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背伸びは程々に足は止めるな

Midnight Diary #30


SNSの影響だろうか、僕の立ち位置の変化だろうか、他人からの印象とか、なんやかんやと考えないといけないことが多くなり、毎日本当に忙しい。
しかしその問題の大部分はおそらく自分が原因で、目を背けてはいけないような気がする。
「こう見られなければいけない」とか「こう見られてはいけない」と言うことに物申したいわけではない。
逆にそれならまだ分かる方で、僕の言動や行動一つで不快な思いにさせてしまったり、迷惑を被る人もいるかもしれないので、気を付けなければいけない。
問題なのは「こう見られたい」と言う憧れだ。
この年になった今でも、まだ憧れを抱くことがある。
人間とは本当に業の深い生き物だと痛感するわけだが、所詮それは自分を過信した願望でしか無い。
それに今思うと目標にできるほど、事の解像度が高いわけでもなかった。
何の筋道も立てないまま、ただ思っているだけでは叶うはずもない。
都合良く考えすぎていた。

人生をよく階段に例える人がいるが、だとするならば、自分の背丈よりも1.5倍くらい高い階段状になっていると僕は考えていて、憧れはジャンプしてつかめそうな位置にある。
と言うことは、そこから腕でグッと引き上げればなんとか見えてしまう。
何かを登る為には足場を持ってくるのが一般的な考え方だと思う。
例えばそれを木箱だとすると、木箱を積み重ねて階段を作るような地道な作業をすることが必要だ。
積み重ねられた木箱の数は信頼で、箱を作ったり運んだりするのは技術にあたる。
作る階段の長さの分だけ時間はかかるし大変な仕事だ。

当然、ぶら下がったままでは手が止まってしまって木箱を積み重ねることはできない。
これが、憧れるともう追いつけなくなると言われている仕組みだ。
だからどこかで必ずやるべきことと向き合わなければいけない。
ないものねだりなのかもしれないが、本当に年齢を問わず様々な人の様々なスキルや立場に憧れる。
まぁ百歩譲って自分よりも経験値のある年上は良しとするが、憧れの対象が年下だとどうしようもなく悔しくなる。
でも悔しくなるたびに飛びついていたらきキリがない。
それに、必死こいた二番煎じは周囲から嘲笑されるだけだ。

どうにかならないものかと考えた結果、一つ決め事を作ることにした。
憧れてしまうのは自分なのでどうしようもないとした上で、憧れそうになったら目標にかえるための手段を逆算して工数を考えることにした。
これならいつまでもぶら下がってて立ち止まることもない。
その上で実現性があれば踏み出せばいい。
なければ別を探す。
大切なことは進んだ距離ではなく、動き続けるということ。
とにかく木箱を作り積み重ねることで、自分が動作し続けていれば物事が停滞することはないと思っている。

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