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私は私のままでいい 〜映画「私は最悪」〜

仕事が出先で早く終わったから映画でも見ようかなと、有楽町へ。
「私は最悪」
映画ポスターは主演の女性が微妙な笑顔で走ってる写真。
なんかポジティブなようで、それだけではないような微妙な味わいが気になって見に行きました。

観客はほぼ女性。でも50歳男でも楽しめました。
主人公は30歳。それなりに知性と才能に恵まれながら、どこか中途半端な人生を送っている感じ。

漫画家の歳上の男性と付き合って、彼が子どもを求めることや、彼の家族との付き合いにモヤモヤする。それで浮気っぽいこともするけれど、でもそれでハッピーになるわけでもない。

恵まれた状況なのに、何してるの?日本だったら、そう言われてしまいそう。でもこの映画は、そんな主人公を肯定も否定もしない。

主人公の行動や選択を、もう一人の自分が見つめる、そんな視点で描く。

どこにいても、何だかフィットしない気持ち。何かを手に入れでも満足できずに、むしろ手に入れて無いものに目が移ってしまう。
それは贅沢な悩みだけれども、僕らが多かれ少なかれ直面する問題。
僕らは、どこかに安住しなければいけないのか。

監督のヨアキム・トリアーは映画のHP(充実してます)で映画を作る事になった動機をこう語る。

「今この時、僕の人生において、心の底から語りたい物語は何だろうと考えた。そしたら、こんな人生を送りたいという夢と、実際はこうなるという現実に、折り合いをつけるというストーリーが浮かんだ。そして、ユリヤというキャラクターが閃いた。自然体の女性で、自分を探し求めると同時に、自分を変えられると信じている。でも、突然、時間と自分自身の限界に向き合うしかなくなる。人の一生で出来ることは無限ではないけれど、僕は彼女の強い願いには共感している」

そして、主役の女優レナーテ・レインスヴェも素敵。
映画は監督が彼女に向けて書いた脚本だと言う。

「今回はレナーテのために脚本を書いた。彼女は10年前、僕の『オスロ、8月31日』で端役を演じてくれた。当時まだ若かったけれど、非常に特別なエネルギーを放っていた。その後、彼女は多くの役柄を演じてきたけれど、主役は一度もなかった。それで、僕が彼女を主人公にして脚本を書くことにしたんだ。ユリヤのキャラクター造形、複雑な心情を作っていく上で、彼女に助けられたことがたくさんある。レナーテは大胆で勇敢、平気で不完全な部分を見せることが出来て、虚栄心が無い。明るさと深みのバランスが独特で、コメディもシリアスなドラマも演じられる素晴らしい才能を持っている」

誰でもなかった女優の為に書かれた脚本。それは、映画の中の歳上のボーイフレンドが、彼女を「あなたこうだ」と規定してそれに主人公が反発するストーリーと相似系を描く。

私は私。あなたに決められたくない。
(でも、あなたの存在も大切)
そのアンビバレンツな感情が、物語を動かしていく。

「私って何?」そんな事に悩んで、確固たる私を築きたい。
でも、誰かに「あなたはこうだ」なんて決められたくもない。
そもそも「私はこうで、こう生きる」みたいな人生の選択って、本当にしないとダメなの?

そんな気持ちもあったなと、思い出しました。

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