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サッカー人生振り返り「①幼少期〜小学生編」

6年間所属したSHIBUYA CITY FCを退団し、一つサッカー人生の節目なのでこれまでのサッカー人生を振り返りたいと思います。

『幼少期〜小学生』

4歳の時に母親に連れられてサッカースクールに通い始めたのが、サッカーを始めたキッカケです。

小学生になる時に、地元のあざみ野FCというチームに入りました。

幼き自分は全く知らなかったのですが、地元では名門チームで、全国大会に出るようなチームです。

周りのレベルが高いとかは感じたことなく、当たり前にそこでサッカーをしていました。

現アルビレックス新潟の高木善朗が小6までチームメイトでした。

2年生の時には横浜市大会を優勝して、県大会でも3位になった記憶があります。

当たり前のように勝って、勝つことが楽しくて。この辺りから、自分のチームが異常にレベル高いことを認識しました。笑

名門チームゆえに、上手い選手が他のチームから勝手に集まってきて3年生の時に試合に出れないことが増えてきました。

そのタイミングで遊びでGKを始めてみたところGKが楽しくて、フィールドとどちらもやってましたが4年生から完全にGKに転向しました。

今振り返っても、フィールドよりもGKに適正があったように思います。反射神経の良さは当時から武器になりました。

あざみ野FCにはGK専門のコーチがいて、これがめちゃくちゃデカかったです。当たり前のようにいてくれましたが、GKコーチが少年団にいるなんてあり得ません。

そのおかげで5年生になる時には、横浜市選抜に選ばれるくらいの実力になりました。

ただ、上には上がいて県選抜には入れませんでしたし、マリノスの選抜スクールにもセレクションで落ちました。

悔しくて悔しくて、あざみ野FCの活動以外にも地元のGKスクールに週2回通って実力を磨きました。

当時、家から近くの桐蔭学園が選手権で全国ベスト4だか8になり中学受験をすることを決意しました。その為、塾にも通っていたのでかなりハードなスケジュールでした。

平日は小学校から帰ると、サッカースクールに行くか、塾に行くか、サッカースクールの後に塾に行く日も普通にありました。

当然、自分も大変ですが、送り迎えをしてくれた母親に感謝しかありません。

6年生の時に、中学進学に向けてJリーグのチームのセレクションを受けまくりました。

ヴェルディに落ちて、フロンターレに落ちて、家から通えるチームはあと2つ。

マリノスとFC東京のセレクション日程が被っていました。

選抜スクールのセレクションで落ちたマリノスにリベンジすべきだという父親をフルシカトして、FC東京を受けて最後の最後で合格を勝ち取りました。

一回落ちてるところよりも、まだ見てもらってないところを受けた方が可能性が高いと小学生ながらに理解していました。

もしFC東京に落ちていたら、中学受験した桐蔭学園サッカー部に入部予定でした。

結局、中学受験も無事合格して、桐蔭学園中学校に通いながらFC東京のジュニアユースに通う生活が中学生から始まります。

中学生編に続く

〜教訓〜
①子どもの適正はどこにあるか分からない。色んなスポーツやポジションや経験をさせるべき。

②子どもが頑張るモードに入ってる時に親がどれだけサポートできるかが重要。頑張るモードでない時は押しつけになってしまう。

③環境選びはめちゃくちゃ大切。子どもは自分で環境を選べないし、その環境が基準となる。

④努力は報われる。

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