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「失敗を語ろう。」 菅藤達也 編

このnoteは、マネーフォワード代表辻の「失敗を語ろう。「わからないことだらけ」を突き進んだ僕らが学んだこと」の出版に合わせた、公式スピンオフ企画です。

ということで、深く考えずにこの企画に手を挙げてしまったところ、編集部に〆切を提示され、しばらくプレッシャーと戦い続けてきましたが、ようやく重い筆を取りました。

ぼくが起業した頃の失敗談をふたつお話ししますね。ひとつめは「アポは取らなきゃダメだよ」という話、ふたつめは「先走りすぎると後でたたむのが大変だよ」という話しです。ちなみにぼくはクラビスという会社を起業し、2017年にマネーフォワードにグループジョインしておりまして、クラビスを起業した2012年頃のお話しになります。

「自由を手に入れた反動がヤバかった」

もう10年くらい前になりますが、前職は経営企画としてM&AとかJV(Joint Venture)を作る仕事をしてました。しばらくずっと国内で仕事をしていたので、次はグローバルな仕事をしたいと思っていたのですが、なかなか当時の事情から認めてもらえずに悩んでいました。

上司からは海外出張すら却下されていたので、じゃあ自費で行けば文句ないだろうと思って、毎月のように週末とか有休を使ってアジアの色んな国に勝手に出張をしていました。金曜日の仕事帰りにそのまま空港に行って、月曜の朝に帰国して普段通りに出社するエクストリームな生活です。

シンガポールのシェアオフィスのCROSSCORPで勉強会

シンガポールに現地集合・現地解散で勉強会を開いたり、台湾のスタートアップイベントに参加してプレゼンさせてもらったり、起業家との人脈ができて、徐々に自分もやってみたいという思いが強くなって、あるときシンガポールリバーでカニを食べながら語り合っているうちに、あとは決意だけなんだと思って独立を決心しました。

もうぼくは自由だ、どこにでも行ける!と思ったら、いてもたってもいられなくなりまして、アジアのITといえばインドでしょ!ってことで、退職した翌日にはニューデリーの空港に降り立っていました。

「アポは取らなきゃダメだよ」

アジアのシリコンバレーと呼ばれるテックパークはバンガロールの市街地から車で30分くらいの距離なのですが、大型バスが何台も到着して、そこから20代前半と思われる若いエンジニアが大量にIT企業の敷地に流れ込むのを見て、それはもう衝撃を受けました。こりゃ日本人やられるわ、と。

ところで、コネもアポもなくバンガロールに来てしまったことに今更気づき、なんとか見学させてもらえないかとテキトーに門番に聞いてみたのですが、浮き足だったナゾの日本人を無許可で入れてくれる訳がなくて、門の鉄格子ごしに中を覗くことしかできませんでした。バンガロールのフレーバーを嗅いだだけで帰国です。

バレないように鉄格子の隙間から撮った写真

もし今ぼくの部下が「明日からインドに行ってきます!アポなしです!」って言ってきたら、「ちゃんと準備しろ!」ってなりますよね。そんなの当たり前なのですが、当時はなにせ自由を手に入れた翌日でしたし、とにかく前のめりでした。インドに行くのに理由なんてあるかい?みたいな

とはいえ、いったん帰国して「インドに知り合いが欲しい」って連呼してたら幸運にもコネを作ることができ、2ヶ月後にはWiproという財閥系IT企業のアポが取れて、なんとか遂にインドITの実態を見ることができました。この時のインスピレーションから「STREAMED(ストリームド)」というAIとクラウドソーシングを組み合わせたクラウドサービスに繋がりました。一応、失敗を失敗で終わらせず、回収できたので結果オーライです。

「法人ってこんなに簡単に登記できてしまうのね」

インドで啓示を受けたものの、起業するにはアジアの中心が良いなと思っていて、調べるとシンガポールでは1週間ぐらいで法人が登記できてしまうので、なんかカッコイイし作っちゃおう!ってことでシンガポール法人を作ってみました

建設ラッシュのシンガポール湾岸エリア

ところが、シンガポールは土地代も人件費も色々とコストが高く付くので、エンジニアを採用するなら隣のマレーシアの方が都合が良いのと、政府の優遇策がつかえそうなので、勢いでマレーシアのクアラルンプールにも法人を登記してしまいました。一方でオペレーションについてはベトナム人が適切だと思ったので、ホーチミンのオフショア企業と提携してラボを作りました。勢いに任せて3ヶ月くらいでASEANに3拠点を作ってしまったのです。

「先走りすぎると後でたたむのが大変だよ」

まだ何もないのにハコをつくってしまう、しかも海外に複数って意味が分からないですよね。それを1人でやっていたのであっという間に時間配分が破綻しまして、泣く泣く日本に集中することにしました。

ただ、本当にツラかったのはその後で、作るのは1週間でもたたむには色んな手続きが必要で、シンガポールもマレーシアも、なんだかんだで1年ぐらいかかってようやく閉鎖ができました。起業したばかりで最もリソースが限られている時に、貴重な時間を事務手続きに奪われてしまったことは大失敗でした。

「失敗してみないと分からないことって多いよね」

こんな感じで、創業時はストッパーになってくれる仲間がいなかったので、むちゃくちゃなことをして失敗ばかりしていました。社内も当然ながら、社外の色んな方に助けてもらって、ようやく地に足をつけた事業開発を進めることができました。

改めて思い返すと、散々ひどい失敗を連発していますね。何が言いたいかといいますと、チャレンジそのものは素晴らしいし、失敗したって得るものがあるんだよ、ってことです。(懲りてない)

最近ひどい失敗してないなぁ、と思ったらそれは危険信号なのかもしれませんよね。ということで、今後ぼくが何か大きな失敗をしたら、「ああ、カントーさん頑張ってるんだな」と思って優しく受け止めてくださいね!

辻さんの「失敗を語ろう。」はこちら!




興味を持っていただけた方は、是非本編も読んでいただけると幸いです。

この本に関わる印税は、コロナ禍で苦しむ子供たちを支援されている認定NPO法人フローレンス、認定NPO法人カタリバをはじめとする団体に、全額寄付させていただきます。

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