。
対するホルムは言った。
「限界はあるのかもしれない。空まで飛ぶことはできないのだから」と。
そして続けた。
「もう少しだけ高く飛びたいという気持ちが自分を高めるんだ。2m40を飛んだら、次は2m41。41を飛んだら42という風にね」
2人は、正反対の言葉で同じことを語っていた。
2008年の北京オリンピック、トーマスは決勝に進めず、ホルムは4位に終わった。大会の後、ホルムは現役を引退し、僕も現場から離れプロデューサーになった。トーマスはあれから、どうしてるんだろう。HPで走り高跳びの出場選手を検索した。
37歳となったトーマスは東京五輪に出場していた。
成績は2m21で予選落ち。彼が初めての記録会で跳んだ2m22よりも低い記録だった。それでも彼はまだ跳び続けていた。
IAAF国際陸連のHPに残る天才ジャンパートーマスの「その後」
我流で世界王者になった後、本格的に技術を学ぶようになったが記録は伸び悩む。2m30台をコンスタントに跳ぶようになったのは20代後半。そして32歳の頃、世界選手権の時の2m35を越える2m37を跳んだ。
sky is the limit
この空のように限界なんて無いと語っていたトーマスは、長い年月を費やしてあの頃より2センチだけ高く跳んで、さらに跳び続けていた。
確かに限界なんて無かった。少なくともトーマスの挑む気持ちには。
思いたってステファン・ホルムにメッセージを送った。ホルムが東京五輪に来ていることはSNSで知っていた。
返信が返ってきた。
トーマスがまだ飛んでいることに、少し驚いた。でも、かつて争ったアスリートがまだ競技場にいることは悪くないことだと、ホルムは言った。
走り終えたものが、走り続けているものに感じる複雑な思いが伝わってきた。
バスケの世界からやってきた異能のハイジャンパー、ドナルド・トーマス。彼は、1回のジャンプで世界を変えた。そしてその後の長い人生で、もう一つのことを証明した。
限界が存在するかどうかは、自分次第だと。
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