〜前提〜 僕は慶應大学サッカー部の入部当初、Bチームの3番手でした。 9人いるキーパーの中で6番目の評価。 しかも、同期入団のキーパーがAチームにいるという非常に難しい状況。 入部前は、「高校でも1年生から試合出てたし、直ぐにAチーム上がって夏過ぎくらいには試合に絡めるといいな」と安易に考えていました。 入部して直ぐに、自分の思い描いていた立ち位置と現実のギャップを痛感させられました。 「これだけ実績があるのに評価してもらえないのか」と怒りを覚えました。 「同級生
6年間所属したSHIBUYA CITY FCを退団し、一つサッカー人生の節目なのでこれまでのサッカー人生を振り返りたいと思います。 『これから編』 ①GKコーチ サッカーをプレイヤーとして競技として追求するのは2023シーズンが最後と決めました。 これからは家族と過ごす時間をもっと確保したいと考えております。 その上、昨年まで有り難いことにSHIBUYA CITY FCではプロ契約をして頂いていたので、その分の収入を確保しなければなりません。 今よりプレー頻度を下
6年間所属したSHIBUYA CITY FCを退団し、一つサッカー人生の節目なのでこれまでのサッカー人生を振り返りたいと思います。 『社会人編③』 チームが平日午前練習にシフトしたことで、自分の生活リズムも大きく変わります。 平日午前中に練習して、午後は桐光にGKコーチで行くというリズムになります。 この頃には保険の仕事もコントロール出来るようになり、サッカーを思いっきりやる生活にチャレンジしました。 仕事の都合で平日1日休んでいましたが、それでも週4日サッカーが出
6年間所属したSHIBUYA CITY FCを退団し、一つサッカー人生の節目なのでこれまでのサッカー人生を振り返りたいと思います。 『社会人編②』 3年間所属した東京海上サッカー部を退団しサッカーを続けるか迷いましたが、当時25歳でここでサッカーを辞めたら2度と戻れないと思いチームを探しました。 とはいえ先ずは仕事を頑張りたかったので、一旦カテゴリーを落として、そんなに必死にサッカーをやらなくてもよさそうなチームを探しました。 慶應のOBチームである慶應BRBと、SN
6年間所属したSHIBUYA CITY FCを退団し、一つサッカー人生の節目なのでこれまでのサッカー人生を振り返りたいと思います。 『社会人編①』 東京海上に入社してから、サッカー部に入部しました。 厳密に言うと、4月にはリーグ戦がスタートするので、入社前の2月くらいから練習に参加していました。 とはいえ土日だけの活動なので、平日飲みまくって、お酒を抜くために健康のために、土日くらいはサッカーやるかくらいに思ってました。 ところが、続けていくうちに本気になってきてし
6年間所属したSHIBUYA CITY FCを退団し、一つサッカー人生の節目なのでこれまでのサッカー人生を振り返りたいと思います。 『大学生編』 以前、書いたブログがほぼほぼ大学生編となっております。 https://note.com/tatsuya_mine/n/n40d605ae1cb0 サッカーのモチベーションが高いわけでも無いけど他にやりたいことがないから、とりあえず体育会ソッカー部に入部しました。 ところが、入部段階の序列の低さに嫌気がさしてサッカーを辞め
6年間所属したSHIBUYA CITY FCを退団し、一つサッカー人生の節目なのでこれまでのサッカー人生を振り返りたいと思います。 『高校生編』 FC東京ユースに上がれずに、地元神奈川県の桐光学園に進学することになります。 特待生だったこと、大学進学に指定校推薦枠を沢山持っていること、1年生から試合に使ってもらうと言ってもらえたことから、桐光に決めました。 入学したら直ぐにスタメンで試合に出れると思っていたのですが、さすがにそんなに甘くなく。1年生だけの試合やリーグ戦
6年間所属したSHIBUYA CITY FCを退団し、一つサッカー人生の節目なのでこれまでのサッカー人生を振り返りたいと思います。 『中学生編』 FC東京のジュニアユースに合格して、「自分はJリーガーになる」と決意しました。 プロの選手と同じエンブレムの入った練習着やユニフォームを着るのがとても誇らしく、毎日の練習に全力で取り組みました。 FC東京に入ると、運命的な出会いがありました。 当時のGKコーチである浅野コーチとの出会いです。 練習会の時から「この人に教わり
