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「魔法を信じるかい」

プロデューサーの主な仕事は、ディレクターが作ったVTRを試写して完成に近づけていく仕事。もう10年くらいそんな仕事をしている。

「1試写」と呼ぶ最初の試写は、たいてい未整理で尺も長くて頭を抱えてしまう事が多い。若いディレクターのものは特に。日本語の使い方!的なところから始めなければいけない時も。
それを試写のたびごとに指摘して、構成の流れも整理して、言葉にできてなかった意図を汲み取ったり、時には頑固な若者と喧嘩したりして放送にたどり着く。

放送されるものは、それなりのクオリティになっている自信はある。ディレクターに感謝されることもある。こんなによくしてくれて、なんて感じで。
でも、たまに思うことがある。放送に耐えるクオリティにはしたけれど、実は最初の1試写にあった良さや勢いは、失われてしまったのではないかと。

それはいつもではない。でも、確かにある。

最初の、無軌道だけど純度100%のディレクター編集の方が、もしかしたら良いものだったのではと思う時が。そして、それは一体何なんだろう、と。

完全なものが、必ず心を打つわけではない。間違ってないものが、素晴らしいものでもない。ひとりの人の心に届くもの。忘れられないフレーズ。ワンカット。不完全な人間が作った、不完全な表現が、でも誰かにとっては一生忘れられないものになる可能性。

それはマジック。歌や文学や人間関係に魔法のような瞬間があるように、テレビ的な表現にも魔法が宿る瞬間がある。

そして、それが消え失せてしまう時も。それは一体何なんだろう。

人生の半分くらい費やしている仕事。その魔法の秘密に、少しでも近づきたいと作り続ける。

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