6年間所属したSHIBUYA CITY FCを退団し、一つサッカー人生の節目なのでこれまでのサッカー人生を振り返りたいと思います。 『幼少期〜小学生』 4歳の時に母親に連れられてサッカースクールに通い始めたのが、サッカーを始めたキッカケです。 小学生になる時に、地元のあざみ野FCというチームに入りました。 幼き自分は全く知らなかったのですが、地元では名門チームで、全国大会に出るようなチームです。 周りのレベルが高いとかは感じたことなく、当たり前にそこでサッカーをして
タイトルからして何のことやねん。という話だと思うんですけど、タイトルのまんまでして。 「峯、最近TwitterとかFacebookとかインスタグラムでYouTube始めた告知してたけどもどした?ユーチューバーでも目指すんか?」と思われた方、不正解です。笑 急に始まってもないクイズに不正解宣告して申し訳ございません。 リモートGKコーチという、現時点でサッカー界に存在しない立ち位置からより多くのGKの指導や育成にチャレンジしてみたくYouTubeを始めてみました。 手段
突然ですが、サッカースクールの代表になりました。 ファーダンサッカースクールという東京都稲城市・調布市に拠点をおくサッカースクールです。 遡ること2週間前、僕が桐光学園サッカー部GKコーチ退任のリリースを出したまさにその瞬間に前代表の上船くんから電話がきました。 「峯元気?facebook見たよ!桐光やめんでしょ?やめて何するの?ウチの代表やってくれない?」 本当にこんな感じのテンションでした。笑 聞けば、忙しくなかなかコミットできずにキチンと経営能力がある人間に任
2021年度をもって、3年間務めた桐光学園GKコーチを退任します。 今年卒業する3年生と同じタイミングに入学し、同じタイミングでの卒業になります。 正々堂々、2022卒と言えそうです。 ※ちなみに2011卒 それはそれはもの凄い、充実した3年間を過ごさせていただきました。第二の?青春でした。 思えば3年前、仕事中に急に「GKコーチを探してるんだけど」と電話がかかってきたのがキッカケでした。 「いずれはGKコーチとか面白そうだなあ」くらいには思ってましたが、保険の仕事
以前、「家を買う前に読むブログ」を読んでくださったみなさま、ありがとうございます。 その時買ったマンションを売った話です。 もはや続編。シリーズ化してるのか? もうこれで最終話にしたい。 ①買い替えを検討するきっかけ 妻が妊娠したのを機に、車の購入を検討し始めました。 ワイ「最近の車は高いな〜、駐車場代もバカにならんし、カーシェアでよくない?」 妻「よくない」 まあ確かに。カーシェア使うたびにチャイルドシート運んだり、予約したり、そもそも使いたい時に予約空いてるか
最近では、僕が中学高校の時代(10〜15年前)と変わり、GKコーチがいるチームが増えてきているように感じます。 対戦相手のアップにGKコーチを見かける機会が多いです。 また、所属チームにGKコーチはいなくとも、GK練習のメニューが簡単にYouTube等で見ることができる時代になりました。 人工芝グランドを保有するチームも増えて、GKにとっては環境が整いつつあります。 当然、欧州の様に天然芝の方が良くはありますが土より断然マシです。 キーパーグローブもどんどん進化していて
僕が所属する、SHIBUYA CITY FC。 東京都1部リーグ6節を消化して、2勝2敗2分 個人的には出場試合数ゼロ。 今年から本格的にプレイヤーとしてサッカーのフィールドに戻ってきたわけですが、甘くない。本当に甘くない。 東京都1部リーグを甘くみていたわけでもなく、丸々一年サッカーをしていなかったのに復帰することを甘くみていたわけでもなく。 ただただ結果が出ない。 1月から本格的にトレーニングを再開して、コンディションが上がってきていたリーグ開幕1ヶ月前の3月頭に
今日が国際ゴールキーパーデーということを今日知り、居ても立っても居られなくなりブログを書きました。(滑り込み ゴールキーパーの経験を通して得られたものが自分の人生の99.9%を構築していて、キーパーというポジションへの愛と感謝を表現するべく、キーパーというポジションがいかに素晴らしいかを綴りたいと思います。 20年間もゴールを守り続けていると、さすがに得られるものもあります。笑 キーパーをやってて悩んでる人、キーパーにチャレンジしてみたいなと思ってる人、キーパーの子供を